第32話 ならず者の町
船を下りると、早速何だかよくわからない小男がやってきて、金を出せとか何とか言ってきた。この港に足を踏み入れた代金だという。ジャンヌは、言われるままに銀貨二枚を差し出そうとした。
しかし、俺がそれをやめさせた。
俺が払うさ。と、そんな雰囲気で、金貨を出す。小男の目が輝く。
俺はそれを、男の顔の近くで泳がせて、それから、海に向かって軽く放り投げた。ちょうど、頑張れば取れるか、取れないかくらいの距離に。
男は、すばらしいセービングを見せるゴールキーパーのごとく、金貨にダイブした。俺は、『ダークバインド』によって金貨を、空中でピタリと止めた。目測を誤った小男は――。
ばしゃああん!
見事に水しぶきを上げて海に落ちた。
ばしゃばしゃと何か喚きながら叫んでいるが、俺は言葉が分からない。無視だ無視。
――この町カナンは、流石〈ならず者の町〉と呼ばれるだけあって、こっちが金持ちと見るや、何やかんや理由をつけて金をふんだくろうとしてくる連中がウヨウヨしている。いちいち払っていたら、50グロウルあったって一日と持ちやしない。
「いいのですか?」「大丈夫なのですか?」と、真面目な宮廷学者クティは、俺が雑な断り方をしたり、軽い制裁を加えるたびに、そう聞いてきた。きょろきょろと、落ち着きなく視線を移動させている。
通りを歩けば飲んだくれ、吐き気を催すような臭いが急に漂ってくる。生きているのか死んでいるのか、布を頭からかぶって蹲っている人間のペア。
大通りにはきらびやかな店が立ち並び、綺麗に舗装された道を、豪奢な馬車が行き来している。
富むものは富み、貧なるものはどこまでも貧しくなってゆく。ここは、格差など全く気にしない、そういう町なのだとすぐにわかる。
俺たちは、大通りに面した宿に泊まることにした。
途中、馬など乗れないような太った商人に呼び止められ、その馬を売ってくれないかと、パトラッシュをねだられた。金貨100枚、いや、200枚出すとか言われたが――俺は、「ノー」と言ってやった。
実際にはクティがそう言ってくれたのだが、少し気持ちが良かった。青い毛の、鱗の生えた馬は流石に珍しいらしい。まぁ、どんなに金を積まれても、売るつもりはない。この子は、俺の唯一の友達なのだ。俺は【ダークメイジ】だが、友達を金で売るほどダークになった覚えはない。
宿屋にて、俺は一人部屋、当然だが、女子二人は別室になった。
ふうっとベッドに飛び込む。柔らかい。船のベッドとは段違いで寝心地が良い。ふらふら揺れることもない。
今日はもう、寝ようかな。
朝飯前なんかに魔物と戦って、疲れてしまった。寝よう。
――あれ、俺、ここに何しに来たんだっけな。
……思い出すのに時間かかかってしまった。そうだ、カール王子を暗殺しようとした、黒幕を探しに来たのだ。本当にここにいるかどうかはわからないが、この町なら手掛かりくらいはあるだろうという、ジャンヌの推測による。
そして俺も、ジャンヌの推測は正しいと思った。
宮廷魔術師は、このあたり一帯では最も優れた魔法使いの一人と考えて良いだろう。そんな魔術師が、毒のカモフラージュを見抜けず、呪毒の解呪もできなかった。まるで、遊ばれていた。
そんなことができる魔術師は、この界隈にはそういないだろう。そしてそんな悪の魔術師は、業界では有名人に違いない。まして、この町のワルが知らないわけがない。
――でも、今日はいいや。
疲れた体で何かやったって、集中力も欠けてるし、頭も回らない。ドンパチあった時体が動かないでは、命に関わる。
だから今日は、寝よう。まだ昼だけど、ジャンヌもクティも文句は言うまい。
