時の巻き尺―End is a piece of cake―
おいぬ
End is a piece of cake:終わりは等しく、安寧に。
雨が降っている。冷ややかな水滴が俺の肌へ当たると、その水はそのまま肩へと。大きく切り裂かれた傷を濡らし痛みを俺に与えた。じん、と傷に染みるが、そんな痛みも今は愛おしい。
それは、最後の思い出でもあるのだから。
ぽつんぽつんと降り注ぐ雨の中で唯一濡れていないのが、俺の手のひらだけだった。まるでそこだけ晴れているかのように乾いていて温かい。
手のひらを開いてみると、そこには太陽のような明るい色のオレンジ色の髪の毛が一房握られていた。
……綺麗な髪の毛だった。まるで、今でも生きているような。
雷の音が鳴り響き、どこかに落ちる。その拍子に冷たい雨の勢いが増して、俺の肌を打つ速度を増していく。天が流す涙、とはよく言ったものだ。神様がいるとしたならば、いまごろ神様は笑い涙を勢い良く流している頃だろう。
雨の勢いは増して、ついに俺の手のひらも濡らしていく。乾いた砂に水が染みこんで、地面の色を肌色から茶色へと変える。
「……なあ、お前は……幸せだったのか?」
――いいえ、そんなはずないでしょう?
そんな声が聞こえたような気がした。はっとして自分の手元を見ると、先程まであったオレンジ色の髪の毛が目の前でひらひらと舞っていた。
俺に手をふるかのようにひらひらと舞う。まるで別れを告げるように。
俺はそんな髪の毛を一つでも逃がすものかと、猛然と手を伸ばす。だけれども、その髪の毛はまるで蝶のようにのらりくらりと俺の手を避けて、そのまま虚無の海へと飛んで行く。黒い海にオレンジ色の髪の毛が沈んでいくさまは、さながら夕日が水平線に落ちるような光景にも感じられる。
そんな光景に呆然としながら、俺はその手に砂を握っていた。目の前に横たわっていた仲間を……俺を愛してくれていた人の気配をしっかりと確かめたかった。だから、両手につかめるだけの砂を掴んだ。そこには何もないことはわかっているのだが、何故かそうしないといけないような……。そんな気がしてならない。
でも空虚で……。まるで風を掴んでいるような浮遊感が俺の手を支配していた。もしかしたらこの手で感じることができたかもしれない重さは、すでに消え去ってしまっていた。その軽さがたまらなく虚しい。掴めていたのかもしれないと思うと、たまらなく、自分がみじめに思えてくる。
気がつけば、雨に打たれている俺の体が冷たさを感じていなかった。胸にこみ上げるドス黒いものは抑えきれないほどの勢いを持って感情を支配していく。その過程で、俺の体からは温度を感じる余裕はとうに消え去っていた。
こう言うとき、人間はつくづく弱い生き物なんだな、と実感する。俺はきっとこれからも一生その事を感じ続けながら生き続けることだろう。
……人間ではない、アイツがそばにいたから。
アイツはすでに消えてなくなっていた。まるで死に際を悟った猫のように。あるいは地に沈む太陽のように。
今は後退している軍団のやつらはなにも思っていないだろう。何故ならば「アイツ」は紛れもない道具であり、兵器であるのだから。
――ヴィオラ、一緒にお洋服を見に行きましょうよ!
『仕事が終わったらな。ちょっとだけ待ってろ』
――さっすがヴィオラ! ありがとう!
『……まぁこれも、仕事の内だからな』
――ねぇヴィオラ。もしあなたより私が先に死ぬときが来たら、どうする?
『泣くかもしれないが、後追いはしない。お前の分まで生きてやる』
――そう……。じゃあ私が死ぬときは、後腐れなく幸せな人生を歩んでいけるように背中を押してあげるわ!
『そんな物騒なこと言わないでくれ。……もし、もし。お前が死にそうなときは、俺が助けてやるから。絶対に、助けてやるから』
……で、この様はなんだ。
助けてやるからな、とは何の気負いなしにいった言葉ではない。もちろん軍人としての責務もそうだが、『女の子』としてのアイツを想う気持ちもあった。
そんなことを思っていたからなんだ、結果的に助けてやれなかった。あまつさえ、アイツに助けられたのだ。
俺がただの一度も名前を呼んでやれなかった少女……。日だまりのような暖かさと優しさで俺を包んでいてくれた、オレンジ色の少女。その名は……。
「ツユメ……」
気が付けば俺は、その名前を呼んでいた。
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