第18話 また来たな 2
タイちゃんが納得し、唇を引っ込めたところでお湯が沸いた。
「はい、どうぞ」
マグに入れた紅茶を手渡すと、口の端を持ち上げて嬉しそうにしている。そこまで喜ばれるのはいいけれど、たかだかティーパックの紅茶になんだか気が引けてくる。
「今度、俺もその店長の働く店に行きたい」
「行きなよ。美味しいよ」
ふーふー、と熱々の紅茶に息を吹きかけ冷ましていると、上目遣いでこちらを見る。
「葵さん、連れてってよ」
なんだ、そのあからさまに媚びた視線は。
「連れて行くのはいいけど、奢らないよ」
これ以上つけ込まれないよう、ピシャリと断言する。
「えぇーっ!」
イヤイヤ、えーっ。じゃなくてね。君は、ヒモですか? ちゃんと自分で稼いだお金で食べに行きなさいよ。
「ところで。なんとかっていう先輩とはどうなったの?」
妖怪ケーキの脳天にザックリとフォークを突き立てたタイちゃんは、ムシャムシャと美味しそうに咀嚼している。私もそれに倣って食べてみたら、味は悪くなかった。
オムライスの時もそうだったけど。見た目の不恰好さが余りあるせいか、味は案外まともなんだよね。ちゃんと、カップケーキの味してるもん。
「先輩ねぇ~。女子社員の人気の的だからねぇ。私なんて、壁バンされちゃったし」
「えっ!? その先輩に壁ドンされのっ!?」
やけに驚いているけど色々違うから。
「先輩に、じゃないし。壁ドンじゃなくて、壁バンだから」
「先輩じゃないなら、あれか。瀬戸とかいうやつか。そいつに壁ドン?」
先回りした思考が慌ててでもいるように、タイちゃんの口調は若干早口だ。しかも、瀬戸君の名前なんか持ち出したりしてずれている。
「だから、違うってば。瀬戸君は、全く関係ないし。あ、関係なくも無いか。瀬戸君のせいで、壁バンされちゃったんだし」
「なんか、ややこしいよ」
うん。自分で言ってても、ややこしいと思う。
タイちゃんは、私の話に段々と面倒臭そうな顔つきになってきて、妖怪ケーキに集中し始めた。脳天をかち割られた妖怪は、雄叫びを上げる間もなく、タイちゃんの口の中で何度も噛み噛みされている。ご愁傷様です。
私は、といえば。壁バンへ至るまでの経緯を思い出して腹が立ってきた。瀬戸君があんなに大量のコピーを私に頼んできたりしなければ、壁バンなんて恐怖を味わうことにもならなかったんだよね。橋本さんのあの冷徹な眼差しを思い出せば、背筋が震え上がる。そんな恐怖に身も心もボロボロになってフロアへ戻ったというのに、瀬戸君てばまったくのんきに、そして嫌味タラタラで何やってんだよ、なんて言ってくるし。ああ、ムカつく。
怒りに任せて妖怪ケーキにブスブスと何度もフォークを突き立てると、カップケーキは益々妖怪らしさを増した。ご臨終です。化けて出ないでよ。
ん? 妖怪だからもう死んでるのかな? まーいいや。
妖怪ケーキで若干のストレスを発散したことで、ちょっと冷静になる。
「先輩を好きなんだろうなぁ、多分」
「多分て、自分のことでしょ?」
妖怪ケーキを綺麗に完食したタイちゃんは、飲み頃の温度になった紅茶をゆっくりと味わっている。
「私の話じゃなくて。先輩と同じ部署の、橋本さんて女の人。その橋本さんに、先輩の周りをうろつくなって、壁に追いやられてバン! よ」
私は、その時の様子を身振りをつけ、なるべくリアルに説明した。
「マジか!?」
タイちゃんは、「女ってこぇ~」と身震いのマネをする。
そうだよ。本当に恐かったんだから。思い出しただけで、恐怖に寿命が縮むもん。
