第6話 ストーンライガー
槍の傭兵たちが身構える。
森がざわつく。
鳥の鳴き声が、聞こえない。
これは絶対に、何か来る。
言われなくても分かる。これは完全に、強めの魔物に襲撃されるパターンだ。
一体どんな魔物が現れるのか。
そして――遂に現れた。
「ごおおぉぉん」
腹に響くような、籠った低い鳴き声。
トラをさらに一回りか二回り大きくしたような外見で、毛は灰色である。
ただし、その下顎から喉を通り、腹部にかけては、石のようになっている。
……うわぁ、逃げたい。
これ、逃げちゃダメなの?
むしろ、戦うっていう選択肢あるの?
明らかに、猛獣じゃないか。人間がこれと、戦うの?
無理無理無理、とグリムは思った。
ライオンやトラやクマにさえ人間は勝てないものである。それが、ファンタジー世界の、要するに、魔法的な力で強化された猛獣と戦えって?
馬鹿なの? 死ぬの?
マジでこれ、死ぬよ?
グリムは、今すぐに逃げたかった。
とにかく、森の中に、木の陰に、あの猛獣の魔物の視界に映らない場所へと。
しかし、状況がそれを許さなかった。
白ターバンの傭兵たちが、魔物と荷馬車の間に立った。
それは良い。
それは別に、怪我をするなら勝手にすれば良いし、もしかすると死ぬかもしれないが、それだって、他人の勝手である。悲鳴とか肉が裂けたり、骨が砕ける音はちょっと聞きたくはないけれど。
問題は、傭兵に少女が続いたところである。
そういえば、彼女には名前すらまだ聞いていない。聞く術がないから仕方がないのだが、名前は知らなくとも、すでに彼女とは、知った中である。他人は他人だが、赤の他人ではもうない。
魔物は、近くの傭兵に突進した。
傭兵は魔物の喉に槍を突き立てたが、槍のほうがぽっきりと折れてしまった。
傭兵は魔物の頭突きに弾き飛ばされて、荷馬車に頭をぶつけた。
がつん、と嫌な音がした。
傭兵たちは、掛け声と同時に魔物に突きを見舞う。
傭兵たちの槍の刃先は、突く瞬間に微かな光を発していた。――彼らも、何かしらの攻撃スキルを持っているのだろう。
槍は、魔物の石の部分には弾かれるが、それ以外の部分には、数センチほどの傷を与えることができた。
――しかし、致命傷には程遠い。
数センチの傷など、魔物にとっては掠り傷くらいなもので、魔物は全く怯む様子を見せない。対して魔物の攻撃は強烈だった。
最初の一人が荷馬車に頭を打ち血を流し、さらに一人が、前足の一撃でノックアウト、そして三人目は、魔物の吐き出したこぶし大の石を頭にくらい、ひっくり返った。
やっぱり逃げるべきだったんだよ、と思ったが、少女はまだ戦っている。少女が前線に出ている以上、逃げることはできない。
本当は、八割九割で逃げたいと思ってる。
少女が死んでも、まぁいっかな、とか正直思い始めた。
なのに、あの子が魔物の牙に貫かれて悲鳴を上げ、血のあぶくを噴きながら悲鳴が呻き声に代わってゆく様を――あるいは、生きたまま内臓を引きずり出されたり、四肢をもがれたりする音や、苦痛の叫び声や、悶絶の様子を想像すると、逃げられない。
ちくしょうめ!
グリムは片手を魔物に突き出した。
手の先から、光の矢が放たれる。
『ホーリーアロー』である。
矢は魔物の左腕に突き刺さった。
「おおおお」と、魔物が初めて動揺した。が、死ななかった。魔物は近くの傭兵二人を右腕でなぎ倒し、恐ろしい雄たけびを上げた。
残り一人となった傭兵は、槍を捨てて逃げ出した。
――って、おおい! 逃げるのかよ!?
俺も逃げてぇよ!
