第25話 リノーで一息
町を治めているのはカールの兄、トーバスという王子だった。トーバス王子はクティからの話を聞くと、すぐに調査団を編成し、事実究明に乗り出した。俺が犯人ではないと確定するまで、俺はリノーを一歩も外に出てはならなかったが、その待遇は、驚くほどに良かった。
リノーでの一日目は詰所の簡易牢だったが、二日目になると、手枷や足枷は外されて、何と、高級宿まで用意してもらえた。どうやらトーバス王子は、クティの言うのをほとんど信用しているようだった。
おかげでこの数日の間、俺は悠々自適な異世界ライフを楽しんでいる。
高級宿にはメイドがいて、言葉は通じないものの、いい気分である。この世界にも紅茶があって、俺が紅茶がほしいと、カップで飲む動作をすると、メイドたちが、すぐに紅茶を淹れて持ってきてくれる。
そう、俺の為だけに。
いや、わかってるんだ。彼女たちは、仕事でやってくれているだけだって。でも、やっぱりいいもんだ。まるで上流階級の仲間入りをしたような、そんな、気分。
寝てるだけで食事が運ばれてくる。
マッサージだって、頼めばいつでもやってくれる。このままじゃあ人間駄目になるなぁーと思っても、ずっとぐだぐだしていると、別に、ダメになってもいっか、と思えてくる。
そんなことを繰り返して数日が過ぎた後、ふと感じるのは……寂しさである。
言葉が通じない寂しさ。話ができない寂しさ。
あれから、クティと会っていない。クティに会いたくても、誰かにそう伝えることができないから、彼女の方からここに来てくれない限りは、会うことができないのだ。
結局俺は、孤独なのだった。
十日が過ぎて、気づくと俺は天蓋付きベッドの、生活感の無いきれいな部屋に、一人佇んでいることが多かった。ただじっとしていて、二度寝、三度寝を繰り替えしたり、夜は星をただ眺めたりを日がな繰り返していた。
魔法の練習は、する気にはなれなかった。
クロイツの断末魔が耳に残っているとか、そういうわけではない。ただ、黒魔術というのは、使っていて楽しい物ではないのだ。派手な何かが起こるわけでもなく、ただ地味に、地味に、呪いをまき散らしたり、苦痛を与えたりする、そういうものだ。
そして魔法の性質上、練習相手がいない。
そろそろ、戻ろうかな、リアルに。いや、こっちもリアルなんだけど、その、日本に。まぁ……日本に戻ったところで、就活という孤独な戦いが始まるのだが……。
でも、それでも、言葉が通じないのは辛い。
今なら、酒飲んで酔っ払った上司の愚痴だって喜んで付き合える――かどうかはわからないが、この寂しさと心の隙間は、可愛いメイドたちだけでは埋まらないということはわかった。
「グリム、さん?」
声をかけられて、俺ははっとした。
振り返ると、クティがいた。
「星を、見ていたのですか?」
「あ、あぁ……うん」
クティも俺の隣に来て、夜空を見上げた。
なんだか、可愛い後輩ができた様な気持ちだ。俺に、クティの先輩たる要素など年齢以外で何もないのだが、なぜか、そんな風に思う。
「グリムさんを、明日、宮殿にお連れするよう、頼まれました」
「王子様に?」
「はい、トーバス王子に。この件の謝罪と、そしてカール王子を、救ってくれた礼が、したいと、そう言って、おられました」
「そりゃあ、いい知らせだな」
きっと俺は、つまらなさそうにそう言ったのだろう。
不愛想な俺を、クティは不安そうに見上げてくる。
「――つまり、調査が終わって、俺の無実が証明されたということか」
「はい。カール王子やマハル様、ジャンヌ様も、明日、町に帰ってきます」
「そっか……」
「グリムさん、あの……私もまだ、ちゃんとお礼を、言っていませんでした」
クティはそう前置きしてから、ぺこりと頭を下げて言った。
「何度も助けて、いただき、ありがとう、ございます」
彼女からすれば、俺は命の恩人なのだろう。だが俺からしても、彼女は恩人である。こっちに来てから、初めての話し相手。それは、とてもありがたいことだった。
