第34話 グリムの処刑

 船底の牢屋の中で目を覚ました。

 起きたら牢屋だったのはこれで二度目だ。そして今回も封魔の手枷と足枷をセットで付けられている。

 タニザキの野郎もどこかの神の使人で、『アナライズサイト』的なスキルを持っているのだろう。名乗らないでも俺の名前を言い当てていたし、魔法を封じたのは、俺が【ダークメイジ】と知っていたからだろう。


 刺された傷は塞がっている。

 死なないように塞いでくれたのだろう。

 だが、死ぬほど怠い。

 体が、熱い。頭痛がひどい。これは、二日酔いにも勝る怠さだ。


 檻には俺だけだったが、隣の檻を見ると、そこには奴隷たちが収容されていて、皆、俺を見ていた。薄暗闇の中から自分を覗く目を見ると、ぞっとするものがある。

 その中に、彼女の姿もあった。

 エルフの少女、シルファである。俺を後ろからナイフで刺した少女だ。

 彼女は、俺が目を覚ますと、何か俺に言ってきた。


 なんだろう、俺が最初に彼女に抱いた憐れみのような感情――古典でいう所の『労たし』的な感情は、彼女を見ても、今はすっかり芽生えなくなっていた。

 そりゃあそうか、俺、この子に裏切られたんだもんな。

 だが、それ以上は何も思わない。憎悪とか怒りとか、もう少しあると思ったが、特に感じなかった。


 なぜなら、俺にはわかっていた。

 彼女は利用されたのだ。あの、タニザキというクソ野郎に。俺を刺さなければ、刺されていたのは彼女だったかもしれない。あるいは、違う誰かのために彼女はそうしたのか、色々と推測はできるが、いずれにしても、悪はタニザキである。あいつは、ぶっ殺さなくてはならない。刺し違えてでも。


 そんなことを思っていると、ちょうどタニザキが、部下を引き連れてやってきた。


「おはよう」

「お前……」

「魔法、使えないだろう?」


 そう言ってタニザキは、小さな銀のカギを、面白そうにポケットからつまみ出し、掲げて見せた。


「【ダークメイジ】なんて珍しいから、どうなるかと思ったんだけど、魔法を封じられちゃ、何もできないよね」

「何が、目的だ……」

「お前を殺すように頼まれた」

「誰から……」


 タニザキはにやりと笑って、答えない。

 鍵をポケットにしまい、口を開ける。


「体が熱いだろう? それ、熱毒って言うんだ。普通は一週間くらいかけて死んでゆくんだけど、お前には大量に塗り込んだから、二、三日、下手をすると今日明日かもしれないな」

「殺さないのか……?」

「仲間にならないか? 俺も、仲間がいなくて心細かったんだ。それに、ちょうど金になる商売があってね」


 タニザキがそう言うと、シルファが何か強く訴えた。

 タニザキはちらりとシルファを睨みつけてそれを黙殺し、続けた。


「【ダークメイジ】が仲間になってくれれば、大儲けできる。前に来た二人は、それにはちょっと使えなかったら殺したけど、お前は、やれそうだからな」


 俺はほうっと息を吐き、目を開けた。

 タニザキは部下の一人、杖を持った細身の男を顎で指して言った。


「彼は【セージ】だから、お前の毒も治せる」

「だから、何だよ……」

「仲間になるなら――」

「ならねぇよ、ばぁあかっ……!」


 できる限り憎しみを込めて、言ってやった。

 はぁ、苦しい……大声を出しすぎた。体温が一度くらい上がった気がする。確かこの熱毒というのは、体温が八十度まで上がるんだっけ。そんな上がる前に、死ぬだろ普通……。


「そういうことなら、お前の命も今日限りだな。ま、水くらいは飲ませたやるさ」


 そう言い残して、タニザキは部下を引き連れて部屋を出て行った。



「おはようございます」


 まだ寝ているのでしょうか。でももうそろそろ起きないと、調査の時間がなくなってしまいます。


「おはようございます」


 ……

 …………

 コンコン……「失礼します」。

 ガチャ……。


 い、いない!?


