第5話 母の思い

 下着を忘れて戻ってきた怜は、妹と母親の会話が聞こえて、ドアの前で立ち止まる。

「無理だと思うけど私を呼んでも。お姉ちゃんの意志が強いのは昔からでしょ」

 母親は水道の蛇口を止める。

「分かっているけどね、それくらいしか思いつかないのよ。あの子だって分かっているはずでしょ、自分が置かれている情況」

「まぁ適齢期だしね。けど難しそう」

 美保が娘を母親に任せ、お茶を入れている。

「怜の我儘なのよ、直樹くんがいい人だから甘えているの」

 そんな母親の発言に、美保は姉を庇うような発言を口にした。

「それって違うと思うよ。いい人だからって言葉は、恋愛にも結婚にも不必要だよ」

 美保はぐずり始めた娘を母親から受け取る。

「そうは言ってもね、結婚するってことは」

「分かってる。お母さんが言いたいことはちゃんと分かってるって。だけど、それだけじゃ割り切れないものってものも、やっぱりあるんだよ」


 美保は両親が決して怜の前では口にしなくなった名前を溢した。

「あの通り一途な性格の人が結婚したいって思う人に出会っちゃたんだから。たぶん、お母さんたちには心配させたくないから言わないと思うけど、お姉ちゃんは今でも正幸さんと結婚したかったと思ってるよ」

 泣き止んだ娘に笑顔を向けて美保はそう言い切った。

 怜は妹の言葉に息を止め、背中を扉にあずける。母親は無言だ。

「直樹さんと結婚すれば幸せになれるって、お姉ちゃんが誰よりも一番分かってるって思うの。それを迷っているってことはそうじゃないの?」

 美保の問いに母親はため息を溢す。

「それは母さんだって武田くんで問題はなかったわよ。多少、色々あったけど怜が好きで選んでいた相手だったし、付き合いも長かったしね。けどしょうがないでしょ、縁がなかったと思うしか」

 母親の本音を知った怜はこめかみに手を当てる。

「三年前武田くんのところに行って何があったかは分からないけど、正直また縁があっても、娘にあんな顔をさせた人のところには嫁がせたくないわ。たとえ本人が望んでも」

 そう呟いて母親は席を立つ。

 美保はそれ以上何も言わなかった。

『別れてきた正幸と。やっぱり無理だった。私が望むものを自分は与えられないって』

 あの時、無理に笑った自分の顔が今にも消えてしまいそうだったことを思い出し、怜はそっと目頭を押さえた。

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