第37話 カール王子
風になっていた。
草原の風に。
俺たちの道に標識はない。
ただ、風になって、突っ走るだけだ。
とか言ってね……。
俺は今、パトラッシュに乗っている。初めての乗馬体験である。
最初の数メートルはジャンヌとクティと一緒だったが、そこから先は、パトラッシュが一気に加速した。その加速力たるや、凄まじいものがあった。馬界のベンツかGT-Rか……。
びゅんびゅん風を切る。
速度は見当もつかないが、冗談抜きで、時速100キロを超えているような気もする。当然体感速度は「恐ろしい」としか言いようがない。それだけ速度が出ていて、振動がほとんどないのは、流石パトラッシュという感じだが――ものすごく怖い。落馬などしようものなら、即死だろう。ジェットコースターが子供だましに思えてくる。
「ちょっと、もうちょっとゆっくりでも、いいんじゃ――」
だーめ、とでも言わんばかりに、パトラッシュはちょっとだけ速度を上げた。
俺を乗せているのがそんなに嬉しいのか、上機嫌である。それが、速度に直に反映されている。とにかく、速度を緩めない、速い。
馬は十五分以上全力疾走できないはずなのだが、パトラッシュは、すでに一時間以上、この凄まじい速度をキープしている。パトラッシュにとっては、この、恐らく時速百メートルオーバーの速度はまだ、全力疾走ではないのかもしれない。
だとしてもだ……なんか今、パトラッシュが得意げに、目で笑ったような気がした。きっと、気のせいではない。
あ、なんだよ、もうリノーが見えてきた。
ぐんぐんぐんぐん、なだらかな坂になった草の上を、登ってゆく。坂に入って、速度が上がった。おかしいだろ、パトラッシュ。
街道の脇に出た。
歩いていた旅人が、驚いて尻もちをつく。
――門が迫ってくる。
パトラッシュはスピードを緩めない。
残り100メートルほど。
スピードを緩めない。どころか、上げた!?
50メートル。
超・加・速!
馬鹿ぁ! パトラッシュ! 死ぬから!
「ちょっと、パトラシッシュ! ストップストップ! ぶつかるからぁぁあ!!」
門番が目の前に立ちふさがろうとしてやめた。
その槍の上を――。
ボン!
ふわありと、体が浮いた。
風の向きが変わる。
――パトラッシュが、跳んだ。10メートルはありそうな城壁の上に、俺は今、いる。
なぜ、普通に入らないのか。
落下が始まる。
「なぜなんだぁあああ!」
パトラッシュは、城壁沿いの建物の屋根に着地した。
そのまま、屋根から屋根へ、走り継いで行く。
「パトラッシュ! 何、何がしたいんだ! 目的は、何だぁあ!」
俺はもう、パトラッシュにしがみ付いて叫んだ。
お前のような馬がいるか! もはや、馬の動きじゃない! ネコ科の動きだ!
――お前、今笑ったろ、パトラッシュ!
ガシャアアンと、何かを突き破った。何か、というか明らかにガラスの割れる音だ。続いて、男のうめき声と、女性の悲鳴。
パトラッシュが止まった。
薄目を開けてみる。
血を流して倒れている男三人。赤絨毯の上には刃物が転がっている。ベッドの上には少年が一人、きょとんと座っていて、扉の近くには女性が二人、腰を抜かしている。足元には銀のトレイと、ヒビの入ったガラスのコップが転がっている。
「パトラッシュ、怪我はないか?」
パトラッシュは耳をぴょこっと動かした。
大丈夫なようだ。
ガラスに突っ込んだのに、元気なものである。
俺たちは、バルコニーから侵入したようだ。
ここは、宿屋だ。
しかも――俺が泊まっていた高級宿に間違いない。あそこで腰を抜かしているメイドの顔にも見覚えがある。
で、だ……パトラッシュはどうしてこの部屋に特攻したのだろうか。
足を滑らせたか? 興奮してついやっちゃったか?
