第33話 奴隷のナイフ

 ジャンヌは剣を抜き、ゾンビ化した一つ目の巨人に黄金の一撃を放った。

 巨人にしては小さいが、人間に比べれば遥かに巨大で、強力な魔物である。首に鉄の鎖を嵌めているのはオシャレのつもりなのだろうか。


 グオオオオ、と巨大なゾンビは一声叫んだ。

 ジャンヌはさらに鋭い斬撃をゾンビに見舞った。肉体の腐敗しているゾンビに恐怖はないが、物理的なダメージには弱かった。そして動きは、緩慢である。


 ザシュ、ザシュと、ジャンヌの怒涛の攻撃によって、巨大ゾンビは今度こそ永遠の眠りについた。鉄の鎖と魔石が後に残った。

 避難していた村の人々が一人、また一人と顔を覗かせ、全てのゾンビが倒されたのを確認すると、わあっと歓声を上げた。


 すでに夕方だった。

 村人たちは、是非村を救ってくれた英雄に礼がしたいと、ジャンヌの為に宴を開きたいと言い、ジャンヌもまた、そういうことならと、その申し出を受け入れた。

 そして日が暮れる事、村の酒場で宴会が開かれた。


「いやぁ、本当に助かりました! ささ、この村の酒です、どうぞどうぞ!」

「いただきます」

「こんな綺麗な人が、あんなゾンビを倒しちゃうなんて、おっどろいたなぁ!」

「結婚してください!」


 村の男連中は、ジャンヌに一目惚れ状態だった。

 それを、妻がつねって正気に戻させる。

 独身の者は、ジャンヌに酌をしようと争った。ジャンヌもジャンヌで、勧められればいくらでも飲めてしまうので、ジョッキはすぐに空になった。


「僕に剣を教えてください!」

「俺、料理なら作れます!」

「踏んでください!」

「何言ってるんですか」


 ジャンヌは、男たちの言葉を、笑いながら受け流した。

 随分と酒を飲み、ジャンヌの頬も朱に染まってくる。さらに宴は続き、酒はどんどん出てきた。美味しい酒だった。

 歌ったり踊ったりする芸人が出てきて、宴はどんどん賑やかになってゆく。


 ジャンヌは手拍子をして、芸人が裸で踊るのを笑いながら見ていた。

 その時、酒場の物陰から幾人もの、物騒な男たちが突然出てきて、刃物を抜いたかと思うと、いきなりジャンヌに襲い掛かった。


 大酒を飲んでいたジャンヌは、咄嗟に反応ができなかった。

 飛び掛かった男の三本の剣が、ジャンヌの喉と腹と、そして下腹に突き刺さる。


 ――はずだった。

 ところがジャンヌは、襲いかかってきた三人を体術で捌き、床に叩きつけた。加減ができなかったのは、酒を飲んでいたせいかもしれない。二人は手と足の関節をやられ、一人は、自分の持っていた剣を喉に突き刺してしまった。


 気づけば、村人も芸人もいなくなっていて、ジャンヌは、刃物を構えた汚ならしい身なりの男たちに囲まれていた。


 男たちは、酔っているはずのジャンヌに襲い掛かった。

 あれだけ飲んで、戦えるはずがない。足元も覚束なくなって、集中力だって失っている。だから、例え凄腕の剣士だとしても、倒せる。そのはずだった……。

 ところが――。


 斬りかかった男たちは、ことごとく返り討ちに会って、死ぬか気を失うか戦闘不能の重傷を負った。


「ふざけるな! まさか、飲んだふりを!?」

「あんなに美味しいお酒、飲まないわけがないじゃない!」

「じゃあどうして……」


 男たちの大誤算。

 それは、ジャンヌが、思っていた以上の酒豪だったということであった。それどころかジャンヌは、ちょうど体が火照っていて、動きやすい状態になっていた。


「かかれぇ!」


 食器が飛び、肉が跳ね、酒とスープがぶちまけられた。

 ジャンヌは酒場を脱し、その後を、男たちが追いかけた。



 あまり眠れなかった、とか言えたらカッコイイのにな、と俺は思った。

 朝食のスープを飲みながら、俺はクティに奴隷の事を聞いていた。そんなものが存在するのか、という調子で質問した俺に対して、クティは、「何をいまさら」というふうに教えてくれた。


 この世界では、奴隷は普通に存在している。それこそ、ペンやスプーンのように、当たり前の道具として。ただし奴隷は誰でも買えるような安い物ではなく、ある程度の金と、そして奴隷を持てる身分と権力がある者のみが持つことを許される。いうなれば、金持ちや特権階級専用の道具である。


 ただしエルフの奴隷に関しては、リノーでもこの町カナンでも、いくつかその商業上のルールが存在するという。恐らくその黒い船は、そのルールに破っているから、目立たない場所で取引をしているのだろうとクティは言った。


「買うのですか?」

「……」

「エルフの奴隷は、珍しい、ものです」

「そうなんだろうな」


 シルファの、あの目が思い出される。

 あのあとシルファは、あそこにいた下衆な金持ちに品定めされたのだろう。あまり、考えたくはない。そして俺も、布で顔を覆った下衆の一人だったのを、認めたくない。


「私は、ジャンヌ様が、心配です」


 クティはそう言った。

 結局昨日、ジャンヌは帰ってこなかった。そして今朝になると、町にたくさんの兵隊が出て、通りを行き来しているのだった。

 ジャンヌが帰ってこないのと何か関係があるのかと、ついつい思ってしまう。救急車を見て、家族や友人を心配するのと似ている。


「ドーロン商団の、兵士みたいです」

「ドーロン商団?」

「この町の、有力な、商団です。商人ギルドを、牛耳っているとか」


 流石クティ、調べが早い。

 言われたところで、この世界ビギナーの俺にはよくわからないが。


「でも、今は――」

「わかってる。今は黒幕を探すのが先だ。わかってるよ」


 でも、とグリムは思う。

 シルファのあの瞳が、拭えない。


 冷静に考えれば、俺は、奴隷に手を出すべきではない。奴隷制度は、この世界ではあと何世紀も残り続けるのだろうし、それを俺が変えられるわけでもない。

 同情に駆られて彼女を買ったとして、彼女はどうなる。俺はあの子を救って、それで、自己満足に浸って、その後は? 自由にするか? 奴隷に自由なんてあるのか? 俺はそこまで面倒を見れるのか? 一人の人間の人生を。


