第25話 無事帰還 1
週の初めがやって来た。出社して自席に着くなり出るのはため息だった。それがどうしてかといえば、木山さんへの返事を決め兼ねているせいだ。
タイちゃんは、「想像してみれば?」なんて簡単に言っていたけれど、恥ずかしいだけで何の解決にもならない。そもそも、想像にタイちゃんが登場した時点で、余計にわけがわからなくなった。
今日のランチ、どうしよう。木山さんにまた来て下さい。なんて言われて、もちろんとは言ったものの。答えの出ないまま顔を合わせるのは気まずい。かと言って、行かなきゃ行かないで避けてるみたいで感じ悪いよね。はぁ~。
「何、朝っぱらからため息ついてんだよ」
出社して来た瀬戸君が、机に向かって盛大な溜息をついている私に向かって不機嫌そうに話しかけてきた。
「今日のランチ、どうしようかと思って」
木山さんの事を考えると、失礼な事にはしたくないし。けど、どうしたら一番いいのか、わからないんだ。
机に頬杖をつきながらガクリと首を擡げると、「西崎。お前、バカだろっ」と溜息交じりの言葉が頭上から降ってきた。
朝っぱらからバカ呼ばわりされて、椅子ごとくるりと振り返ると、瀬戸君が呆れたように吐き捨てる。
「前からバカだとは思ってたけど、ここまでとはな。頭ん中、ラーメンでできてんじゃねぇの? 塩か? 醤油か? とんこつか?」
辟易としながら問われた質問に、思わずとんこつと応えそうになったけれど、何とか堪えて飲み込んだ。これ以上余計な事を言って、怒りを買うのは得策じゃない。
「飯の心配ばっかしてないで、仕事しろよ」
あきれ返ってしまった瀬戸君は、かわいそうな奴でも見るような視線を残して自席へといってしまった。
それから数分後。彼の手に抱えられてやってきた書類が、ドスンと私の机に置かれる。
「そんなに頭の中が暇なら、資料チェックしとけ」
瀬戸君は、分厚い書類の束を有無も言わさず押し付ける。
悩んでいる私に、なんて酷い仕打ち。
「鬼だ……」
「何っ!」
ボソリと零した呟きが聞こえてしまい、キッと睨まれ、ヒッ!? となる。
だから、怖いってば。
仕方なく、というか仕事だから当然なのだけれど、私は渡された資料チェックを黙々としていった。ていうか、この資料作ったのよ誰よ。誤字脱字だらけじゃんっ。チェックする身にもなってよね。文句タラタラ、ブツブツとこぼしながらもひたすらチェック、チェック、チェックッッ!! それ以外何も考えずに集中していたら、あっという間に時間が過ぎていた。
「うぅーっ。疲れた」
両手を突き上げて伸びをしていたら、目を細めた瀬戸君がこちらを見ているのに気がついた。私がちゃんとやっているのか、チェックしているのだろう。やっぱり細かい男だ。
ちゃんとやってるっつーのっ。
ムスッとして目の前のPCに視線を移すと、とんこつラーメン画像の右下には、あと少ししたらランチという時刻が表示されていた。
「今日は、何を食べようかな」
小さく独り言を漏らすと、不意に木山さんの顔が過ぎり、あっ、と今朝の心境が甦ってきた。
そうだった。木山さんだよ。どうしよう。こんな資料にかまけていたせいで、何も答が出ていないよ。なんていったら、瀬戸君から怒声が飛んできそうだ。
そもそも、上司でもないのに、何で同僚の瀬戸君からあんなにこき使われなきゃいけないのよ。ほかにいくらでも後輩がいるじゃん。なぜ、私? 怒り交じりの疑問が浮ぶが、今更どうしようもないと直ぐに考えるのをやめた。今は瀬戸君どころではないのだ。しかし。
「これが篠田先輩だったら、ほいほいやるんだけどね」
声に出して呟き、ふふ、なんて笑みを漏らしたところへ当の本人がやってきた。
あ、篠田先輩の方ね。
「西崎さん。ランチ行かない?」
相変わらず、出来る男全開のスマートなスマイル。今日のスーツもビシッと素敵です。あ、ネクタイ新品ですか? 似合ってますね。ふふ
「是非」
嬉しさに立ち上がってニコリと返してから、あっ。と思い出したのは、あの壁バンッの橋本さんのことだった。近くに居たら大変だ、と思わずキョロキョロと辺りを窺ってしまう。
「ん? 誰か探してるの?」
「あ、いえ。なんていうか、その……」
思わず口ごもる。実は橋本さんに壁バンされまして。なんて言うチクリは、後々ばれたら更に恐いので言えるはずもない。
あんた、篠田に言ったでしょっ!! なんて怒鳴られたら、今度は命がないだろう。
おおっ、恐っ。
そもそも、告げ口って、いいものではないしね。
篠田先輩の影にコソコソ隠れるようにしてフロアを出ようとしたら、瀬戸君に呼び止められてしまった。
「西崎ー。資料チェックできたのかよ」
ツカツカとやってきた瀬戸君は、篠田先輩がいるというのに上から目線の横柄な態度だ。出来る男を気取ってでもいるつもりだろうか。だとしたら、やり方を考えたほうがいいと思うよ。
「あと少しだから。ランチ終わったらすぐやるね」
瀬戸君ともめてもろくなことがないので、笑顔でいってみたのだけれど。
「あと少しなら、やってから行けよ」
なんて、腕を掴まれ篠田先輩から引き離される。
突然掴まれ引き寄せられたせいで、思わずふらつき瀬戸君にしがみ付いてしまった。
「ちょっと、急に引っ張らないでよ」
文句を言いつつ顔を上げたら、意外と至近距離に顔があって驚いた。瀬戸君も瀬戸君で、私の腕を掴んだまま自分のしたことに驚いているみたいに目を大きくしている。
「わっ、わりぃ……」
なんとなく気まずい雰囲気になり、掴んでいた腕が解かれた。すると、今度は先輩が私の手を引き瀬戸君から引き離す。
ただ、瀬戸君とは違って強引な感じじゃなく、やんわりと紳士的に「大丈夫?」と声をかけてくれながらだ。
コクリと頷く私を確認してから、先輩が瀬戸君へと視線を向ける。
「瀬戸。その資料って、提出期限はいつ?」
さっきの気まずさが回復しきらないまま篠田先輩に訊ねられて、瀬戸君は狼狽気味に応える。
「今日の……夕方までです」
「なら、後少しって言ってるんだ。メシ食ってからでもいいだろ」
「篠田先輩がそういうなら……」
まだ何か反論したいようだったけれど、さすがに先輩にはたてつけず、瀬戸君はすごすごと引き下がる。
悔しかったら、篠田先輩みたいに、スマートなできる男になるんだね。へんっ。
得意気に瀬戸君のことを一瞥すると、なんとも不満そうでいて複雑な顔をしていた。
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