いや、パトラッシュは利口だ。俺なんかよりも、たぶん、よっぽど頭がいい。
俺は、パトラッシュから降りた。
ベッドの上の少年は、ぽかあんとしている。
この子は、一体――詳しく見てみる。
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名前 :カール・ルノアルド
クラス:――
Lv:――
・ルノアルド公家第二王子。
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王子だったよ!
え、若っ! 若いというか、幼い! 子供じゃないか。小学校の中学年くらいか?
想像していたのと、全然違う。
ちなみに、血を流してぶっ倒れている三人は、傭兵であるらしい。ファイターにレンジャー、特質すべきことは他にない。
問題は、こいつらが何をしていたのか、ということだ。
転がっているナイフと剣は、彼らのと見て間違いないだろう。それが、刃を剥き出しの抜き身で転がっている。
王子が俺に何か言った。
ばたんと扉が空いて、男の従者――執事が入ってきた。彼は俺を見るなり腰の短剣を抜き放った。目にもとまらぬ速さの抜刀に、俺は思わず後ずさった。
ところが、執事が俺に斬りかかるのを、王子が、間に入り込んで止めた。執事に、なにか懸命に訴えている。
執事の目がこちらに向く。まだ剣は、下ろしていない。
「⟑⩀⦀⨀⟤⟛、⨄⦢⟣⟒⟕?」
何か執事に聞かれた。
この質問、答えによって生きるか死ぬかが決まる類のヤツだと、俺は直感した。
だが、どっちだ。首を縦に振ればいいのか、横に振ればいいのか。
時間は過ぎてゆく。
俺が答えなければ、それはそれで、何かしらの答えととられるかもしれない。
どっちだ。
赤か、青か――爆弾処理の気分だ。
「俺、言葉分からないんですけど!」
とりあえず、言葉をしゃべって異邦人アピールしてみた。
執事と王子は顔を見合わせる。
さぁ、どうする……。
一応俺は、いつでも魔法が使えるように心の準備をしておく。この執事、名前はどうでも良いが、ステータスを確認するとクラスが【アサシン】だった。つまり、暗殺術を心得た、対人戦の上級者だ。
確かに、身のこなしも、ピリピリした空気感も、今までの剣士とは違うものを感じる。ジャンヌも相当腕の立つ剣士だとわかるが、この執事からは、殺気を感じる。怖すぎる。
――やがて、カール王子が俺に近づいてきた。
執事が強く何かを言った。これは俺でもわかる。「危険ですぞ!」とか、そういう言葉をかけたのだろう。だがカール王子は、執事の言葉を無視して、俺の足元にまでやってきた。
流石に王子を見下ろすのは失礼かと思って、俺は立膝を突く。それで、目線は丁度同じくらいになった。王子は、サラサラした金髪で、肌も流石に白くて綺麗だった。人を疑うことを知らないイノセントな瞳が俺を見つめる。
やめてくれ、俺は穢れた黒魔術師だ、そんな目で俺を見るなぁ! 別に悪いことをしてきたつもりはないが……王子に見つめられると無性に、懺悔したくなる。
王子は次に、パトラッシュに近づいた。
またしても執事は、「危険ですぞ!」的なことを言ったようだが、カール王子は無視して、パトラッシュの脚を撫でた。
パトラッシュ、誇らし気である。
王子は執事に何かを言い、執事は頭を下げた。
すぐに他の男の従者がやってきて、血を流して倒れている三人の男と剣を運んでいった。メイドたちもばたばたとやってきて、割れたカップ等を片付けたり、絨毯の血を拭き取ったりし始めた。
俺はその隣の部屋に案内された。
パトラッシュは馬小屋である。
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ジャンヌとクティが、大分遅れて到着した。
それまでの間、俺は肩身の狭い思いをしながら部屋のベッドに横になっていたが、二人が来て、全てをクティから聞くことができた。
俺が、というかパトラッシュがのしたのは、カール王子を狙っていた刺客だった。別室で事情聴取をしようとしていたが、その間に、呪毒で三人とも死んでしまったという。
