第29話 忘翁

 しばらく休んだ後、俺はクティに付き添われ、甲板に上がった。

 扉を開け、そこに広がっている光景に唖然とする。


 魔物も、人も、全身びしょ濡れで転がっている。

 剣が転がっていて、非常に危ない。

 巨大な貝、蟹、浮遊する巨大なタツノオトシゴ、鳥人間……。


「クティ、これは、どういうこと?」

「私にも、わかりません」


 皆、つるつると滑って戦いになっていない。

 船が動くたびに俺は気持ち悪くなるし、甲板の船乗りや魔物は転げまわるし、なんとも間の抜けたひどいありさまである。

 とりあえず、この不快感を魔物にぶちまけてみよう。

 右手をかざす。


 覚えたばかりの『インフェクトカース』を、魔物全体にかけてみる。

 タツノオトシゴは、ぶええっと泡を吐き出して海の中に戻っていった。二枚貝は口を半開きにし、蟹は八本の脚を絡めて身動きが取れなくなり、鳥人間――タンガタファイターは、四つん這いになってしまった。


 ジャンヌが俺を見つけて声をかけてきた。

 恐らく、「一緒に戦って」とか、そういう事を言ったのだろう。だが俺は俺で、もう限界である。魔法を使ってスタミナが減ると、頭痛とかもひどくなる。

 今はこれまで……。

 俺は、そのまま部屋に戻って、寝た。



 次に目を覚ました時、部屋には疲れた顔のジャンヌとクティがいた。

 クティが、船が魔性雲を超えたことを教えてくれた。

 あの後、どのような戦いがあったのか俺は知らないが、全ては、ジャンヌの顔が物語っているように思う。

 命を懸けて戦い抜いた、というよりは、ただ疲労だけが残ったようだ。


 ひるがえって、俺の体調は、だいぶ良くなっていた。

 これもクティの看病のお陰だろう。スケルトンや、甲板の魔物との戦いが、夢の中の出来事だったかのように思えてくる。扉が壊れているのを見て、あぁ、戦ったんだなぁと、微かに思い出すくらいである。


 夜になり、船乗りたちはジャンヌへの礼で、鳥の丸焼きと魚、ラム酒を運んできた。

 見ただけで、胃もたれがする。

 それなのに、ジャンヌは無意識なのだろうか、俺にラム酒を進めてきた。この子は悪魔なのだろうか? もう一度ステータスを確認してやる。


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名前 :ジャンヌ

クラス:ソードマスター

 Lv:39/45

・新進気鋭の女剣士。酒豪。

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 酒豪、ね。

 というか、めっちゃレベル上がってる!?

 温泉街で会った時、まだ20レベル台じゃなかったか? あぁそういえば、俺、この子の裸、見たんだっけ……。勿論、局部は見ていないからギリセーフだ。何がセーフなのかわからないが、弁解しないといけない気がした。


 彼女が悪魔ではないと確認したうえで、俺は甲板に上がった。

 少し夜の風にあたろうと思ったのだ。

 ……潮風が心地良い。ただ、ものすごく暗い。灯がないから当然なのだが、見渡す限りの闇である。どこまでが海で、どこからが空なのかわからない。海面にちらちら光るのは、星の光だろうか。

 そんな闇の中で、月を見るとやっぱりホッとする。

 こっちでもあっちでも、月だけは変わらない。


 ふおおっと、風が吹いた。

 湿気を伴った、生ぬるい風だ。一瞬、魔物の嫌な気配を感じた気がした。気のせいかもしれない。一度の航海で二度も魔物が出るなんてことは、まぁ、考えにくい。統計学は嘘をつかない。

 ――気のせいだろう。


『呼んだかの?』

「呼んでねぇよ!」


 突然出てきた翁に、俺はつい突っ込んでしまった。

 もう何日も話していなかったが、なぜこの、どうでも良いタイミングに出てきたのか。


『どうじゃ、順調かね?』

「生きてるという意味では……順調に道を踏み外してる気はしますけど」

『道を踏み外す?』

「【ダークメイジ】になりましたよ」

『あぁ、そうじゃったな。お主も悪よのぉ』

「……やっぱり嫌われるものですか、【ダークメイジ】は」

『そりゃあ、そうじゃろうな。【ダークメイジ】の黒魔術は、そのほとんどが禁じ手じゃ。良い旅をしたかったら、人前で使うべきじゃなかろう。とはいえ、もう手遅れかの?』

「えぇ、もう……手遅れかもしれません」

『気を付ける事じゃ。すでに黒魔術師狩りの時代は終わったが、その意志を受け継ぐ者らがいる。この世界から黒魔術と黒魔術師を根絶しようとしている者は、少なくない』

「マジですか……」

『大マジじゃ。大抵の魔法使いは、そう思っとる』


 これは嫌なことを聞いてしまった。

 確かに、【ダークメイジ】というだけで町を追い出されたというのを考えれば、納得できる。あの場で殺されなかっただけラッキーだったか。そのうえ金貨50枚とパトラッシュまで貰って……あの時は恨んだが、今思えば、あの町の村長さんとか、良い人だったのかもしれない。


