第28話 黒魔術を使う酔っ払い
ダイジェストのように、ここまでの断片が思い出される。
二日酔いのまま宿を出た俺は、馬車で運ばれ、船に乗せられ、今に至る。今だ、ぐわんぐわんと目が回っている。こんな酔い方、初めてだ。人生最大の二日酔いかもしれない。吐き気があまりないのが救いである。この世界の酒は、二日酔いに優しいのかもしれない。
「うーん……」
ジャンヌとクティが、たまに様子を見に来てくれているらしい。たまに目をあけると、どちらかがいる。二人は俺と目が合うと何か話しかけてくれたが、俺はそのことごとくを覚えていない。
『しっかりせい!』
夢と現実の間で、翁にそう言われたような気がした。
そういえば、もう何日も、翁と話していないな……。
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「完全に、二日酔いですね」
「ごめんなさい。私が飲ませすぎちゃったから……」
「でも、船の上ですから、大丈夫ですよ」
「そうだといいんだけど……」
クティは首を傾げた。
ジャンヌは、何か引っかかりお覚えていた。出航した時は、空は晴れ渡り、海も穏やかで、日の光にきらきらと輝いていたのだが――それが次第に、様子がかわってきていた。
「嵐でも、来ますかね?」
「嵐は分からいけど……風がね」
風が気になっていた。
ぬるっとした生暖かい風が吹き、ジャンヌは、背中を撫でられるような、何とも嫌な感覚を覚えていた。空の景色も、真っ青だったのが、雲がちになり、その雲もコバルト鉱の原石のような、暗い灰色に変わっていた。
そして、船の進む先の空には、暗雲が帯になって重なっている。
「魔物、ですか?」
「うん……もしかすると、魔性雲かもしれない」
「えぇ……」
クティは、ちらりとグリムを見た。
グリムは呻きながら眠っている。
「彼は、寝かせておきましょう」
「大丈夫、ですかね?」
「この海域で魔性雲は珍しいから、あれが本当にそうかどうかはわからないわ」
「何でもなければ良いんですけど……」
「大丈夫よ」
ジャンヌがそう言うなら大丈夫なのだろう、と思えてくるクティであった。しかしジャンヌは、船の先にある黒雲が魔性雲だと、確信めいた予感を感じていた。
必ず魔物が襲ってきて、戦いになる。
この海域で魔性雲が出るのは珍しいことだが、あれはきっと……。
船乗りたちが、ばたばたと走る足音が増えてきた。
昼過ぎである。何もなければ、船乗りもこの時間は、のんびり昼食をとるはずであるが、その雰囲気はない。
ジャンヌは、クティに部屋を出ないように言うと、甲板に上がった。
魔性雲の特徴は、その暗さと、そして高度にある。
普通の雲よりも随分低い所に、入道雲のように重なって現れるのである。瘴気を帯びた生ぬるい風が漂い、船を追いかけていた海鳥も、いつの間にかいなくなっている。
「ヒシケだ」
雲を睨みつけながら、船乗りの一人が言った。
「ヒシケ」。魔性雲で海が荒れることを、船乗りたちがそう呼ぶのである。やっぱり来たか、とジャンヌは思った。
そうなると、もう逃れる術はない。
運が良ければ、魔物が出現しないまま魔性雲を通り過ぎることができるし、そうでなければ、魔物と戦うことになる。
船乗りたちはすでに武器を手にしている。
船守の魔術師は、呪文を唱えて船を囲む結界の力を強めている。
やがて――。
「来たぞぉ!」
船乗りが叫んだ。
同時に、船の四方八方から、ざばあんと水しぶきを上げて、魔物が飛び出してきた。魔物は、貝の化け物だった。1メートルはあろうかという、巨大な二枚貝。
それが、甲板に乗り込んできたのである。
船乗りたちは鉄の鈍器を持って、二枚貝と戦い始めた。
魔物はそれだけではない。
透き通った四枚の翅を生やした、2メートル超のタツノオトシゴも現れる。ラッパのような口の可愛らしい外見だが、非常に厄介な魔物でもある。その口から、泡のブレスを放つ。
「蟹がきた! 大王シオマネキだ!」
二枚貝に混じって、巨大な蟹も入ってきた。
左腕がやたらと大きい蟹である。ハサミは強力で、人間など簡単に押しつぶす握力を持っているが、この巨大蟹の攻撃は大抵、ぶんぶんと鈍器のようにはさみを振り回すだけである。
二枚貝、タツノオトシゴ、蟹は船乗りたちに任せることにして、ジャンヌは、本当に危ない魔物の相手をすることにした。
暗雲の中から飛んでくる、黒い翼を生やした人間型の魔物。その手には剣を持ち、角を生やし、カラスのような嘴をかちかち鳴らしている。
〈タンガタファイター〉。
ジャンヌは剣を抜き、甲板に降りてきた最初のタンガタに斬撃を浴びせた。十字に斬った空間から金色の閃光が放たれ、それを受けたタンガタは、ばしゅっと音を立てて蒸発した。
ころん、と魔石が甲板に転がる。
すちゃ、すちゃっと、タンガタが続々と甲板に降り立つ。
間違って蟹の上に降りてしまったタンガタもいて、そのタンガタは、ハサミの一撃によって潰された。
別種の魔物同士には、協力という概念はないようだった。
カカカカカッ!