俺は、カール王子を救ったことで、執事や、ジャンヌからも礼を言われた。どうやらカール王子にとってジャンヌは、頼りになる姉ちゃん的な存在らしかった。
「レイバンの調査を、はじめたいと、ジャンヌ様が言っています」
優秀な通訳クティが、ジャンヌの言葉を教えてくれた。
部屋には俺とクティとジャンヌ。酒が用意されているが、ジャンヌはジョッキに触っても居なかった。カールが一度ならず二度までも、しかも今度は城下で殺されかけた。ジャンヌからすれば、一刻も早く犯人を捕まえて、カールを安心させてやりたいのだろう。
だが俺は、ジャンヌの言葉に首を振った。
なぜ、とジャンヌが俺を強い目で見つめてくる。
「トーバスとレイバンはグルだ。たぶん首謀者は、トーバスだぞ」
俺の言葉を受けて、二人は言葉を失った。
そりゃあそうだろう。二人にしてみれば。
だがこの国のことなど知らない異邦人、異世界人の俺は、トーバスという男に特別な感情を抱いてはいない。この町に愛着があるわけでもない。王子だからどうした、という感覚である。
勿論、二人は反対意見を俺にぶつけてきた。
だが俺は、意見を変えるつもりはない。カール王子の暗殺には、間違いなく、トーバス王子が絡んでいる。カールの兄である、この国の第一王子が。
しかしジャンヌもクティも食い下がる。
「わかった」
俺は言った。
「俺はこの件から手を引く。あとは二人の好きにやってくれ」
当然、クティもジャンヌも俺を止める。
でも俺は、さらに首を振って突き放す。半分は駆け引きだが、半分は本気だ。
俺は忘翁との約束の為にこの土地からは出たいと思っている。加えて言うなら、会話もでき、通訳もこなせるクティは、できるだけ傍にいてほしいと思っている。
だが、命と天秤にかければ、俺は命を取る。この世界の仮の命だとしても、俺は今、この世界で生きているのだ。
この土地を出るのだって、機会はまた巡ってくるだろう。通訳も、そのうちどこかで出会えるだろう。しかし死んでしまったら、俺はもう二度と、ここに戻ることはできない。
ジャンヌとクティ、そして幼いカール王子には死んでほしくはないが、彼らが生きるためには、トーバスを倒すしかない。彼を権力の座から失脚させ、それと取引をしているレイバンという男を殺すか、公的に処罰するか、それしかない。
それができないなら、やはりカール王子の死の運命は変えられないだろう。そしてまた、カール王子の側についている人間――ジャンヌやクティの命もないだろう。
「どうしてトーバス王子が……」
クティが呟いた。
当然の疑問である。だが俺も、トーバスがカール王子を暗殺しようとする詳しい動機は知らない。だが動機を探っているほどの猶予はない。今、トーバスはかなり焦っている。何をするかわからない。
そうでなければ、どこの馬の骨とも知れない傭兵を雇って襲わせるようなやり方を取るはずがない。あれだけ用意周到な毒殺計画を立てた人間である。何か、すぐに手を打ちたい理由があるのだろう。
「トーバス王子は、自白するでしょうか」
クティが俺に聞いてきた。
クティの言う通り、それが一番難しいのだ。どんなに推論を並べた所で、トーバスが違うと言えばそれまでだ。それどころか、王子に疑いをかけた罪で投獄されるかもしれない。
それでは、レイバンから探すか?
それもそれで、難しい話である。この町で傭兵をやっているジャンヌや、宮廷学者のクティが、今までその名前すら聞いたことがないというのだから、レイバンという男は、深い所に守られているのだろう。
ジャンヌが口を開いた。
それを、クティが通訳して口に出す。
「亡命という手もある、と」
「亡命?」
「カカン公領には、トーバス王子も手が出せない、でしょう」
確かに、その手もあるな。
そうすれば俺の目的も達成できるし、一石二鳥だ。が、あの子はそれでいいのだろうか。亡命して、それからどうする? 王子が他国に亡命をして、どういう扱いをされるのかわからない。
しかし、どういう扱いをされるにせよ、今すぐ殺されるよりはそっちのほうが良いか?
いや、待てよ――良い手がある。
俺は、一つの作戦を思いついた。
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