第26話 真実の一片

 連れてこられたのは、一軒の二階建て家屋だった。一般の邸宅よりも大きな家で、子供が駆けまわるには充分な庭があり、庭に見合った黒塗りの鉄門がどしっと構えている。


 クティが門を軽く叩いて暫くすると、家の中から執事が出てきた。

 執事とクティは顔馴染みで、すぐに中に通された。ちょうどその人物は、食事中だった。


 俺たちは食堂に案内された。

 細長い5メートルくらいのテーブルに、男と、その妻と思われる女性が座っていた。二人は、クティがやってくると、笑顔で迎えた。俺はその後ろから、ちょこんと顔を出す。

 女性の方は三十過ぎくらいの、西洋系の美人である。

 そして男の方は――気弱そうな雰囲気の、ひょろっと華奢な男で、歳は三十代後半くらいだろう。そして彼は、日本人のようだった。


 男と目があった瞬間、俺はドキリとした。

 勘違いしないでほしいが、別にときめいたわけではない。ただ、何かを感じたのだ。ビビっとくる、という表現が正しいだろう。そしてその感覚は俺だけではなく、相手の方も感じてっているだろうと、なぜだか確信できた。

 決して、一目惚れとかではない。とはいえ、それに近い感覚なのかもしれないが。


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名前 :ヒサト・サーディン

クラス:ファイター

 Lv:15/15

・拳を収めた男。

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 男――ヒサトは、何かを悟ったかのように口を開いた。


「貴方も、日本から来たんですね」


 この人、やっぱり日本人だった!

 ちゃんと、日本語をしゃべっている。


「はい」


 答えた俺の声は、震えていたことだろう。

 返事を聞いて、マサトは、にっこりと笑った。


「私に、日本言葉を、教えてくれる、先生です」


 クティが教えてくれる。

 俺たちは席に座り、メイドが夕食を運んでくれた。俺は、彼にいろいろと聞きたいことがあったが、聞きたいことが多すぎて、結局何一つ聞けないまま、美味しいトマトのスープを口に運ぶのに徹するのだった。


「クティさんから聞いてます。貴方は、カール王子を救ったとか」

「いえ、俺はそんな……ちょっと温泉に、行ってただけです」

「いやぁ、大したものだ。同じ召喚人――学術的には、アニマンというらしいのですが、同じ、そう――同じ日本人として、感服するばかりです」

「いえいえ……」


 この人、超いい人だ。

 穏やかだし、優しそうだし、年下の俺に、丁寧語とか使ってくれる。体育会系の会社にいせいか、それだけのことで、俺は感動してしまった。


「私は五年前に、ここに召喚されたのですが、戦いの方はもう、諦めてしまいました」

「クラスエンチャントは、しないのですか?」


 見たところによると、彼は【ファイター】の15レベル。

 どこでエンチャントできるのかはわからないが、その資格はあるはずである。


「いやぁ、もう、怖くなってしまって。喧嘩にはちょっと自信があったのですが、ここでのそれは、喧嘩とは全然違いました。ははは」

「五年も、ここにいるんですか?」

「はい。もう、向こうに戻るつもりはありません」

「え!?」

「最初のうちは、そうしようかなと思う時もありました。が、彼女と出会い、娘ができ、私にはもう、こっちの世界の方が大事になってしまった」

「そういうことも、あるんですね……」


 俺はどうだろうと考える。

 だが、そんなことよりもまず、目的だ。俺が召喚された目的を、少なくとも果たすまでは、向こうには戻れない。別に戻っても良いのだが、なんだかそれは、俺の中のA型魂か何か知らないが、そういうものが許さないのだ。


「ヒサトさんは、目的を達成できたのですか?」

「……いや、無理でした」


 ヒサトは静かに首を振った。


「私は、金冠武王に召喚されました。女神の使人と共に、魔物の軍勢と戦うために」

「今は、戦っていないんですか?」

「はい。私はここでの暮らしに満足してしまいました。武王様には申し訳ないことです……」


 俺は、何とも言えなかった。

 そういう生き方というか、身の振り方もあるのだなぁと改めて思う。温泉宿に居座って、ずっそこで暮らし続けるというのも、やっぱり一つの生き方として、間違いではないのだ。