「グリムさん、グリムさん、どこですか?」


 ベッドの下、椅子の脇、窓の外。

 どこにもグリムはいなかった。クティは、グリムの話していた奴隷船のことを思い出した。


「(グリムさん、きっと奴隷を買いに行ったんだ。でも、どうして帰ってきていないのでしょうか。奴隷船で一泊、なんてことはきっとないと思いますけど……)」


 独り、クティは朝食のパンを食べながら考える。

 ジャンヌ様もまだ帰ってきません。きっと何かあったんです。昨日よりも、外の兵士が増えていて、なんだか町が騒がしいし……。


 クティは少なからず不安を覚えていた。

 グリムやジャンヌと違って、戦える力があるわけではない。しかし今は、戦う力が必要な時だ。自分一人では、何もできない。


「(どうしよう……)」


 独りで調査をするのは、クティにとってはやはり怖かった。

 昨日はグリムと、大通りに面した店で情報を集めた。しかし収穫がなかった。それなので今度調査をするのは、大通りに面していない、路地裏の店になる。そこにはきっと、犯人につながる手がかりが転がっているに違いない。

 けれどそこは……女子が一人で行くような場所ではない。何をされるかわからない。かといって、傭兵を雇うほどのお金もない。


「(やっぱり、二人が帰ってくるのを待つしかありません。でも……)」


 帰ってくる保証はどこにもない。

 むしろ、自分が何も行動を起こさなければ帰ってこないような気さえするクティであった。


 そこへ、一人の男性が店に入ってきた。

 すらっと背が高く、端正な顔立ちの、美しい剣士である。思わずクティも、見惚れてしまった。そんなことはクティにとっても初めてだった。


「(わぁ、カッコイイ人だなぁ……)」


 そう思っていると、男性はあろうことか、クティのテーブルに近づいてきて、当たり前のようにその相席に座った。クティはもう、気が気ではなかった。

 もじもじと、下を向き、自分の顔が赤くなっているのがバレないように必死である。


「クティ」

「……え?」


 呼ばれて、クティは顔を上げた。

 間近に、彼の顔があった。

 あわわわ、と慌てるクティだった。


「あ、あのあの、あのぉ……」

「クティ、私よ……ジャンヌよ」

「ふぇ!?」

「外の連中に見つからないように変装してるの」

「え、えーっ! に、似合いすぎですよ!」

「そう?」


 クティの部屋に入り、ジャンヌはからからと笑った。


「――ごめんね、でも、これしかなくて」

「全然わかりませんでした。その、すごく、綺麗で……」


 かあっと赤くなるクティ。

 それを見て、笑うジャンヌ。


「何があったんですか? 外の人たちって、ドーロン商団の兵士ですよね?」

「そうよ。なんか、ハメられたみたい」

「どういうことですか?」

「村は魔物に襲われてたんだけど、それを倒した宴の席で、刺客の集団に狙われたの。たぶん、村の人たちもグルだったと思う」

「無事で本当によかったです」

「そう簡単にやられないわよ。……グリムさんはどこにいるの?」

「それが――」


 クティは、グリムの事を話した。

 ジャンヌはそれを聞いて、グッと考え込んだ。


「グリムさんも、ハメられたのかもしれないわ」

「でも、どうして……」

「私たちが調査するのを阻止したい人物……毒殺の首謀者……」

「それじゃあ、ドーロン商団が!?」

「関係はしているでしょうね」


 でも、とジャンヌは付け加える。


「心配だけど……どこにいるかもわからないわ。数日待って、帰ってこなければ、その時は……」


 その時は――どうしたものかと、ジャンヌは再び考えるのだった。

 闇雲に探せば、それこそ相手の思うツボだろう。動くに動けない、辛い状況である。焦らずに、しかし待ちすぎては手遅れになる。


「グリムさん……」


 クティもジャンヌも、グリムの無事を願うばかりだった。



 夜になったらしい。

 熱が上がっている。とんでもなく、上がっている。

 俺の様子を奴隷たちはじっと見つめているが、俺はもう、醜態を晒す恥ずかしさなんて考える余裕はなかった。みっともなく呻いて、助けて、とか、そんな様な事をうわごとの様に騒いでいたと思う。