 ――それならば、やはりこの世界の事情を知り尽くした金持ちに買われた方が、最終的にはあの子の為になるのではなかろうか。男にはわからない要求と屈辱があるだろうが、その先には、安定した奴隷なりの幸せがあるのかもしれない。


 俺が行かなければ、彼女は売られる。

 俺の知らない間に、俺の知らない人間の手中に入り、俺の知らないどこかへ行き、生きてゆくだろう。そして彼女とは、二度と会うことはない。

 でもそれは別に、特別な事じゃない。悲しむようなことでもない。

「この人しかいない」とその瞬間は思っても、その時を過ぎてみると、案外それは、何でもない出会いだと思えたりする。きっとこの出会いもそうなのだ。

 別に俺は、シルファに運命を感じたわけでもなければ、他の何かを感じたわけでもない。ただ、あの熱い潤んだ瞳に、保護欲をくすぐられただけなのだろう。


「買おうと思ってますか?」

「……いや」


 クティは、なかなか鋭かった。

 それか、俺がわかりやすいのか。だが俺もやっぱり女々しい男で、「買うつもりはない」とか「買わない」とか、そういう言葉を口にしないようにしている。


 昼が過ぎ、夕方になってもジャンヌは帰ってこなかった。

 俺とクティは、夕方まで聞き込みをしていたが、ジャンヌの事も、そしてカール王子暗殺の首謀者に繋がる情報も、何も得ることができなかった。


 そして夜、俺は早くベッドに入った。

 このまま寝てしまおう。そうすれば、気付いた時にはすべてが終わっている。終わっているなら、諦めもつく。諦めることができれば、今すべきことに集中できるというものだろう。

 目を閉じる。


 ……

 …………

 …………――――。


「寝れねぇぞちくしょう!」


 結局俺は、気付くとパトラッシュを連れて海岸沿いを歩いていた。



「やっぱり来ると思ってたよ」


 タニザキがそう言って俺を迎える。腹が立ったが、仕方がない。その通り、お前の予想通り、俺はここに来た。エルフの奴隷を買うために。

 パトラッシュは洞窟の外に待機させている。


 すぐに商談――金の話になった。

 俺はその場で50グロウルを頭金として払い、あとの450グロウルは、三年以内の分割払いで払うことになった。

 三年で返済できない場合は、俺も奴隷になって彼らに売られるという契約だが、問題ないだろう。三年と言わず、一年で、いや、半年で、全額返してやる。


 シルファの枷が外され、よろよろ、と、彼女が俺の前にやってきた。

 俺は、倒れ込みそうな彼女の肩を支えた。彼女のやわらかい感触が、俺の肘のあたりから伝わってくる。――支えた拍子に、彼女の胸が当たってしまったのだ。思いがけずいい思いをしたが……いやいや、そんな目的のために彼女を買ったわけじゃない。


 その時、彼女は何か言葉をしゃべったが、何て言ったのか、俺にはわからない。

 それから彼女は、例の瞳で俺を見上げた。

 グッとくるものがあった。

 何かを訴える、そんな瞳である。エメラルドブルーの、潤んだ瞳……。


「同じ日本人に買って貰えて良かったよ」

「金ができたらどこに持っていけば良いんだ?」

「ドーロン商団の商館でいい」

「わかった」


 俺はタニザキに背を向け、タラップに向かった。

 シルファがすぐ後ろからついてくる。

 ドーロン商団……。


 一瞬、グリムは嫌な予感を覚えた。

 ドーロンという名前を、関係のない所で二度も聞く。これが偶然なら良いのだが――とそう思った時、グリムは、右の背中に熱い痺れを感じた。


 なんだ?

 手をやると、そこだけびっしょり濡れていた。

 水か?

 手のらを見ると、そこには、赤い液体がべっとりついていた。


 ――何? 血か?


 急に、痛みが鋭くなった。

 視界がぐらつく。痛みと吐き気で、蹲ってしまう。

 ふうっと息を吐き、振り返ると――シルファが血の付いたナイフを持って立っていた。


 なんで……。

 声が出せない……。


「ひゃっひゃっひゃ、お前で三人目だよ」


 タニザキが言った。


「エルフが500グロウル? もうちょっと相場の勉強をしておくんだったな。エルフなら安くて1000、そいつなら、2000は下らない」


 タニザキは、狡猾そうな瞳で俺を見下ろし、笑っている。

 完全に、やられた。

 俺はその場で封魔の手枷と足枷を嵌められた。そんなことより、先に出血を何とかしてくれ……。

 それとも、ここで殺す気なのだろうか。


 シルファが、ナイフを持ったままタニザキに詰め寄って何か言っている。

 あのナイフで、あいつも刺してくれないかな?

 あ、ダメだ、ナイフ奪われた。海賊たちに枷を付けられて、昇降口の階段に消えてゆく。


「もう少し話もしたい。殺すのはいつでもできるからな」


 タニザキの営業スマイルが狂気じみて見えた。

 俺の意識は、だんだん遠くなっていった。

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