第15話  答え

 部長から電話が入り、出勤出来るようになったことを伝えた翌日のことだった。

 直樹から貰った婚約指輪をつけ、怜は昨日の夜に理佐子から届いたメールで呼び出された屋上に向かった。

 指定されていた時間より少し早めに着いた怜はそこで会いたくはなかった相手を目にしていた。


 こっちに背を向けて携帯を操作している後ろ姿は見覚えがある。

「正幸? なんでここにあなたがいるの」

 その問いに振り向いた彼も本当に驚いた表情をする。

 嫌な予感がした。

「もう来てたんですね」

 怜と正幸は同時に声の方に振り返る。


 そこには私服姿の理佐子がいた。

「先輩と武田さんが同期で大学も一緒だったって聞いたときに気付くべきでした。バカみたいに一人で勝手に盛り上がってて」

「理佐子、何か勘違いしてない」

 怜は慌てて彼女の方に歩み寄る。

「いいえしてません。うちの部は異動が多いいから知らない人ばかりでしたけど、社内にいる先輩と同期の方に聞いて回ってどれほどお二人が深い関係で結婚の約束までしていたことなど十分なくらい聞きましたから」

「け、けっこん? そんな話は」

「言い訳はもういいんです」

「言い訳じゃないわ。確かに正幸とは付き合っていた。それを隠していたことは謝るわ。けど結婚の約束なんてしてないの。それは私が一方的に思っていたことで」

 理佐子は怜の話に耳をむけようともせずに話を続ける。

「いいえ、先輩の一方的なものじゃなかったみたいですよ。武田さんも同じ気持ちだったって。私、聞いちゃったんです、昨日」

 怜は表情を険しくして正幸の方を見た。


 彼は正面に立つ理佐子を前に諦めたような顔を浮かべる。

「二人の関係が修復できないきっかけ作ったのが佐伯部長らしいですよ」

 理佐子が怜の方に視線を移す。

「な、なに言ってるの? 私と正幸がうまくいかなくなったのは」

「怜、もういいよ」

 背中越しに聞こえた声は正幸が発した声とは思えないほど冷たい響きを帯びていた。

「こうなった以上…君とはもう駄目だってことだね」

 そう告げられた言葉に理佐子は涙を浮べ、そして微笑んでいた。

「随分とあっさり言えちゃうんですね。当たり前か…。結婚するために選んだ相手ですもんね。先輩とのことのように引きずるほどの絆があったわけじゃないですし」

「正幸、待ってよ。どうしてそうなるの?」

 二人の間に立ち、怜は問いかける。

「これは怜には関係のない話だ。お互いの利害が一致しない以上無理な話だろう」

 落ち着いた声で正幸は答えた。 

「そ、そんな簡単に出すことじゃないでしょ! 理佐子、聞いて私は直樹と」

 理佐子の肩に伸ばそうとした手を彼女は掴んで泣きながら告げた。

「嘘つかないで下さい。こんな指輪しないで下さい! 先輩がずっと想って、待ってた人は直樹さんじゃないでしょ。武田さんですよね? だからあんなに悩んでた」

「違うわ、お願いだからちゃんと聞いて」

「誰かの代わりなんてそれほど酷いことってないと思います。先輩、直樹さんは武田さんの代役じゃないし、私だって先輩の代役じゃないんです」

 理佐子は怜の手を振り払って走り去って行く。


 怜は後ろにいた正幸の服を掴んだ。

「何してんの、早く追って!」

「怜、お前こそ落ち着けよ」

「わ、わたしは落ち着いてるわ。早く理佐子を追って訂正してよ」

 正幸は首を振るだけだ。

「私には分かるの! あの子がどれほどあなたのこと好きになっていたか。だから追って…お願いだから追ってよ」

 泣き叫びながら怜は正幸の胸を何度も何度も叩く。


 けれど彼は動こうとはしない。

「怜。俺はお前に言われた通り逃げてきた。あの時の怜の愛情が重すぎて逃げた。だけどお前と別れてから俺はお前の面影ばかり探してたよ」

 叩きつけていた手を正幸が握り締める。

「なに、何言ってるの?」

 発した声は震え、うまく喋ることが出来ない。

「手遅れだってことは十分わかっている。だけど俺はお前とやり直したい。今の俺なら怜の想いにちゃんと答えられる自信がある」

 掴まれていた手から力が抜けていく。静かになった怜に向かって正幸は静かにたずねた。

「怜、俺の傍にいてくれないか?」


 怜は自分が目にしているシーンが現実とは思えないほど歪んでいることに気付く。

「それって…もしかしてだけど、プ、プロポーズ…?」

 その問いかけが零れたとき、怜は自分が涙を流していることに気付いた。


 正幸は怜の頬に流れ落ちる涙に手を伸ばし、拭いながら頷いた。

「そう。三年前に言えなかったこと」

 怜はその瞬間、自分の感情の変化に不思議な感覚を覚えていた。


 正幸の口から告げられた台詞はずっと待ち望んでいた言葉だったはずなのに、少しも嬉しくはなかった。直樹の言葉を受け止めた時とも違う。

「怜?」

 そう呼んでくれる声さえ、あの頃の正幸とはやっぱり重なることはない。


 そのことに気付いた時、怜は抱きしめられそうになることを拒んでいた。

 握り締められていた手も自分から解いた。

「正幸、ごめん」

「…え?」

 怜は正幸を見上げる。


「なぜだか分からないけど。あなたでもないみたいなの」

 自分の口から零れた言葉と一緒にまた涙が流れ落ちる。

 怜の長い、長い、想いはやっと終わった。

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