第30話 船上の戦い
明け方、俺は目を覚ました。
勝手に上半身が持ち上がり、意識はすでに覚醒している。
そのことが何を意味するのか、俺はもう知っている。俺に危害を加えようとする何かが近くにいるのだ。その気配を、俺の第六感が感じ取って、体に命令を出した。
――「起きろ、臨戦態勢だ」、と。
すでに開け放たれた(というか壊れた)扉から顔を覗かせる。
廊下には誰もいない。俺の部屋の右はジャンヌとクティが泊まっているが、まだ寝ているのだろう。ジャンヌは、まだ何も感じないのだろうか? 恐らく彼女も、悪い気配には敏感なはずである。
俺は、何かに引っ張られるように廊下を歩き、甲板に出た。
船乗りの数人が、甲板をブラシで磨いている。驚くほどピカピカで、比喩でも何でもなく、床は鏡のようになっていた。
俺が出てゆくと、船乗りは俺に声をかけてきた。
「おはようございます」
俺も一応挨拶を返す。
そして、遠くを見る。黒い雲が、こっちに近づいてきているのが見えた。それを見た瞬間、俺は確信した。
魔性雲だ。
俺は部屋に戻ってジャンヌとクティを起こした。
寝起きのクティとジャンヌは、なんというか、甘酸っぱい香りがしてそれだけでクラッと来てしまったが、今はそれどころではない。それどころではないのに……クティの乱れた髪や、寝起きでふにゃふにゃした頬、ジャンヌのほっそりした形の良い脹脛等をガン見してしまった。
事情をクティに説明すると、クティはそれをジャンヌに伝え、着替えた後(当然俺はその様子を見ていない)、三人で甲板に上がった。
黒雲は――いや、魔性雲は、さっきより大きくなっていた。
近づいてきたのだ。
船乗りたちはジャンヌの登場でやっとそれに気づき、戦闘態勢を整え始めた。船守の魔術師が出てきて、呪文を唱え出す。雷鳴がとどろき、ぱらぱらと雨が降り出した。
傍らを見れば、クティが杖を持って構えていた。
戦うつもりらしい。だが、俺は当然それを許さない。きっと、というか間違いなく、俺は自分が死んでもあまり後悔しないが、クティが死んでしまったら、一生精神的な引きこもりになってしまうことだろう。
「クティは下がってて」
君の為にも。そして、俺の為にも。
「ごめんなさい、私、何もできなくて」
「いやいやいやいや!」
俺は慌ててフォローする。
黒魔術しか使えない俺よりも、この世界にとっては、君の方が何千倍も意味のある存在じゃないか。見た目も可愛らしいし、それだけでも、宝じゃないか。
「クティに怪我、されたら、俺、生きていけない」
なぜか片言っぽくなってしまったが、そう伝えた。
クティは素直に下がってくれた。
なんて素直ないい子なんだ。
そしてジャンヌはジャンヌで、俺に目配せをして、笑顔を向けてくれる。彼女はやぱり、テンプレの女騎士ではない。堅物な、武家みたいなな剣士ではなく、あくまで、女性の、剣士である。
雨が強くなり、ぬるい風が突風となった。
船乗りたちが身震いする。
そして――魔性雲からタンガタファイターが飛んできた。カンダタと間違えそうだからやめてほしい。それはともかく、何この数!
十や二十じゃない。百、いるんじゃないの?
ざぱあんと、海から何かが飛び出してきた。
さあて、今日はどんな魚介類だ?
----------------------------------------------------------------------------
名前 :――
クラス:カニチャンプ
Lv:8/30
・生存競争を生き残った大蟹界の猛者。
・その甲羅は、鋼鉄のように硬い。
----------------------------------------------------------------------------
巨大な蟹である。大きさ自体は、昨日甲板で泡を吹いてひっくり返っていた蟹よりも二回りほど大きいだけだが、その纏っている雰囲気は「チャンプ」というだけあって、威厳がある。
青銅のような色の甲羅はいかにも硬そうであり、両腕のハサミは、鈍器であり刃物だ。甲羅の上部――腹の上には人間のような顔がある。目と口、鼻の部分は窪んでいる。なんとも妖怪じみた魔物だ。
チャンプは、乗船しようとするタンガタが近くを通ったのを、ハサミで両断してみせた。反射神経も良いようだ。
これは、下手に近づいたら一瞬で殺される。
だが俺は、ヤツに近づく必要はない。
甲羅は確かに堅そうだが、さぁ果たして、俺の黒魔術にその物理的な「硬さ」が通用するかな? あ、でも通用したら、俺はかなりまずいことになる。それはまぁ、やってみなければわからないが――。
やっぱりか、と思った。
ジャンヌが剣を抜き、これは私の得物だと言わんばかりに、チャンプの前に出た。人間相手なら体術も剣術も通用するだろうが、こんな腕が八本もある化け物を相手にできるものなのだろうか?
ジャンヌの剣が、銀の光を放つ。
『ソードマスタリLv3』。流石に強い。これなら、倒せるかもしれない。いや、全然わからないけど。
とりあえず、蟹はジャンヌに任せるとして、俺は他の魔物――今日は他の魚介類はいないから、タンガタファイターの相手をすることにしよう。
一匹ならなんてことなさそうな相手だか、この数となると、まともにやったのではスタミナ切れになって倒しきれないのが目に見えている。まぁ、俺が全部倒す必要はないが、それにしたって――。
あぁ、そうか、別に俺が倒す必要はないんだ。
……あるな、今使えそうなスキルが。そして、スタミナ切れを起こしそうもない方法が。
『呪泉術』――今、雨が降っている。甲板は水浸しだ。
そしてなぜか、タンガタは飛べるのに、この船に降りてから攻撃してくる。ということは、この水たまりのどこかに術を駆ければ、その呪いが、水溜まりから水溜りに伝わって、甲板全体に行き届くのではないだろうか。
だが、問題もある。
ジャンヌや、他の乗組員にも呪い、かかるんじゃないのか? しかもこの呪い――『ダークネス・カース』は、悪化すると死に至る。進行度が「Ⅰ」とか「Ⅱ」のうちなら解呪も容易なのだろうが、果たしてこの船に解呪の魔法が使える魔術師は、いるのだろうか?
