第8話 夢のようなランチ 3

「お待たせしました」

 話し込んでいたら、木山さんが目の前にいて料理を運んでくれていた。篠田先輩の分と私の分の料理を、それぞれの前へと置いてくれる。

 シーフードの芳しく食欲をそそる匂いに、自然と目じりが下がる。篠田先輩のボロネーゼもとっても美味しそう。次は私もボロネーゼにしようかな。

 置かれた料理に目をやり、ついてきたサラダにも目をやってから驚いた。なんと、大盛りなのだ。振り仰ぐようにしてそばに立つ木山さんを見れば、にこりと目を細めている。

「野菜好きの西崎さんへ、サービスです。この前のこともあるので、お詫びもこめて」

 他のお客さんに聞こえないよう、木山さんは少し身を屈めてこっそりと付け足す。

「嬉しいです。ありがとうございます」

「どういたしまして」

 木山さんが笑顔を残して厨房へ戻ると、目の前では篠田先輩がじっと私を見ていた。

「これも、ご近所さん的なサービス?」

 私の前にある、たくさん盛られた野菜サラダについてのひと言だ。

「えーっと。多分、私がここの手作りドレッシングを、一度絶賛したことがありまして。これがですね、本当に美味しいんですよ。いくらでも野菜が食べられるくらい美味しいんです。なんなら、スーパーの野菜売り場の野菜、全部いけるくらいです。それに、木山さんも言ってましたけれど。この前は、混んでいて入れなかったんですよね、だからです。はい」

 篠田先輩に説明しているうちに、なんだかいい訳めいた感じになってきた。

 なんでだろ?

「とにかく。先輩も、このサラダを一度食べてみてくださいよ。本当に美味しいですから」

 先輩のセットにもついてきたサラダを店員並みに私が勧めると、可笑しそうにした後に一口食べて、確かに。と頷いている。その返答に、「でしょー」とつい満足な顔をしてしまった。

「本当に美味しいですよね。出来ることなら、このドレッシングだけ売ってほしいくらい」

「西崎さんが言えば、あの店長さんならいくらでもくれるんじゃないのかな?」

「そうですかね?」

 ムシャムシャとサラダを食べながら、今度木山さんに訊いてみよう、なんて考えていた。

「そういえば、瀬戸だけど」

 ん? 瀬戸君?

 なぜここでまた瀬戸君の話。楽しいランチの時くらい、あの瀬戸ハラを忘れていたいのに。

「あいつとよく話してるけど、普段も逢ったりしてるの? 飲みにいったりとか」

 瀬戸ハラに辟易している私への質問とは到底思えない内容に、思わず目が見開いた。

「えっ!? ないですよ」

 なんて事を言い出すんですか、先輩っ。あの瀬戸君ですよ。私のこといいようにこき使う、瀬戸君ですよ。あるわけないというより、どうしたらそんな質問が出てくるのか、こっちが訊きたいくらいですよ。

 これがタイちゃんからの質問だったら、確実にうちへは出禁だね。

「瀬戸君とお酒を飲みにいっても、きっと会社にいる時みたいにこき使われるだけですよ。店員さん呼べとか。料理注文しろとか。その料理を皿に盛れとか」

 今少し数え上げただけの事が、容易に想像できるから恐いよ。リアルにそうやって使われそうだもん。

 捲くし立てるように瀬戸君のことを非難していると、篠田先輩はまたおかしそうに笑っている。

 あ、その笑っている顔。素敵です。

 先輩と二人っきりでランチに来ているという事実に、不意に頬がぽっとなる。木山さんや瀬戸君の話しで気持ちがあっちへいったり、こっちへいったりとかき混ぜられて、今目の前にある幸せな現実を見過ごすところだった。

 こんな機会など滅多に無いというのに、私のバカバカ!

「西崎さん。面白いね」

「へ?」

「瀬戸との事は、よく解った。またあいつに何か言われたら、助けてあげるよ」

「ありがとうございます」

 篠田先輩は、やっぱり優しいなぁ。瀬戸君の雑務攻撃から私を守ってくれるなんて。なんだかスーパーヒーローみたいじゃない。だから、モテ男なんだよね。先輩、人気あるもんなぁ。そんな先輩とこうやってランチできているなんて、今日はなんてついてるんだろう。木山さんには、サラダのサービスまでしてもらったし。幸せだなぁ。

 なんて浮かれていると、あとで落とし穴があったりするから気をつけなくちゃ。特に、瀬戸君の落とし穴にはね。

 それにしても、このリゾットめちゃめちゃ美味しい。シーフードの出汁がよく効いているし、チーズの風味もたまらない。いくらでも食べられそう。

 モグモグと口を動かし、リゾットを堪能していたら、篠田先輩が目の前で優しい眼差しをしていることに気がついた。

「リゾット、美味しそうだね。一口くれる?」

 いつものキリリとした表情とは対照的な、甘えるような顔つきと口ぶりにスプーンを動かす手が止まる。

「ひ、一口ですか」

 いつもにない先輩の態度に、思わず言葉がつっかえた。すると、先輩ってばそんな私に追い討ちをかけてきた。

「あーん」

 あっ、あーんて!?

 先輩が私に向かって、甘えたまま口を開ける。

 うそー。なにこれ、なにこれ。嬉しすぎる!

 勢いのままスプーンで一口すくってみたけれど、よく考えたらこんな真昼間に、恥ずかしすぎますよ先輩。

 嬉しいけれど、恥ずかしいので、リゾットの乗ったスプーンの柄を先輩へと差し出す。

「ど、どうぞ」

 恥ずかしくて、先輩の目を見られない。

「西崎さん、可愛いね」

 そういう先輩は、受け取ったリゾットを頬張り笑顔を見せる。

 私、秒殺です。


「ごちそうさまでした」

 レジに並ぶと、篠田先輩が財布を待つ私の手を引っ込めるよう促した。

「今日は、俺に奢らせて」

「えっ。そんな、いいです。ちゃんと自分で払います」

「いいって。奢りたい気分なんだ。リゾットも一口貰ったしね」

 言われてしまえば、先のあーんが胸をどきどきさせる。キュンキュンメーター発動です。

 篠田先輩は、先に外で待っててと私を促す。言われるまま外に出てレジ前に立つ先輩を眺めていたら、木山さんがやってきてお会計をしているのが見えた。二人はなにやら話をしているようだけれど、会話までは聞こえてこない。篠田先輩も私と一緒で、ご近所さん的に木山さんと親しくなれたのかもしれない。きっと、何度か通ったら、先輩にもサラダのサービスをしてくれるだろう。木山さんは、そういう人だ。

 社に戻る途中、いつも忙しい篠田先輩は、早速電話で呼び出されて、またな。と爽やかな笑顔を残し忙しなく行ってしまった。名残惜しいことこの上ない。

 そうして私はといえば、篠田先輩が近くに居ないのをいいことに、社に戻るとまた瀬戸君にこき使われるのでした。

 恐るべし、瀬戸ハラ。

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