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「すぐに調査を始めたほうがいいわ」
「でも、グリムさん、寝ちゃってますよ……」
「寝かせておいてあげましょう。今朝あれだけ戦ってくれたんだもの」
ジャンヌとクティは、調査の段取りを話し合った。とりあえずは、危なくなさそうな酒場で情報を集め、それをもとに、路地裏の酒場や情報屋を訪ねる。
第一の手掛かりは、〈チゴニア〉である。
王の許可を得ていない商人、商団は毒物を取り扱ってはいけないが、この町の商人、とりわけ船を使った貿易商は、密輸入を平気でやっている。カール王子の毒殺計画に使われた〈チゴニア〉は、この町に由来していると見て良いだろう。
どの貿易商が、いつ、誰にそれを渡したのかを調べれば、おのずと真犯人が浮かび上がってくるはずだ。
そして第二に、呪術師。
呪術師が事件の黒幕なのか、あるいは雇われただけなのかはわからないが、少なくとも、関わっているのは確実だ。『グノヴァの呪毒』を使える魔術師は特別珍しいわけではないが、高レベルのそれが使えるとなると話は別である。そしてまた、毒を隠すための、何かしらの隠ぺいの魔法も、その呪術師は使っている。
そういう仕事をする呪術師を聞き出して的を絞って行けば、真相に近づける。
方針が決まり、早速捜査を始めようとしたとき、二人の部屋に訪問者がやってきた。
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目を覚ますと、すでに夜だった。
眠っている途中、クティが来て何か言っていた気がする。確か……緊急のクエストを頼まれたとか何とか――俺は顔を洗い、水を飲んで一息ついた。
そうだ、ジャンヌが緊急のクエストを頼まれて宿を出たと、クティが報告しに来たのだ。クティは……部屋で眠っているだろうか。
もう一口水を飲んで、やっと意識が鮮明になってきたとき、扉が叩かれた。
こんな時間に誰だろうか?
特別な用事か……?
もっとも、誰がどんな用事で来ても、言葉が分からないからどうにもしようがない。クティはたぶん寝ているから、起こさないといけないかもしれない。少し、気が引ける……。
居留守を使おうか、なんて思っていると、声がした。
「夜分遅くにすいませーん」
俺は、日本語に反応して、ほとんど条件反射的に扉を開けた。
扉の前に立っていたのは、俺と同じ歳くらいの男だった。
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名前 :タニザキ・コウ
クラス:レンジャー
Lv:Lv10/45
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タニザキ・コウ。
完全に日本名じゃないか。しかも容姿は、黒髪に黒い目――日本人だ。ということは、この男も召喚された人間、召喚人。
「ええと、通じてる?」
俺は頷いた。
この男の何となくずる賢そうな目も、そしてやたらなれなれしい言葉遣いも、ほとんど気にならなかった。
「あぁ、良かった。やっぱり召喚された人間だったんだ」
「貴方も?」
「あぁ、町で見かけてさ、もしかしたらって思ったんだけど、いや、声かけてみて正解だったよ。俺はタニザキ。ええと、グリムでいいのかな?」
「はい」
「あ……寝てた?」
「いや、起きてたよ」
タニザキは、常に笑顔だ。営業スマイルの笑顔。一体俺に何の営業をする気なのか。クラスも【レンジャー】と、ちょっと油断できない。盗賊とか海賊とかも、【レンジャー】の部類なのではないか?