でも逃げられない。
なぜなら、少女がまだ戦っているから。
少女は氷柱の魔法を数回、魔物に放った。しかし魔法の氷柱では、魔物の硬い皮膚は貫けなかった。少女は、五回目の魔法を放ったあと、立膝を突いた。
スタミナが切れたのだろう。
魔物は、のろのろと少女の正面に歩み寄ってゆく。
あぁ、こんな時、少女の前に出て行って守ってやれたら。
しかしそんなの、できるわけがないし、やったところで、他の傭兵と同じように、一撃で首の骨とかを砕かれてあの世行きだろう。
グリムは、二発目の『ホーリーアロー』を放った。
光の矢は魔物の左肩に突き刺さった。が、今度も魔物は、ちょっとした叫び声を上げただけで、再び元の態勢に戻ると、スタミナ切れの少女を見下ろした。
ええい、もうどうにでもなれ!
グリムは、両手を突き出した。
二発の『ホーリーアロー』が、魔物に飛んでゆく。
一発は右腕の付け根に、そしてもう一発は、魔物の左目に突き刺さった。
これには、流石の猛獣も耐えかねて、悲鳴を上げた。
腕をぶんぶん振り回す。
あっ、と思った時にはもう遅かった。
魔物の滅茶苦茶に振り回した腕が、少女を弾き飛ばした。少女は、宙に浮かび上がり、背中から地面に落っこちた。
横たわったその身体から、赤い液体が流れ、みるみる血だまりを作ってゆく。
(「あの魔物を倒して、早く治療をしなくては」)
グリムは、少女の血を見て、かえって冷静になった。
まだ自分にはスタミナがある。まだ、戦える。
治療するにしても何をするにしても、魔物を倒さなくては、皆ここで死んでしまう。
魔物は、残っている方の目でグリムを睨みつけた。
俺の片目を奪ったのはお前か、と恨みの籠った目である。
グリムも、じっと魔物を見つめた。
もう、後には引けないのだ。
逃げるという選択肢は、もうなくなった。
殺るか、殺られるかしかない。
魔物が、ぐわっと口を開いた。
その瞬間を、グリムは待っていた。透かさず『ホーリーアローD』を放つ。矢は、グリムの狙い通り、魔物の口の中に入り、喉を中から突き刺した。
ぐっ、と魔物は上半身を曲げて丸くなった。
グリムは、両手を空に大きく広げた。
グリムの後ろにあった荷馬車の一つが、ぶわっと舞い上がる。『テレキネシス』である。魔法により荷馬車は宙を移動し、魔物の頭上でぴたりと止まった。
グリムは、すっと手を下ろした。
荷馬車が、魔物の頭に落下した。ごぎゃっと、妙な音がした。
荷馬車は半壊したが、魔物も力尽きて、魔石だけを残して消えていった。
(レベルが3から6へと上がりました)
グリムはすぐに少女のもとに駆け寄った。
少女は、腹から胸部にかけてを爪で抉られていた。どろっとした血が、そこから流れ出している。
素人でもわかる。
あと数分もすれば、彼女は二度と目を覚まさないだろう。
グリムは、一か八か、少女の傷口に手をかざした。
もう、その奇跡にかけるしかなかった。
RPGで定番の回復魔法を、このタイミングで、自分が使えるようになることに。それ以外に、彼女を助けられる方法はない。
大の大人が、馬鹿みたいなことをやっている。
死にそうな人間を前に、手をかざして……魔法でも使うつもりなのか?
自分でも馬鹿みたいだと思っている。
でもここは魔法のある世界だ。
あの魔物もファンタジーなら、それを倒したのだって、魔法の力だ。だからどうか、ファンタジーの神様がいるなら助けてほしい。今この瞬間、彼女を助ける魔法を、俺に授けてくれ。
頼むから、どうか……。
グリムの掌が、淡い緑の光を放ち始めた。
それが回復魔法だと、グリムは直感した。
グリムは、自分の全部のスタミナを注ぎ込むつもりで、目を閉じた。緑の光の中に、いくらのような赤い粒が飛び交い始める。
(ポテンシャルスキル『聖母の手』が覚醒しました)
(ポテンシャルスキル『デュアルプレイ』が覚醒しました)
(アクティブスキル『グレイスキュアLv1』を会得しました)
(アクティブスキル『HPポワードLv1』を会得しました)
(パッシブスキル『マナマネジメントLv1』を会得しました)
数分後、少女が寝息を立て始めた。
グリムは、少女の脈を確認し、彼女が回復したのを知った。一息ついた後、グリムは他の傭兵にも『グレイスキュア』をかけて回った。
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