第22話 龍老人
戦いの直後の記憶は曖昧だ。
クティとパトラッシュに運ばれて、温泉に入れられたのか。
――気が付いたとき、俺は服を着たまま温泉につかっていた。
目の前には巨大な、龍神観音の石像。
そして俺の左に、寄り添うようにクティがいる。
左腕を、さすさす、さすられている。
うん? 感覚がある?
腕を湯から引き上げる。白い湯の中から出てきたのは、肌色の腕だった。あぁ、俺の腕だ。腐ってない。そういえば、左目の視力も戻っている。
あぁそうか、俺、生きてるんだ。
そしてクティ、その不思議そうな顔で俺を見るのはよしてくれ。ここ温泉だし、俺も君も服を着ているけど、だけどほら、変な気持ちになるだろう?
ならないって?
それはきっと、君が女性だからだよ。
男って風呂でなくても、女の子と同じ空間にいると、ちょっとはそういう気持ちになるものなんだよ。しかもここ、風呂だし。
『良くやってくれた! 冒険者よ!』
突然、心の中に声が響いてきた。
あぁ、これは、神様的なやつだ。そしてまた、老人みたいだ。しかも、一言目でわかる。この声の主の老人は、今まで会話をした老人の中で、もっともテンションが高い。
『いやぁー! 困っておったんじゃ! 奴らがここに来るようになってから! 精霊たちや妖精たちが! ここに来なくなって! 寂しかったのじゃよ!』
うるせぇ!
心の中でも、うるせぇ!
思わず耳をふさいでしまったじゃないか。お爺さんなんだから、もう少しボリュームおおとして、弱弱しくしていろ。そうすれば、少しは労りの気持ちも出てくるというものだ。
「貴方は、誰なんですか?」
『なんだその口の利き方は! わしを誰だと思っておる!』
「だからそれを聞いてんだよ!」
『なんだツミはってか?』
「なんでこっちの世界のギャグ知ってんだよぉぉ!」
「あの……誰かと、話を、しているのですか?」
「あ、いや、ちょっとね……」
そうだった、クティは、俺の言葉が分かるんだった。
心の中で話すようにしよう。
それこそ俺が、変なおぢさんだと思われてしまう。まぁ、まだおぢさんと言うには若いと思うんだけどなぁ。ちょうどこう、若者とおぢさんの中間点みたいな――まぁいいか、それは。
『そうです、わしが変な神様です!』
「知ってるし!」
びくうっと、クティが肩をすぼめる。
脅かしてごめん。でもこの爺さんと心の中だけで会話するのは、無理だ。
『それは冗談として!』
「いや、事実でしょ」
『わしはのぉ! 聞いて驚け! 龍老人じゃ!』
「ふ、ふーん……」
『りゅ、龍老人じゃ!』
「……」
『興味を持つのじゃ!』
頭が痛い。
ほら、クティが不思議そうにしてるじゃないか。
「クティ、龍老人って有名?」
「はい。龍老人信仰は、古くからあり――」
「その龍老人とね、今話をしてるんだけど」
「ふぇっ!?」
『おぉ! そこな女子は、いい反応をしよるな! わしの声を聞かせよう!』
「迷惑だからやめてあげて」
『ほれぇぇ! さぁ、わしじゃ!』
「え、えぇ!?」
クティが驚きの声を上げる。
どうやら、クティにも龍老人の声が聞こえるようになったらしい。
「だ、誰ですか?」
『だ、誰だツミはってか!?』
「もうそれいいから。で、何の用ですか」
『礼を言おうと思ってな!』
「あぁ、あの猿のですか」
『そうじゃ! いやぁ、見事な外道な戦いぶり! 感心したわい!』
「褒めてるの? 貶してるの?」
『無論、褒めておる! そうじゃ! 褒めてつかわす!』
「さいですか……」
『さて、お主らは何用でここに来た! ここに人が来たのは、かれこれ……二百年ぶりじゃ! いやぁ、目出度いのぉ!』
ぷかぷかと、お盆が浮かんで流れてきた。
徳利とお猪口が二つ、置いてある。
『まぁ、呑め呑め! 今宵は宴じゃあ!』
「宴の前に、俺体がここに来た目的を聞いてください」
『うむ、話せ!』
なんだろうなぁ、この、イチイチ暑苦しい感じ。
この老人、変なおぢさんじゃなくて、バカ殿ならぬ馬鹿神なんじゃないのか?
