第2話 寂れた喫茶店②



 私は春さんのあとをついて行った。


 「あの、春さん。私、自分で持ちますよ」


 キャリーバックを持たせたままは正直よくないと思い、そう言ったが、春さんは「こういう時は男に頼るものだよ」と、笑った。

 春さんは軽々と私のキャリーバックを持ち上げて扉を開けた。扉の先は、玄関のように少しスペースがあり、階段があった。


 「家は喫茶店の二階にあるんだ。玄関は他にもあるけど、基本的にはこっちから行った方が楽だよ」

 「お洒落ですね」

 「それで、優ちゃんの部屋はこっちだよ」


 階段を上がり二階につくと、そのままリビングを抜け、小さな螺旋階段を上った。

 上った先には、また扉がある。そこには、私の名前が書かれた木のプレートが掛かっていた。

 春さんが扉を開け、手招きした。


 「ここが、優ちゃんの部屋。屋根裏部屋になっちゃうんだけど」


 部屋に入ると、壁にあるいくつかの小さな窓から夕日が差し込んで、部屋中がオレンジ色で染まっていた。


 「すごい……私、凄く好きです。この部屋」

 「気に入ってもらえてよかったよ。ちょっとした家具は置いてあるけど、必要なものがあったら言ってね」


 部屋にはベッドや本棚、タンス、テーブルといった暮らすのに必要な家具がぴったりと置かれていた。

 部屋の広さはそこまで広くない。天井もそこまで高くない。

 だけど、私にとってはそれがちょうど良かった。


 「それじゃあ、俺は夕飯の準備をするかな」

 「私も手伝います」

 「今日は、長旅で疲れたでしょ。部屋でゆっくりするといいよ。また後で呼ぶからね」


 春さんはそう言ってキャリーバックを隅に置いて、それから付け加えるように言った。


 「さっきの話は、夕飯のあとに話すね」


 春さんがどんな顔で言ったのかは分からない。晴さんはそのまま部屋を出ていった。

 ひとりになり、私はベッドに腰掛けた。

 柔らかくてほんの少しおひさまの匂いがした。

 そのまま枕に顔を埋めようと思ったが、やらなければいけないことを思い出し、上着のポケットの中からスマートフォンを取り出した。

 そして、番号を押し、耳に当てた。何回かの呼出音の後に、聞き慣れた声が聞こえた。


 「もしもし、お父さん。今、大丈夫?」


 その電話の相手は、父だ。

 喫茶店に着いて、私が決断したら電話をするようにと言われていた。


 『大丈夫だよ。どうだ、そっちは』

 「優しそうな人だよ。クッキー、美味しかったし」

 『春君の料理はなんでも美味しいよ。それで、奏君の珈琲はどうだった?』


 その質問に、私は問い返した。


 「私が出されたのはティーバッグのダージリンだったよ。奏君って?」


 私の反応に父は何かを察したようだ。


 『奏君は、春君の弟だ。多分、詳しいことは後で聞けると思うよ』


 父は続けて私に言った。


 『優、美味しい料理や紅茶、珈琲を作ったり、いれたりするには、何が大切だと思う?』


 私は少し考えた。至ってそれはシンプルな答えだ。


 「心だと思う。勿論、材料も大切だけれど、相手に美味しいものを出したいっていう心」

 『そうだね。いれてもらった紅茶、不味くはなかっただろ』


 父の言う通り。 春さんのいれてくれた紅茶は、確かに不味くはなかった。

 むしろ、ティーバッグでいれたのかも、わかる人しか分からないくらい美味しかった。


 『心には、心で返してあげなきゃいけない。その店は、色々な出来事があって、その心がすっかり壊れちゃったんだよ』

 「壊れた心は、治せるものなの?」

 『簡単には治せないさ。だけど、父さんは優になら治せると思ったんだ』


 父は確信した声で言った。

 私なら、できる。その言葉が何よりも今の私には嬉しかった。


 『大変なこともあると思うが、優の心が、きっと皆にも伝わるはずだ。だから、諦めないように』

 「うん、分かった」

 『それじゃあ、また何かあったら電話するといい』


 そう言って父は電話を切った。




 電話を切ると、部屋は静かになった。

 とりあえず、一段落した。ようやくスタート地点に立ったのだけれど。

 ほっとしていると、部屋の外で声が聞こえた。と、同時に扉が勢いよく開いた。


 「わぁ、ほんとにねーちゃんいる!」

 「いるー!」


 そこにいたのは、元気な少年達だった。双子なのだろうか、顔はそっくりだけれど、よく見ると左右違うところに泣き黒子があった。


 「こら、勝手にドア開けちゃ駄目だろ。優ちゃん、ごめんね」


 春さんはエプロン姿で二人の後ろに立った。

 私は少年達の前で屈んだ。


 「はじめまして、日向優です。しばらくの間、よろしくね」


 そう言うと、少年達は嬉しそうに顔を輝かせた。


 「僕は、あさっていうの!漢字はそのまま朝って書くの!こっちは夜だよ」

 「夜だよー」


 二人は自分の名前を言うと、それぞれ私の手を握った。


 「ああ、もう……。ごめんね、二人ともとっても楽しみにしてたみたいで」

 「いえ、大丈夫です。私、子ども好きなので」

 「ねえ春にーちゃん、火付けっぱなしだけど、大丈夫?」

 「大丈夫ー?」


 双子の言葉に、春さんは慌てて階段を下りていった。

 二人は手を握ったまま、言った。


 「優ねーちゃん、お家の案内してもらった?」

 「もらったー?」

 「ううん、まだだよ」


 私が答えると、二人は顔を合わせて同時に言った。


 「僕達が案内する!」


 そのまま私は二人に手を引かれていった。

 さっき通り過ぎたリビングでは、キッチンで夕飯を作っている春さんがいた。オープンキッチンで、部屋が見渡せてよさそうだ。

 春さんはそんな私達を見て、嬉しそうに微笑んだ。

 リビングの後は、お風呂場とトイレ。喫茶店に続く階段と、隠れた玄関。


 「あとね、こっちの廊下を行くと、僕達の部屋だよ」


 渡り廊下を歩いた先に、扉が4つあった。その扉には、私の部屋の扉と同じように名前のプレートが掛けられていた。


 「ここはね、春にーちゃんの部屋、その隣は奏にーちゃんの部屋。それで、こっちが輝にーちゃんの部屋で、ここが僕達の部屋!」


 私は左奥の扉の前に連れて行かれた。そこには、朝と夜の名前が書かれていた。


 「これでほとんど案内したよ!」

 「したよー!」


 二人はにこにこと笑った。


 「ありがとね」


 私はそう言って二人の頭を撫でた。

 丁度いいタイミングで、春さんの声が聞こえた。



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