タンガタの声が甲板に響く。
船乗りたちは、その声に震え上がった。
「タンガタは私がやる!」
ジャンヌはそう言うと、タンガタに斬りかかった。ジャンヌの剣が銀の光を帯び、タンガタの剣ごと、その身体を両断した。船乗りたちは、ジャンヌの戦いぶりに驚嘆し――。
「「おぉ!」」
「やれぇ、勝てるぞ!」
「あの女剣士に続け! 海の男の意地、見せてやれ!」
恐怖を克服した。
すでに船守の魔術師は船の中に逃げて行ってしまったが、誰も気にしていない。
ザシュ、ザシュと、ジャンヌはタンガタを次々に斬り殺してゆく。
しかし、タンガタも次から次にやってくる。
「きりがないわね。わかってたことだけど……」
魔性雲の影響下から船が抜け出すまで続く持久戦である。
望むところだ、とジャンヌの瞳が闘志に燃える。
カラカラカラカラ。
と、タツノオトシゴは息を吸い込んだ。そして――。
ブシュアアアアア!
ついに泡のブレスを吐いた。
「うわぁぁ!」
「屈め! 目を閉じろ!」
「バブルブレスだぁぁ!」
しかしジャンヌは剣士である。
戦闘中に隙を見せることなどない。片手で目をかばい、ブレスが終わるとすぐにその手を払って次の得物を探した。
――と……。
ツルンッ!
「なっ!?」
バタン!
ジャンヌは、足を滑らせて倒れた。
バタン、ゴトン、バタン!
タンガタたちも、足を滑らせて倒れた。
ジャンヌもタンガタも、すぐに立ち上がる。両者とも、戦士の俊敏さで剣を構えなおす。が――ガタンッ! バタンッ!
再び倒れる。
波が高くなってきた。
船がゆらゆら揺れる。
「何この泡ぁぁぁ!」
「「「カカカカカカァァァァ!?」」」
「「「うわぁぁぁ!」」」
滑りに滑る。船乗りもジャンヌも、二枚貝も蟹も、そしてタンガタも、ツルツルツルツル滑ってゆく。タツノオトシゴは、無表情で『バブルブレス』は吐き出し続ける。
「ひ、怯むなぁぁ!」
「「「うわぁぁぁぁ!!」」」
「「「カカカカッカァアァア!!」
種族を超えた悲鳴が、甲板に響き渡る。
・
・
・
・
ガン、ガンッ!
扉を壊そうと、何者かが鈍器か何かで叩き始めた。バキバキと、扉の亀裂が入り、斧の刃がちらちらと除く。
その段になって、グリムはやっと目を覚ました。
「うー……胃が痛い……」
そんなグリムの傍らには、龍老人の杖を握りしめて、扉に相対するクティの姿があった。
「クティ、どういう状況?」
「魔物です!」
がんがんする頭で、魔物という単語を考える。
船の上に、どうして魔物が? そういうものだったっけ? まぁいいや、クティが何とかしてくれるだろう。え? クティが? いやいやいや、クティは学者だから、魔物となんか戦えるわけないじゃないか。
……え、ヤバいじゃん!
俺は慌てて上半身を起こす。
「うっ……」
急に起き上がったせいで吐き気が……。
バキっと、扉に大きな穴ができる。そこから、骨の体が見えた。
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名前 :――
クラス:スケルトン・ウォリアー
Lv:30/35
・スケルトンの闘士。
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「クティ、下がって……おぅええぇっ……」
吐き気と頭痛と目眩がひどい。
こんなんで、戦えるのか……?
「クティ、その杖で、俺の二日酔い、治らないかな?」
「ごめんなさい、私、魔法使えません」
「あ、そうか……」
そうだった、龍老人の杖は、治癒系の魔法の能力を引き上げるのであって、それだけでは何も治療できないのだ。
「んー……つらぁい……」
でもしょうがない。やるしかない。
というか、このスケルトン、レベル高いぞ。
どうするか……。無難に『ダークアロー』か? あるいは、『ダークバインド』。
なんだっていいか……。
ガタァアン!
ついに扉が破られた。
スケルトン・ウォリアーは、両手に斧を持った、骨太の魔物である。
「うーん……」
俺は、とりあえずスケルトンに手をかざした。右手に黒い炎が宿る。
(アクティブスキル『インフェクトカースLv1』を会得しました)
俺の体から、見えない何かが飛んでいって、ソレはスケルトンの中に入り込んだ。直後、スケルトンは片方の斧を取り落とし、近くの壁に寄りかかった。
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名前 :――
クラス:スケルトン・ウォリアー(『二日酔い』)
Lv:30/35
・スケルトンの闘士。
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二日酔いが、伝染した、だと……?
今覚えた『インフェクトカース』というスキルか。俺の二日酔い良くなっていないということを考えると、これは――自分の状態異常を「移す」ではなく「伝染す」スキルなのだろう。なんとも迷惑極まりないスキルだ。
そして、骨にも二日酔いとかあるのだろうか?
まぁ、あるのだろう。現にスケルトンは、片手を壁について、気持ち悪そうにしている。
俺はその隙に『ダークアロー』を放って、あっさりスケルトン・ウォリアーを倒した。二日酔い……骨には刺激が強すぎたのかもしれない。
(レベルが21から22に上がりました)
「んー……」
俺はとりあえず、再びベッドに横になった。
クティが水を飲ませてくれる。
いつ魔物が襲ってくるかもわからない、なかなか緊迫した状況ではあるのだが、この体調の悪さは、気持ちだけで乗り越えられるものではない。
意外と人間、こういうしょーもない理由で死んだりするのかもしれない。頭上には大量の魔物の気配を感じる。
しかし――。
「もうちょっと、もうちょっとだけ、休ませて……」
俺は、クティに頼み込んだ。
あぁ、吐きそう……。
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