閑古鳥よ、鳴かないで

雨宮結凪

第1話 寂れた喫茶店①


 キャリーバックを転がして、急ぎ足で賑やかな街筋を歩いた。すれ違う人達は、皆楽しそうに話していて、私なんかに目もくれず、うまくかわしていった。

 私はとある店の前で立ち止まった。

 その店は、賑やかで華やかなこの街で、まるでよそ者のように行き場を失い、光を失ったようだった。

 重そうな扉は古びており、取っ手だけは錆びひとつない綺麗な金色だった。扉の上には、これまた古びた看板が右側に少し傾いていた。



 “Cafe 閑古鳥”



 看板には、そう彫られてあった。

 私は小さく深呼吸をした。それからゆっくり取っ手を押す。

 カランカランと、静かな店内にドアベルの音が響いた。

 

 「いらっしゃいませ」


 そんな青年の声が、私の耳に届いた。




 案内された席に座ると、目の前にそっと紅茶とクッキーが置かれた。


 「君が、優ちゃん?」


 青年が訊いた。


 「はい、そうです。いただきます」

 「どうぞどうぞ」


 その青年は笑顔で答えると、そのまま私の前に座った。

 絵も汚れも全くない真っ白なティーカップをそっと手に持った。この匂いは、ダージリンかな。

 そのまま口にそっとつけて、一口飲んだ。

 ティーカップを静かに置いて今度はクッキーを口に運ぶ。ほのかな甘味が口に広がった。

 そしてまた一口紅茶を飲んで、私は口を開いた。


 「この紅茶……これはティーバッグのものですか?」


 私が尋ねると、青年は苦笑いをした。


 「その通り、やっぱりわかる人にはわかるのか」

 「そうですね。ですけど、このクッキーは、とても美味しいです。甘すぎず、やさしい味がします」


 私がクッキーを食べると、青年はさっきとは違い、照れくさそうに微笑んだ。


 「君は、日向さんと同じことを言うね」


 日向、それは私の苗字だ。

 そして、ここで言う日向さんは、多分私の父のことだろう。


 「そりゃ、親子ですから」


 私の父はカフェコンサルタントで、今までに多くの喫茶店を有名店まで導いた。だから、喫茶店を営んでいる人達の間では名の知れた人なのかもしれない。

 そしてその娘である私も、父の影響なのか、紅茶や珈琲に詳しくなった。


 「今回優ちゃんに来てもらったのは、外でもない、この喫茶店をどうか立て直して欲しいからなんだ」


 青年は真剣な表情で言った。


 「でも、何故私が?」

 「それは君のお父さんから言われた通りだよ」


 ここに来る前に、父に同じ質問をしたのを思い出した。その時は“行けば分かる”と言われただけだった。

 私はぐるりと店内を見渡した。

 それほど広くないが、ごちゃごちゃしている訳でもなく、必要最低限の物しか置いていない店内。そこにあるのが当たり前のように、設置されているシックなテーブル。これまた行儀よくカウンターに並んでいるイス。そしてカウンター越しに見える、整った厨房。自分の席のすぐ左にある、大きな窓。そこから見える、街の人達。

 それら全てが、どこか懐かしかった。

 私は青年の方を向いた。


 「よく覚えてないですが、何故だかこの場所、とても懐かしい感じがするんです。だから、父は私に託したんだと、思います」

 「俺も、そう思うよ」


 青年は微笑むと、窓越しに空を見た。


 「外はあんなに賑やかで、明るいのに、ここは昔とすっかり変わっちゃったんだ。皆、バラバラで。だから、優ちゃんにお願いしたい」


 真っ直ぐ私を見つめると、青年は頭を下げた。


 「どうか、この店を救ってくれ」


 その声は震えていた。


 「よろしくお願いします」


 私も、彼と同じように頭を下げた。

 青年は嬉しそうに笑うと、何かに気が付いて慌てて口を開いた。


 「そう言えば、自己紹介して無かったね。日影春です。一応ここの店長、かな」


 春さんは見たところ私よりも年上だろう。少し長めの前髪は分けられており、後ろもそれほど長くなく、爽やかという言葉がしっくりくる。

 私も続けて自己紹介をした。


 「日向優です。歳は一応二十歳です」


 年齢を言ったのは、よくそれよりも幼く思われるからだ。童顔で、なおかつスタイルもいいわけではなく、身長も小さい。染めていない髪の毛は、肩につくくらいの長さで切りそろえてある。

 春さんはそれに対し、驚いた様子はなかった。

 要するに、思った通りだったということだ。


 「弟が、優ちゃんと同じ歳だよ」

 「弟……ですか」


 弟という言葉に、思わず反応した。

 なぜなら、私は暫く春さんの家に居候させてもらうからだ。同じ屋根の下で暮らす人が何人いるのか、どんな人なのかは誰だって気になる。


 「今は、訳あっていないけどね」


 春さんはそう言うと、下を向いた。


 「あの、ひとつ、聞いてもいいですか」


 そう言うと、春さんは下げていた顔をゆっくり上げた。


 「さっきからずっと気になっていたんですが、この店は春さんひとりでやってるんですか?」


 私が質問すると、春さんは一瞬戸惑ったように目を逸らした。

 そして直ぐに言った。


 「そうだよ、俺、ひとり」

 「では何故、貴方は茶葉から紅茶をいれないのですか」


 その言葉に、春さんは口を閉ざした。


 「それは春さんが単純に紅茶をいれられないって訳じゃないですよね」

 「なんでそう思うんだ?」


 春さんの問いに、私はすっと指をさした。さした先は、あの綺麗でとても整っている厨房だ。


 「もし仮に、春さんが紅茶をいれられないとして、何故あんな立派な道具があるんですか」


 つまり、春さんはいれられない訳ではない。

 何かしらの理由があって紅茶をいれないということだ。


 「それに見たところ、かなり使い込まれています。その横に並んでいる瓶に入った茶葉の量や種類を見れば分かります」


 手を下ろすと、春さんは目を細めて苦笑した。


 「優ちゃんには、話しておかないとね」


 そう言うと、春さんはゆっくり席を立った。

 そして、私のキャリーバックを持った。


 「話は長くなる。時間も時間だし、先に夕飯にしよう」


 春さんはそのまま厨房に入って行った。よく見ると、奥には扉があった。


 「お店、空けといてもいいんですか?」


 私がそう訊くと、

 

 「お客さん、来ないから」と春さんは小さく呟いた。












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