第20話 賽の河原

 熱湯の川の流れる音が聞こえる。

 あたりにはもうもうと蒸気が立ち込め、地蔵のような石の彫り物が、そこかしこに佇んでいる。魔物の気配はないが、魔物ではない何かの気配は、どんどん強くなっている。

 これは確信していることだが、この湯気の中に、何かいる。


 それでも、立ち止まらずに進む。

 止まったら、動けなくなってしまいそうだ。

 俺はパトラッシュの手綱を握り、いつの間にか、俺のローブの裾を、クティが掴んでいた。まぁ、これくらいは役得があっていいだろう。小学校時代の肝試しが思い出される。あの時も女子とパートナーで――まぁいいか。


 それどころじゃない。

 あぁ、また蹴ってしまった。石だ。ただの石じゃない。積んである石だ。石像の他に、積み石がたくさんある。石像ならまだしも、この積み石は、誰が何のために作ったのだろうか。こんなところに。

 ――あぁ、また崩した。

 いずれにしても、この積み石、誰かが何かの目的のために積んだものだろう。そのことが、怖かった。ここはまるで、賽の河原である。

 まるで、というか、そのものなんじゃないのか?


 だとしたら、さっきから聞こえてくる足音とか、この湯気の中にいる気配とかの主は――鬼?

 クティがぎゅっと掴んでくる。

 鬼、グッドジョブ。

 でも、出てこないでくれよ。


 だが、そうはいかなかった。

 湯気の中から、突然それが出てきた。鬼が。

 魔物とは少し雰囲気が違うが、しかし、敵意があるという点は魔物と同じだ。


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名前 :――

クラス:小赤鬼

 Lv:8/15

・乱暴な小さい赤鬼

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 三匹の赤い肌の小鬼。

 小鬼と言っても、背丈は成人男性くらいあって、人間からすれば決して「小」ではない。肩や膝や、体の出っ張っているところには棘があり、鬼のトレードマークの頭の角も、額から一本生えていた。ちなみに、パンツは虎柄でなく、地味ななめし皮の腰巻である。


 小赤鬼は、手に持った黒鉄の金棒をぶんぶん振り回し、襲ってきた。

 学者であるクティは、戦う術を持たないので、俺の後ろに身を隠す。ハーナならば前に出て魔法を使いまくるのだが、俺としては、クティのようにしてくれた方がありがたい。


 ここは無難に、『ホーリーアロー』がいいだろう。

 俺は手を突き出し、念じる。

 黒い光が手元に現れ、矢となって放たれた。

 ――おや? 黒い光、だと?


(アクティブスキル『ホーリーアローLv1』が『ダークアローLv2』に変化しました)


『ホーリーアロー』改め、『ダークアロー』の黒い矢の一筋が、白い湯気の中を音もなく突っ切り、先頭を走ってきた小赤鬼の腹に命中した。小鬼は、突然足の力が抜けたように倒れ込んだ。

 残り二匹。

 と、パトラッシュが動いた。

 小赤鬼めがけて、突進してゆく。


「パトラッシュ!」


 やめろ!

 お前が金棒で殴りと殺されるところなんて見たくないんだ!


 バキン、と嫌な音がした。

 パトラッシュが――小赤鬼の一匹を、頭突きで弾き飛ばした。

 嘘だろ……。

 続けざまに、パトラッシュはもう一匹に突進をくらわした。小赤鬼はその突進に耐え切れず地面に転がり、そのまま、ごろんごろんとどつきまわされた挙句、最後は、熱湯の川に着き落とされて二度と上がってこなかった。


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名前 :パトラッシュ

クラス:ハンターホース

 Lv:10/15

・グリムが所有する馬。

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 レベルが、上がっている。

 なんて頼りになる相棒なんだ……。


 さて、『ダークアロー』を受けて地面に転がっている小鬼だが、まだ辛うじて生きていた。倒れたまま、全身から黒いオーラを発している。


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名前 :――

クラス:小赤鬼(『ダークネス・カースⅣ』)