 海賊がやってきて、檻を開けた。

 俺は乱暴に引っ立てられ、引きずられるようにして階段を上がった。ごつん、ごつんと体のいろんなところをぶつけたが、すでに痛みも感じなくなっている。

 シルファが俺に何か言ったが、それはきっと「ごめんなさい」とか、そういう言葉だったのだろうと思う。


 甲板まで連れてこられた俺は、タニザキの前に放り出された。

 湿った床と、水しぶきが心地良かった。


「なんだ、もう死にそうじゃないか」


 タニザキが言った。

 その通りだ。俺はもう、死にそうだ。あと半日もしたら、いや、数時間もしたら、死ぬんじゃないだろうか。

 そんな重病人をこんなところにわざわざ連れてきて、何をしようというんだ。


「最後にもう一度聞こうかな。お前、仲間になるつもりはないか?」

 しつこい奴だ。

 どうせお前、ここで俺が仲間になるとか言っても、殺す気なんだろう? 俺がお前だったらそうする。命を守るためにそう答えておいて、あとで復讐する……お前はそうされるのが、怖いはずだ。恨みを買ってるからな。

 だからお前は、俺を殺すしかない。

 それでもお前が俺にそんなことを聞くのは、俺に命乞いさせたいからなんだろう。そうして自分の優位を確かめたい。でも俺は、お前のそれには乗らないからな……。


「もう、しゃべれもしないか?」

「タニザキ……」

「あぁ、話せるのか。それで、どうする?」

「お前みたいなクソ野郎の下で、働くなんて、死んでもごめんだ、この、馬鹿野郎」


 タニザキの顔が歪んだ。

 さぁ、どうする、殺しに来るか?


「馬鹿だなぁ。ま、死んだって向こうの世界で蘇るんだから、気軽に死ねよ」


 タニザキはそう言うと、部下に命令して、俺を船の縁の上に突き出した。


「さて、どうする? 自分で跳ぶか、怖かったら、押してやるけど」


 俺は、海賊二人を振りほどくように体を揺らした。

 空気を読んで、俺を押さえていた海賊は俺から手を放し、離れた。

 熱毒の末期で、しかも封魔の枷で手も足も自由を奪われた人間が、この期に及んで何かできるとは思っていないのだろう。

 海賊たちも、タニザキも、俺の格好を見て下品な笑いに顔を歪めている。


 俺は、船の縁に腰かけた。

 本当はそこに立ち上がって、格好良く飛び降りたかったが、揺れる船の上、しかも周りは真っ暗というなかで、それができるほど運動能力は高くない。平均台とはわけが違うのだ。


 ――さて、俺の方も準備ができた。

 そろそろ、飛び込むか。

 下は真っ暗、どこが海面かも分からない。こんなの、死ぬに決まってる。誰もが死ぬと思ってる。そりゃあ、そうだろう。


「俺を殺すために、わざわざ船を、出したのか……」

「あぁ。この後は洞窟に戻ってパーティーだ。奴隷に買い手がついた。あのエルフの女の子にもな。2300グロウル、いや、いい商売だ。ひゃっひゃっひゃ、本当にここは良い世界だよ」


 タニザキが言うと、海賊たちも賛同の声を上げた。

 ウォー! と、勝手にテンションを上げている。

 俺の死は余興か。

 わかったよ、乗っかってやるよ、せいぜい楽しくパーティーで盛り上がれ。


 俺は、船の縁に立ち上がった。

 人間、死ぬ気になれば何でもできるものだ。

 さて……バンジージャンプはおろか、5メートルのジャンプ台もチャレンジしたことのない俺が、飛び込むぞ。

 もう二度とやらないだろうから、よく見とけよクソ野郎ども!


「うおおおおぉぉぉ!」


 タンッ……。


 俺は、夜の海に飛び込んだ。

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