だけど、橋本さんの気持ちが少しも解らないわけじゃない。女ならそういう嫉妬心を抱いても仕方ないのかなとも思うんだ。だからといって、私が逆の立場になったとしても、壁バンなんていう荒技を使ったりはしないだろうけれど。
じゃあ、私ならどうするんだろう? もしも、大好きな人に他の女の人が近づいてきたら……。
そんな想像をしようとしてみたのだけれど、嫉妬をメラメラと燃やすくらい好きな相手がいないから、リアルな感情にはならなかった。
「脅されたんだ。その、橋本さんて女性に」
タイちゃんの言葉で現実に引き戻される。
「そうなの。もうっ、メッチャ恐くって。二度と先輩に近づきたくない、と思ったくらい」
とりあえず、しばらくはあっちのフロアに近づかないようにしなくちゃ。
私の恐怖体験を聞いたタイちゃんは、可笑しそうにケタケタと声を上げている。
人の不幸を笑ってくれちゃって。
「じゃあ、もう先輩のことは諦めるんだよね」
睨みつける私に笑いを堪えながらタイちゃんが訊いてきた。
「うーん。諦めるって言うかぁ~」
「諦めないの……?」
「まー、壁バンは恐いけど。やっぱ、先輩はかっこいいしー」
タイちゃんは、呆れた溜息を零す。
「だって。先輩ってば、本当にかっこいいんだもん。ランチ、また誘ってくれないかなぁ」
夢見がちに呟く私へ、タイちゃんがひと言。
「今度は、壁バンどころじゃ済まないかもしれないよ」
タイちゃんの忠告に若干の恐怖を覚えながらも、先輩のかっこよさを考えれば頬が緩んでしまう。
「ていうかさ。その先輩の何処がどういいわけ?」
タイちゃんが椅子にふんぞり返って訊ねる。まるで、亭主関白の夫みたいな態度だ。なんとも、ふてぶてしい。
「先輩は、とにかく爽やかなのよ。白い歯がキランッて感じで」
「俺だって、白い歯だよ。ほら、虫歯一個もないし」
タイちゃんは、私に向かって大きく口をあけて見せる。
確かに、タイちゃんの歯並びはいいし、自然な白い歯だ。
だけど。
「先輩は、身長もすらっと高いの」
「俺も高いよ」
た、確かに。
タイちゃんてば、何気に一八〇越えしてるんだよね。
けど。
「先輩は、優しいもの」
「俺だって、葵さんに優しいじゃん!」
「え? どこが?」
私は、驚きに速攻で問い返す。
「どこがって。今日だって、暇してるだろうと気を遣って来たし。毎回、手作りの一品持って来てるじゃん」
イヤイヤ、そういう優しさじゃないから。
私は、冷めた視線をわざと向ける。
「優しさの種類が違うの」
「なんだよ、種類って」
タイちゃんがまた唇を尖がらせる。
「そもそも。なんで、タイちゃんが会った事もない先輩と張り合ってるのよ。おかしいじゃない」
私は呆れて椅子から立ち上がり、食べ終わった妖怪ケーキの残骸を片付ける。椅子に座っているタイちゃんは、唇を尖らせて抗議の姿勢だ。全く、負けず嫌いなんだから。
そういえば、昔もそんなことがあったなぁ。私が高校の先輩から告白されて、喜び勇んで帰ってきたら、いつものようにタイちゃんが家にいてそのことを話すと、俺の方がもてるし、かっこいい。とやたら食ってかかってきたっけ。
「タイちゃんて、昔から変わらないね。何でそんなに負けず嫌いなの?」
私は呆れたまま、またタイちゃんの目の前に座る。
「そんなの当たり前じゃんっ。だって俺は――――」
タイちゃんの話を遮るように、私の携帯が鳴り響いた。相手は、涼太だ。
「もしもし、涼太。なに?」
私が涼太と話し始めると、言葉を遮られたタイちゃんはブツブツと何か不満げに呟き、また椅子にふんぞり返っていた。やっぱりふてぶてしい。
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