 Lv:8/15

・乱暴な小さい赤鬼

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 小鬼が静かに息絶えた。

 黒く風化してゆき、後には魔石が残る。


(レベルが8から9に上がりました)


 なんと後味の悪い、そして薄気味の悪い死に方だろう。そして、小赤鬼の状態異常、『ダークネス・カース』とは何ぞや。

 早速事典で調べてみる。


〈ダークネス・カース〉

・直接攻撃用の黒魔術に付与される代表的な呪い。進行度が四段階ある。

進行度Ⅰ:初期段階。痺れと痛みが現れる。

進行度Ⅱ:強い麻痺と痛み、スタミナの低下症状が現れる。

進行度Ⅲ:麻痺と激しい痛み、スタミナ、魔力の著しい低下症状が現れる。

進行度Ⅳ:死を待つだけの状態。生命力が減衰し、解呪も困難な状態。


 エグすぎる。

 魔物に対してでさえ、使うのを躊躇ってしまいそうだ。確かに戦いは、生きるか死ぬかなのだが……【ダークメイジ】が忌避される理由が、これだけでも充分にわかる気がする。


 事典を閉じて、俺たちは真っ白い湯気の中を、上に上に登ってゆく。

 だんだんと、呼吸も苦しくなってくる。まるで、サウナのようだ。健康には良さそうだが、出口がないと不安になる。考えてもみてほしい。出口のない、一面のサウの中に放り込まれたら、どんな気分になるか。

 俺とクティは、不安で不安でしょうがないのだが、パトラッシュだけは全然平気そうなのだった。なかなかにして、この相棒――大物である。


 その後も小赤鬼は襲ってきた。

 パトラッシュがいなかったら、危なかったかもしれない。歩くだけで、息を吸っているだけで辛いために、注意が疎かになる。そこにきて、真っ白い中から、突然小赤鬼が奇襲を仕掛けてくるのである。

 訂正――パトラッシュがいなかったら、俺たちは死んでいた。

 しかしパトラッシュがいたから助かった。パトラッシュは、野生の勘というべきもので速やかに小赤鬼の襲撃を見抜き、襲ってきた先から、突進で撃退していった。

 持つべきものは――馬だ。

 パトラッシュは、いつの間にか最大レベルに達していた。


 やがて……湯の溜まった窪地に出た

 東京ドーム一個分くらいの空間が、全部温泉になっている。温泉は乳白色。川を流れる温泉は熱湯で、人が入れるようなものではなかったが、ここの温泉は、人間にとって最適な温度になっていた。

 通ってきた道よりも蒸気の濃度が下がり、見晴らしが随分よくなった。


 風でさあっと湯気が流れて、窪地の真ん中に、大きな石造物のシルエットが現れた。


「龍神観音、だと思います……」


 クティは、息を呑み、その石造物を見つめていた。

 学者でなくても、この光景には得も言われぬ神秘的な趣を覚えずにはいられない。松島の諸島を見ても、ふーん、としか思わなかったこんな俺でも、息を呑んでしまったくらいだ。

 ここはもしかすると、神域というものなのかもしれない。


 いや――微かに魔物の気配を感じる。

 さっきまでは感じなかった、嫌な違和感。俺のパッシブスキル『プレシーブセンス』が、何かを感じ取っているのだろう。

 だんだん強くなってゆく。


 と、近くの温泉から何かが飛び出してきた。

 ばしゃん、ばしゃんと、複数の巨体が湯しぶきを上げて、目の前に姿を現す。


「下がれ!」


 俺は声を上げた。

 クティと、今度ばかりはパトラッシュも大人しく下がる。いい子だ。危ない相手だと感じ取っているのだろう。俺も、感じている。


 俺の目の前に現れたのは、三匹の巨大な、猿だった。

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