『さて、今日お主のもとに現れたのは外でもない――わしが神をクビになりそうな件について、お主に伝えようと思ってな』

「何ですかその、流行りのラノベみたいなやつ」

『うむ……』

「それで、貴方が神様をクビになると、どうなるんですか? というか、神様にクビとかあるんですか」

『人間のそれとは違うがの、まぁ、クビみたいなものじゃ。わしが神でなくなるとな、お主にこうやって話しかけることができなくなる。それから、アイテムを授けることができなくなる……それくらいじゃな』

「あんまり困らないな……」

『これ! 泣くぞ? わし、そういう事言われると、泣くぞ!?』

「いや、だって……」

『まぁ確かにの、わしは老いぼれのゴミ神じゃ。そう言われても仕方ない……』

「いぢけないで下さいよ。俺だって半分は冗談なんですから」

『半分は本気か!』

「そりゃあ、ねぇ?」

『もう良いわ! 全く、最近の若い者は……で、何の話じゃったっけ?』

「だから、貴方がクビになる話です」

『まだ決まったわけじゃないわ!』


 この爺さん面倒くさい。

 本当に、面倒くさい!


「それで、何だって言うんですか。俺ちゃんと、貴方が俺をここに召喚した目的を探すために、したくもない冒険してるんですよ。危険を、冒してるんですよ。貴方がクビになるってことは、俺はもう、そんな目的捨てちゃっていいんですかね?」

『良いわけあるか!』

「何なんだよ……」

『大事なことだったんじゃよぉ……頼むから、わしの意志を継いでおくれよぉ……』

「あぁもう、そうしますよ。とりあえず、旧バザック領は出られるように頑張ります。でもその後は、どうなるかわかりませんよ。ね、いいでしょう、それで」

『そうか、そうしてくれるか……では、わしから、一つ贈り物を授けよう。最後になるかもしれんからの』

「何ですか?」

『お主の着てるわしのローブ、それを、エンチャントさせてやろう』

「アイテムもエンチャントするんですか!?」

『うむ。何かこう、いい感じの、ヤツに……』


 うわぁ、ざっくりだぁ……。

 このとりあえず感、さすが翁である。あ、そういえば――。


「名前、なんて言うんですか?」

『名か? 翁じゃよ?』

「そんな神様いないって言われましたよ。老神の総称を翁というんでしょう。何かないんですか、龍老人とか、北極老人とか……」

『そう言われてもな……わしは、翁じゃよ』

「忘れてるだけじゃないんですか」

『いや? わしは他に呼ばれたことはない。が、お主が何かほかの呼び名があった方が良いというなら、そうじゃ――つけてみよ』

「え、名前ですか?」

『うむ。お主の名前だってわしがつけたんじゃ。今度は、お主がわしにそれをつけてみよ』


 えぇ……神様に名前付けるとか、いくら相手がおんぼろのボケ老人で、自分の事をゴミ神とか呼んでるクビ間近のご老体だとしても、一応は神である。

 そうだなぁ、何がいいだろうか……。


「忘翁、なんてどうですか?」

『なんじゃ、忘れるって、悪口か』

「じゃあ――」

『いや、それで良い。忘翁、一周して面白いわ。さて、そろそろ時間じゃ。ローブじゃがな、良いタイミングでエンチャントするようにしよう』

「ざっくりすぎるから!」

『あとはまぁ、いろいろあるが……達者でな』

「え、本当にこれで――」


 声が消えた。

 遠ざかってゆくのが分かる。今までとは違う感じだった。


「お別れなのかよ……」


 まぁ、あの老人のことだからわからない。

 またひょっこり『呼んだかの?』とか言って出てきそうだし。

 ……なんだよ、好き勝手言って、勝手に消えやがって。ちくしょう、言ってやりたいことは山ほどあったんだ。あのボケ老人、俺をどうして召喚した!


「ふざけんなボケ老人!」


 闇に向かって叫ぶ。

 最後に名前だけ付けさせて、何だっていうんだ。目的を言え!


 夜は沈黙だけを返すのだった、って…やめてくれよ。

 しんみりとか、俺はともかくとして、あいつのキャラじゃない。

 ……忘翁、文句だけでも聞いてくれやしないのかな。

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