俺は戦場に背を向けて、昇降楼に戻った。
扉を開けると、そこにはクティと、船守の魔術師がいた。そう、俺はこの船守の魔術師を探していた。
「クティ、その魔法使いに、解呪の魔法を使えるかどうか聞いてくれないか」
クティは頷き、その魔法使いに質問した。
「簡単な解呪魔法なら、使える、みたいです」
よし、じゃあ『呪泉術』で味方にも呪いが掛かってしまうようだったら、彼に解いてもらおう。クティの龍老人の杖を使えば、ある程度は強力な術が使えるに違いない。
――でも、本当にそれでいいのか?
今甲板には、二十人以上の船乗りが戦っている。彼らにかかった呪いを、戦いの中、解いて回るなんてことは可能なのだろうか? いや、その間にステージ「Ⅲ」にまで呪いが進行してしまったら、解けるかどうかわからない。
というか、よく考えたら……解いたところで足元には呪われた水がずっとあるのだから、解いた先からまた呪いにかかるんじゃ……。
ダメだ、この作戦はダメだ。
やっぱり、一匹ずつやるしかないか。それで、船乗りと協力して、できるだけスタミナを持たせながら戦うか。
でもなぁ、なんかもっと、良い方法がある様な気がする。
もっと良い方法が――。
……あるじゃないか。
俺は近くに転がっていたラム酒のボトルを拾い上げ、それに『呪泉術』かけた。
そしてそれを、一口飲む。
うわぁ、最悪だ! そうだ、俺今、二日酔い中だった。だいぶ良くなったとはいえ……ううぅ、気持ち悪い。が、しょうがない。あぁ、体が痺れる、頭と腹と節々が痛い。『ダークネス・カース』の初期症状だ。
俺は片手にラム酒のボトルを握ったまま、昇降楼を出た。
それから、痛い腹をボトルを持っている方の手で庇い、もう片方の手を、回答に自信のない中学生のごとく小さく上げ――『インフェクトカース』。
魔物たちの動きが、一瞬止まった。
よし、効いてる効いてる。俺も、効いてる。これ、早く解呪しないと死ぬんだ。できるだけ急いで、よたよたと昇降楼に戻る。
「ちょっと、俺に、解呪の魔法をかけるように言って」
クティが言うと、魔法使いはすぐにそうしてくれた。
あぁ、だいぶ楽になった。胃の痛みは、たぶん、ラム酒を飲んだせいだろう。一杯だけとはいえ、その一杯が相当辛い。
でもまぁ、良かった。
この魔法使いに解呪を拒否されたら、俺、死んでたな。
これを繰り返せば、相手の数が多くても問題ない。『インフェクトカース』は、二十や三十くらいなら、ほとんどスタミナを使わずに使えることを、俺はすでに、昨日の段階で知っている。
数が多くても、呪いを受けた状態じゃあ、まともに戦えない――否、動けないだろう。しかも呪いは、時間と共に勝手に悪化してゆくのだから。それでも動けるような強者なら、『ダークアロー』とかで相手をすればよい。別に『ダークバインド』でも良いし、『オーバーヒール』でも良い。まぁ、傷口を抉る魔法である『デボートキュア』とのコンボを考えれば、『ダークアロー』か『オーバーヒール』がベストか。
まぁ、そんな魔物がいたとしたらの話である。
俺は再び甲板に出た。
船乗りが、タンガタを圧倒していた。『インフェクトカース』は、まだ飛びながら船を回っているタンガタも対象にしたから、暫くはこのままで良いだろう。ああやって飛んでいる間にも呪いは――って、海に落ちてってるよ。
一方、ジャンヌと巨大蟹との戦いは――、どちらが有利かよくわからない。
ジャンヌの剣は『ソードマスタリLv3』で補強され、体は『バトルスキンLv2』で強化されている。その他に『ファイターフォースLv2』というパッシブスキルが発動しているようである。
対してカニチャンプ。
ステータスを確認して気づいた。タンガタばかり気にしていたせいで、こいつに『インフェクトカース』をかけるのを忘れていた。『ダークネス・カース』の状態異常がない。
カニチャンプの体表には、さっきまではなかった傷が無数についていた。
甲羅のところどころにはヒビが入り、肉が見えている場所もある。左側腹部から出た腕の一本は第二関節から先が無くなっている。
それでもどちらが優勢かわからないのは、カニが化け物だからだ。
全く疲れている様子がない。というか、よくわからない。
対してジャンヌは、少し息が上がっている。
果たして俺は、高みの見物をしていてよい物なのか。だが、ここで出てゆくと、ジャンヌに怒られそうな気がする。命がかかっている戦場ではあるが、ジャンヌもどうやら、そのあたりはテンプレの剣士らしく――正々堂々の一対一を好む傾向にあるらしい。
手を出すな感が、その戦いぶりから伝わってくる。
よし、危なくなったら手を出そう。
あのハサミの一撃をまともに受けたら、あっという間に死んでしまうだろうが、ジャンヌに限って、そんなヘマはしないだろう。
雨がさらに強く打ち付ける。
嵐だ。
俺は一歩引いたところから戦況を眺める。これくらいの距離感が、【ダークメイジ】にとっては丁度良い気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます