第三章-3
それほど長い間籠っていたわけではないが、綾香の感覚としては随分と久しぶりに生徒会室の外に出た気がしていた。
意識を失う前、その時に見た時でもこの廊下は薄気味悪くて不気味だったのに、今では完全に光を失い、深い闇が辺りを支配している。
茫っと輪郭をぼやかしていく暗闇が彼方にまで続いていそうな古びた廊下。静謐に包まれているからか、一歩踏みしめるごとに木製の床は悲鳴染みた音を小さく上げる。
床の軋む音ばかりが響く真っ暗闇の中で、この静寂と同調してしまいそうな声色で刹が語る。
「みんな揃ったね。では行くよ」
手にしていた懐中電灯に灯りを灯し、色の無かった廊下を光が貫いた。
闇に馴れつつあった綾香の目には、その輝きは強くて一瞬目をすぼめたが、次第にその光にも慣れ、木目の浮かぶ廊下を刹の後について進み、階段を下り、更に幾らか歩けば旧校舎から出ていた。
校舎内からは見えなかったが、照明がすべて落とされた学校から見上げる夜空は、普段見ている時よりも闇の色が濃く、星の輝きが鮮明に見えた。
放課後には部活動の生徒たちで賑わいを見せている校庭も、当然のことながら今ではすっかり人気もなく、月明かりで薄っすらとその全容が望める程度だった。
校庭を見守る校舎も深い影を蓄え、昼間には大勢の人がこの中にいるのが嘘のように、昏く聳えていた。
太陽の日差しが消えただけだというのに、この学校が自分の知らない初めてきたような場所のように綾香には見えていた。日々の学校生活の中で、明るい日の下で過ごしていた時間がどこか遠く、郷愁すら感じてしまいそうだった。
それほどまでに、夜の学校は不穏で、不気味な雰囲気に支配されていた。
そして、皆を先導している刹は当然のように鍵束を取り出し、施錠されていた渡り廊下の鍵を開け、新校舎内へと続く扉を開けた。
「よし、開いたし行こうか」
鉄製の扉が錆び付いた悲鳴をあげながら、内に秘めた闇を晒す。
一行は促されるがままに新校舎内部へと足を進める。
そして、出入り口である扉が完全に閉まってしまうと、校舎の中は耳が痛くなるほどの何もない無音が立ち込めていた。旧校舎はその名の通り、古く、どこからかの隙間風や外の音が僅かに漏れ聞こえていたが、コンクリートに覆われた新校舎は、外からの音が聞こえないせいか、自身の心音すら聴こえそうなくらいだった。
足音を立てる度に、反響したそれは校舎の彼方へと吸い込まれ、消失する。
鳴っている足音は四人分のはずなのに、音がよく響く所為で他にも誰かが居て、後をつけられているのではないか、綾香はそんな錯覚に苛まれながらも歩き続け、放課後に愛美と別れた場所にまでやってきた。
「さて、これから逢坂さんが〝虚影〟に巻き込まれた、とみられるトイレに向かうのだけれど、篠宮さんは大丈夫なのかい?」
悠莉の身に起きたことを調べる為なら、覚悟は十分にしたつもりだ。だから、今更逃げる理由なんてみつからなかった。そんな決意を胸に綾香は告げる。
「はい、大丈夫です」
そんな真っ直ぐな気持ちを受け取った刹は、いつもの微笑みに少し困惑を混ぜて返す。
「その前向きな気持ちは大変嬉しいのだけれど、そっちの方ではなくて、トイレに行かなくても大丈夫かい? と、訊ねたんだ」
「……えっ、トイレ?」
そこまで口にして、綾香は忘れていた自分がトイレに行きたがっていた事実を思い出した。刹の解説や、二人の一触即発した事態や、緊張からすっかり忘れてしまっていた。そして、一度思い出してしまうと、堰を切ったかのように一気に限界が訪れそうだった。
「あっ、私行ってきます」
人間としての尊厳を守るためにも小走りでトイレへと向かう。
「待ってよあやちん!! あたしも一緒に行く!」
静けさの中に一瞬生まれた賑やかさを伴って、愛美も走った。
「あなた、そういう趣味があったの?」
そして刹と共に残された深琴の瞳には、普段の冷たさとば別種の蔑みや、嘲りを混ぜで刹を責め立てている。
「神代さんが何を言おうとしているのかはわからないけれど、僕も結構限界だから失礼させてもらうよ」
常人であれば身動きを取れなくなりそうな、そんな恐怖を感じる深琴の瞳に睨まれても尚、常の微笑みを崩すことなく、その場を立ち去ろうとする。
そして刹は、何かを思い出したかのようにわざとらしく「ああ」と言ってから続ける。
「そういえば神代さんはトイレに行かなくていいのかい? 随分と長く生徒会室に居た訳だし、辛くはないのかな?」
闇の中に白く浮かぶ、不気味な微笑みが深琴を捉える。
「行くけれど何か問題でもあるかしら?」
深琴は品のない会話に苛立ちを覚えつつ、冷たく言い返した。
「いや、何も問題はないよ」
刹は短く言い残し、歩き出す。
最後に取り残された深琴は綾香たちの方へと向かう。
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