第10話 再会

 直樹のマンションを出て、怜は昨日と同じ服装のまま会社に出勤した。

 そんな怜に周りは意外な視線を向ける。

「先輩どうしたんですか、昨日」

 一番に声をかけてきたのは理佐子だ。

 怜は十分睡眠を取れなかったこともあり、険しい表情のまま軽く謝罪を口にする。

 正直な感想として、一刻でもここから逃げ出したかった。

 自分のデスクに腰を下ろし、引き出しから1枚の休暇届けを出す。

「本当に連休取るんですか?」

 後をついてきた理佐子が尋ねる。

 ペンを取ると走り書きして印鑑を押し、たいした会話も交わさずに席を立つ。

 それを部長の机に置いてから鞄を持った。

「も、もう帰るんですか?」

「うん。これだけ出すようにって連絡あったから。私帰るから伝えておいて」

 足早に部屋から出て行こうとした。そんな怜の腕を理佐子が掴む。

「あ、あの先輩、急いでることは分かるんですが、どうしても相談したいことが」

「ゴメン! 私、今精神的に余裕がないの。悪いけど今度にしてくれる」

「あ、でも…」

 珍しく戸惑っている理佐子の様子が気にはなったが、構ってあげられる状態ではない。

それは自分が一番痛感していることだ。


 申し訳ないと思いながら、背中を廊下に向け、部屋のドアを閉めた。

「西脇」

 その声に背筋が凍った。

 出来れば聞こえないふりをして、そのまま部屋に戻りたいほど。

 だがそれは出来ない。

 怜は諦めて振り返る。

 そこには想像したままの光景が存在していて、じっと怜を見ていた。

「久しぶり。元気だったか?」

 笑みが零れる。台詞さえ想像通りだ。


 3年ぶりに再会した正幸は、怜の知っている彼とは似ても似つかないほど物々しい雰囲気を全身から醸し出している。

 それが余計に笑いに変わった。

 発する声のトーンも仕草も、着ている服の趣味も変わっているのに、初めにかける言葉は一字一句違わない。

 別れる時、怜を駅まで迎えに来てくれた正幸が最初にかけた言葉がそれだった。

 その時のことを、今でも昨日ことのように思い出せる。

 約半年ぶりに会った正幸に、怜は抱えていた荷物を投げ出し一直線に走り出した。

 彼の問い答える言葉など一言も出てこなくて、ただ涙がポロポロ零れ、しがみついて泣いたことを思い出す。

 周りからの視線に正幸は何度も離れろよ、と連呼したが怜は従わなかった。

 よくあんなことが出来たものだ。


 浮かべた笑みを消して怜は返事を返す。

「ええ、お陰さまで。部長、届け机の上に置いていますから」

 事務的な対応をして二人の横を通り過ぎる。

 この瞬間を逃げたところで何も変わらないことは十分に分かっている。

 それでも怜は逃げ出したかった。

 けれど部長はそうさせてはくれない。

「休暇届けは1週間前にしか受付けられないことを知っているだろう。そうだ、社内も随分変わっているからな、案内してやってくれ。武田、問題はないだろう?」

 佐伯部長は怜にではなく正幸に確認を取り、それを彼は拒むことはなかった。

 部長は怜の肩に手を置いてからドアを開け、部屋に入って行く。

「どこからご案内すればいいのかしら?」

 落ちてきた髪を耳にかけ、少し離れた場所に立っている彼に話しかける。

「じゃ、とりあえず社食とか」

 そう言われれば移動したなぁと思いながら、怜は頷く。

「分かりました。どうぞ」

 その瞬間、後ろのドアが開いた。

「先輩、あ、武田さん」

 顔だけ出していた理佐子が怜の前にいる正幸を見て声を裏返す。

 そんな光景が昔のシーンを彷彿させた。

「理佐子、何?」

「あ、先輩あてに電話が」

「誰から?」

「香取さんって方からですけど」

その名前に正幸が反応する。

「なんだ、まだ香取と連絡取って…」

 初対面とは思えないやり取りに、理佐子は一瞬眉を動かす。

「あ、彼とは同期入社なの。前にうちに所属してて」

 その説明に理佐子はすぐに笑顔を見せる。

「そうだったんですか!」

「部長に彼の社内案内頼まれたの。悪いんだけど理佐子代わってくれる?」

 怜の申し出を彼女は快く引き受ける。だがそれを正幸が拒否した。

「いや、いいよ。用件終わるのそこで待つよ。つもる話もあるし」

 正幸は落ち着いた口調で言うと背を向けた。


 怜は頭をかきながら事務所に引き返す。

「…理佐子?」

 理佐子の横を通り過ぎて部屋に入った怜は、ドアから動かない彼女を呼ぶ。

 その声に気づくと、彼女は慌ててドアを閉める。

「どうかしたの?」

 少し様子のおかしな理佐子に怜は尋ねた。

 けれど、その問いに彼女は笑顔を見せて首を振り席についた。

 何だが後味は悪かった。

 だが待たせている電話に出て、菜々の話を聞かされているうちに、その不快感はすっかり忘れてしまっていた。

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