「グリムさんは、どちらの神様に連れてこられたのですか?」

「自分は……翁、という神様らしいです」

「翁様? 老神の一人ですね」

「知ってるんですか!?」

「それなりには。しかし老神にもたくさんあります。有名どころでは、北極老人、龍老人、寿雲老人……全て、翁と言われる老神です」

「そうだったんですか……え、じゃあ、わかりません」


 あの老人、まさかとはおもうが、自分の名前、忘れているんじゃないだろうか。

 いや、たぶん、忘れているのだ。覚えていたら、それくらい言うはずである。しかし一つ言えるのは、決してマサトが言ったようなメジャーな老神ではないということ、これだけは確実である。


「神って、俺たちを召喚して何しようっていうんですかね?」

「神様の目的はいろいろです。武王は、戦いに使人を送ることによって、その信仰を集めようとしるようです」

「女神というのは、何なのですか?」

「有名なところだと、光の女神、戦女神ですね。女神は、この世に魔物がはびこるのを嫌うようです」


 俺は今、ものすごく大事な情報を手に入れたようだ。

 神は複数いる。神の目的は神ごとに違うが、例えば女神には共通の「退魔」という目的があるらしい。ということは――。


「老神たちの目的は、何なんですか?」

「それは、わかっていません。女神や武神、魔神たちと違って、老神はそれぞれに目的が違うようです」

「なんて協調性のない……」


 まぁ、協調を求めるのは無理かとも思う。

 龍老人は、妖精の裸体を覗き見するのが趣味の変質者だし、俺を召喚した翁は、度し難いボケ老人。恐らくその系列であろう、遺跡のウルドとかいう老人や祠の主も、少し変だった。

 そんな老人たちが一堂に会したとして――皆好き勝手に行動し、好き勝手な話題に盛り上がっているところが目に浮かぶ。それはさておき――。


「魔神って、やっぱりいるんですか?」

「えぇ、残念ながら……」

「それってつまり、いわゆる一つの……魔王というヤツですか?」

「うーん、ちょっと違いますかね」


 ヒサトの説明によれば、神はどんなに頑張ってもこの世界には直接干渉できないようなのだ。つまり、降臨して動き回ること、その力を振るうことはできないらしい。そうできない祝福だか呪いだかが、この大地――現世にはかかっているというのである。

 しかし、魔王はいる、ということだった。

 魔物の中で特別に強い者であったり、魔神を信仰することによって力を得た者であったり、あるいは……魔神が召喚した人間が経験を積んで、魔王になったりする、らしい。

 じゃあ具体的に魔王とは何だ、というのは特に基準があるわけではないという。魔神の何らかの加護を受けていて、自称でも通称でも、『魔王』と言ったり呼ばれたりしていれば、それは『魔王』ということになるのだ。

 なんとざっくりした設定なのだ、とも思ったが、確かに『魔王』という言葉自体、ざっくりしたものなのだからしょうがないのかもしれない。


「ジャンヌさんは、女神の加護を受けた剣士です。こっちの言い方では、『聖約の戦士』と言います」

「へぇ……」


 知らないことばかりで驚かされる。

 さすが、こっちに移住を決め込んだ人間だけあって、年季が違う。なのに【ファイター】止まりでエンチャントもしないというのは、大分不思議だ。戦わなくたって、エンチャントだけはタダなのだから、すればいいのにと思ってしまう。

 まぁ、そうできない理由、したくない理由があるのだろうが……いやでも、それを言ったら逆に、俺がクラスエンチャントをしている理由も謎だ。自分のことながら……状況に流されているだけなのかもしれない。


 そう考えると、やっぱり俺は、地に足がついていない。

 自分の意志でクラスエンチャントをしない彼と、環境に流されてエンチャントした俺。一瞬でも、『俺の方が強くね?』とか思ってしまった自分が情けない。

 俺の方が圧倒的に弱いじゃないか。


 その後は、楽しい会食になった。

 日本の話題には、ヒサトの奥さんもクティも興味津々であり、時間はあっという間に過ぎていった。

 宿に戻った俺は、再び一人の部屋、天蓋付きのベッドに座り――そう言えば、明日でクティともお別れかもしれないんだな、と思い出した。


 別に、ここに居続けてもいいんじゃないか?

 いや……クティがいるから、という理由でここに居続けることはしたくない。小学生じゃあるまいし、それは、クティにとっても、俺にとっても不幸なことだろう。俺は俺で、自分の道を決めないといけない。


 自分の道を……。

 酒でぼんやりとする頭の中で、俺はそんなことを思いながら、眠りに落ちた。

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