良く知らないが、とにかくこのタニザキという男は、同じ日本人だからと言って、軽く信用すべきではないだろう。一見快活で、愉快な男のように言えるが、果たして……。
その後、俺とタニザキはその場の立ち話で、元の世界で何をやっていたとか、ここに来て何があったとか、そういうことを互いに話した。俺は全部をタニザキには話さず、特にこの世界に来てからの事については、その多くを伏せて話を合わせた。
一方タニザキは、この世界ですでに一年ほど過ごしているという。最初のうちはゴブリンにも苦戦していたが、この町でクエストをこなしながら生活するうちに戦いにも慣れ、半年前に大手の商団に入ったのだという。
俺には全く分からなかったが、幾人か、ビッグネームの名前も出てきた。肩書でいう所の、王や貴族やギルドマスター等である。そういう相手と、直接取引をしているという、半ば自慢話のような話をタニザキは俺に話した。
それから、ついにタニザキは本題を切り出した。
「エルフって知ってる?」
やっぱりこの世界には、エルフがいるらしい。
本当に耳がとんがっているのだろうか。色白で、金髪で、そして美しいのだろうか。夢が膨らむ。
「今ちょっと、買い手を探してるんだけど」
「買い手……って、それって、人身売買か?」
「平たく言うとそうだね。この世界には普通にあるんだよ、人身売買が。で、俺の商団はそれでも商売をしててさ」
「うわぁ……」
お前、何それに加担してんだよ。ここが異世界だからって、それはさすがにダメだろう。法律がどうこうじゃなくて、モラルとして、ダメじゃないのか。
海外に行って売春営業に加担するのはこういう連中なんだろうな、とか思ってしまう。
「こればっかりは、一人の力じゃどうにもならないんだよ。だからさ、せめて良識のある人間に買って貰いたいんだ。日本人なら、そこは安心できるからね」
「俺に、エルフを買えって!?」
「金なら安心していい。ローンとか組めるし」
「いや、そういう問題じゃないだろう。いくら異世界だからって――」
「ここはそういう世界だから、しょうがないんだって。商売としては、別に誰でも、買ってさえくれればいい。でも流石に俺もさ、自分の売った人間が、性奴隷みたいな扱いを受けるのは嫌なんだ。でも、女を売ると大体はね……だから、できればそういうことをしない人間に売りたいんだ。どうせ売るならさ」
一目でも見てほしいと言われて、結局俺は、買うかどうかは別にして、彼の船に行くことにした。
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船は、町から徒歩で三十分ほど海岸沿いを行った先の洞窟の中に停泊していた。
洞窟の中、篝火に照らされた船は、まるでドラゴンのようだった。
俺の他にも幾人か「買い手側」の人間がいて、そいつらは皆、顔を布で覆っていたが、権杖を持っていたり、大粒の宝石がはまった指輪を五つの指にしていたりと、誰もかれも金持ちのようだった。
俺も顔を布で覆い、その連中の中の一人になった。
船の甲板の上に連れられて行き、そこで待たされること五分ほど――手枷、足枷を嵌められた奴隷たちがぞろぞろと十人ほど、目の前に陳列された。
金持ち連中は、並べられた人間たちを、じろじろ見て回った。見るだけでなく、顎を持ち上げてみたり、服をまくってその中を確かめたりもした。奴隷たちは、視線を床に落としたまま、無表情だった。
抵抗が無意味だと、船の檻の中で知らされたのだろう。皆、されるがままにされている。どこを触られても、見られても、唇が少し動く程度である。
金持ち連中と、そして奴隷を売る海賊たちは一方で、奴隷たちを品評しながら愉快に話している。ガハハハと笑いながら、酒まで飲んでいる。
やっぱり来なければよかったと俺は思った。
できることなら、この場で全員救い出してやりたい。できるかどうかはわからないが、できる可能性を、今の俺は持っている。
だが、きっとそれは何にもならないということも理解している。
この場で彼らを自由にした後、俺は、彼らはどうなる?
結局また捕まるのだろう。俺も、彼ら全員を守り切れるわけではない。それどころか、自分一人だって難しい。
もう帰ろう、そう思って顔を上げた時、俺は一人の少女にじっと見つめられているのに気づいた。金色の髪の、耳の尖った、色白の美しい少女である。
少女は、うるんだ瞳で、俺に「助けて」と訴えているようだった。
「その子はシルファっていう、エルフの女の子だよ。気に入った?」
タニザキが気付いて話しかけてくる。
「この子は、いくら?」
俺は自然と聞いていた。
「500グロウル。きっと人気あるから、もっと高値がつくと思うけど、お前が買うっていうなら、それでいいよ」
「……」
「明日までに決めてくれれば、優先的に売ってあげられるよ。でも明後日以降になると、ちょっと約束できないな」
見れば、他の連中もこの、シルファという少女に関心を持ち始めていた。
金持ちどもの布から出た目が、にたありと笑うのが見える。
「買うなら、明日、ここに来てくれればいい」
俺は、シルファが物色される様子を見たくはなかったので、そこで帰ることにした。彼女は――俺の背中をどんな目で見ていたことだろうか。
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