「こっちこそ」
俺は、やっぱり気の利いた事など言えずに、感情の乏しい声でそう言った。他に何か言うべき言葉があったかもしれないが、そんな言葉は、言葉を行った後でさえも思いつかない。
もうじき彼女とお別れだと思うと、気が滅入るのである。礼など言われると、その別れが目前に迫ってきているように感じる。いや、実際にそうなのだろう。
明日、俺は王子に礼を言われるとともに自由を得るだろう。
俺は、またただの旅人に戻る。
「グリムさんは、これから、どうするのですか?」
「わからない」
俺は答えた。
とりあえずの旅の目的はある。
――バザック領を出ることだ。
マップを見たり事典を引いたりして調べたところによると、バザック領というのは、今から二十年前まで存在していた領地だが、今は、その土地の支配者が変わったために、「旧バザック領」というのが正しい。
その、旧バザック領だが、今でいう所の、ルノアルド公領である。つまり、カール王子や、トーバス王子の家系の――二人の父ブロド王が支配している領域である。
ルノアルド公領――旧バザック領を出る一番簡単な方法は、この町の東から伸びた街道を真っすぐ二百キロ進むことである。そうすると、ルノアルド公領とカカン公領の境目の関所があり、そこで通行を許されれば、晴れて旧バザック領脱出となる。
だが、この旅の目標に時間制限はない。
死ぬまでに、というくらいざっくりとした目標である。そしてまた、なぜそれを目標としているのか、その目標の先に何があるのかということを、俺はまだ知らない。
「グリムさんは、どうして、旅をして、いるのですか?」
「……」
一番困る質問だった。
それの答えは、俺が知りたいくらいなのである。
どうして俺は旅をしているのか?
ゴールはどこなのか? そして、ゴールとは何なのか。
「言えないこと、ですか?」
「言えないというより、わからない」
「グリムさんは……召喚人、ですよね?」
「え?」
クティは、俺がそれだと知っているのか?
学者だから、知っているのだろうか? それとも、この世界では、異世界から召喚される人間がいるということは、周知の事なのだろうか。
「どうして、俺がそうだと知ってるんだ?」
「言葉です。召喚人は、日本言葉、というものを、元の世界で、使っていると、聞いていましたから」
「なるほど……」
「召喚人は、神が目的を、達成するために、呼ばれると、考えられています。違うの、でしょうか?」
「あぁ、それなぁ……俺を召喚した神、目的忘れてんだ」
「……えぇ!?」
えぇ、だよね。俺もそう思う。
何か道具を手に取って、どうして自分がそれを手に持っているのかを忘れてしまったみたいな、どうしょうもない老人の神である。無難に「魔王を倒せ」とか「姫を救え」とかではないと翁は言っていたが、じゃあ神の目的とは、他に何があるのだろうか。
「では、グリムさんは、目的なく、召喚されたと、言うことでしょうか?」
「目的は、たぶん、あるんだと思う。単に忘れてんだよ、神が」
「そんなことって……」
ありえないか。
だが、俺を召喚した爺さんはそうなんだ。クティよ、現実を受け入れてくれ。俺も、辛いけど受け入れたんだ。
「そういうわけで、俺の旅の目的は……旅の目的を見つける事、かな」
自分で言っていて無茶苦茶だが、しかし事実である。まるで自分探しの旅じゃないか。俺は自称「旅人(笑)」という人種が嫌いだが、今の俺は、それに近いのかもしれない。
「グリムさん、夕食は、済ませましたか?」
「あぁ、そういえば、食べてないな」
というか今日は、朝から何も食べていない。
今思い出した。
「会わせたい人がいるのですが、良いでしょうか?」
俺は頷いた。
俺はクティに連れられて街灯の道を歩いた。外に出たのは、実に二日ぶりだった。
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