まぁ、それはいいとして――。
俺は、ここに来た理由をかいつまんで話した。
・
・
・
『――そうであったか! それは目出度い!』
「どこに目出度い要素があるんだよ! 話聞いてましたか!?」
『はっはっはっは』
笑い事じゃねえんだよ。
こっちは、死ぬ気で猿を倒したんだぞ。全ては、龍老人の杖のために。
「それで、あるんですか、杖は」
『あるよ』
「軽いな……」
と、ぷかぷかと木の棒が流れてきた。
杖である。
ごつごつした、丈夫そうな木でできている。
『それじゃ!』
「え、これ!?」
『いかにもそれが、龍老人の杖! それを持って魔法を唱えれば、どんな呪いだろうとたちまちのうちに消え去ってゆく!』
怪しげなセールストークである。
しかも、軽い。龍老人の杖は、伝説の品ではないのか。いいのか、こんな簡単に手に入れてしまって。……まぁ、簡単ではなかったが。
「これが、龍老人の杖……」
クティに杖を渡すと、クティはそれを、鑑定するように見たり、手触りを確かめたりし始めた。それくらい、学者からすれば貴重なものなのだろう。持ち主のせいで、俺は全く、この杖に神秘を感じられないが。
『その杖は、そこな娘にあげよう!』
「そんな、恐れ多い、です……」
『いいんじゃいいんじゃ! もってけ泥棒! さて、お主にも何かやらねばな!』
「え? いや、いいです」
『おおぃ! 遠慮などするな! いいか、わしはこう見えて、龍老人じゃ! そこらの奴らとはエロさが違うんじゃ!』
「……妖精たちがこの温泉に来るんですよね?」
『そうじゃ!』
「それ、見て楽しんでた?」
『無論じゃ! わしだって、神である前に男じゃよ!』
そこは神であってくれと、と思うが、神なんてそんなものなのかもしれない。あぁ、俺はそんなエロ神の性癖の為に、あの猿を倒したのか。なんか、そう考えると、脱力感というか、空しさというか……はぁ……。
『さて、何がほしい!』
「金と権力で」
『待て待て、お主な、もうちょっとよく考えるのじゃ! 金や権力て、わしがそれを先に言うじゃろ普通! 金でも権力でも望むことは何でも叶えて――』
「金と権力で」
『じゃからのぉ! 無理じゃ! それは、無理じゃ! わしはもう、人間の世を離れて長い! 金や権力のことなど、叶えようもない!』
「じゃあ、何なら貰えるんですか」
『そうじゃな! では、これならばどうじっ!』
(アクティブスキル『呪泉術Lv1』を会得しました)
「なんてスキル覚えさせるんですか!」
『わしが覚えさせたのではない! わしは、お主の潜在能力に働きかけただけじゃ!』
「つまり俺は、根っから呪われてるってことですか?」
『呪術の才能がある、ということじゃよ!』
複雑な気分だ。
なんでもかんでも、「闇」とか「呪い」とか……『ホーリーアロー』が使えた時代が懐かしい。たった数日で、俺は穢れてしまったよ……。
『そろそろ時間じゃ! おぉ、そうだ、冒険者よ! もし旅先で、わしの加護を受けた者がいたら、よろしく伝えておいてくれ!』
「300年人に会ってないんですよね?」
『わしが召喚した人間がいるんじゃ!』
「え!?」
『幾人かは、まだ生きているじゃろう! 縁はもう切れてしまったが、それでも、わしの呼んだ者じゃからな! よろしく頼むぞ!』
それだけ言って、龍老人は消えてしまった。
老人は、皆こっちの都合などお構いなしである。召還したという人間について、もっと詳しく聞きたかったが……仕方ない。
「すごい、です……」
「え?」
「本物の、龍老人様と、お話が、できるなんて……」
「あぁ……」
彼女にとっては、それはとんでもないことなのだろう。聖徳太子と会話をしたとか、そういうことなのかもしれない。なにしろ、あれでも一応、伝説なのだから。
だが、伝説の余韻に浸っている猶予はない。
いつもいつも、俺の冒険には猶予がない。
もう少し湯に浸かっていたが、こうしている間にも、王子様が死んでしまうかもしれない。
俺とクティは湯から出た。
パトラッシュも、近くで湯に入っていたらしく、俺たちが出てゆくと、ばしゃあんと水音をさせて出てきた。
――ん!?
パトラッシュの外見が、変わっている!
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名前 :パトラッシュ
クラス:小龍馬
Lv:1/20
・龍老人の力を得た馬。毒や呪いに強い耐性を持つ。
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クラスも変わっている。
龍老人、パトラッシュにはメタエンチャントのご褒美を与えたらしい。初めて、ちょっと龍老人を見直した。
ハンターホースから小龍馬になったパトラッシュは、まず毛の色が変わった。艶やかな黒だったのが、何と、薄青色の毛になっていた。鬣、尻尾、脛の毛はとてもボリューム満点で、触ったら気持ちよさそうだ。
腹の下や額、そして鬣に隠れた首の部分には、硬そうな青い鱗が生えている。
撫でつけると、パトラッシュは、得意げな顔をした気がした。
そうして俺たちは、意気揚々と温泉の町に戻ったのである。
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