第三章-2
「えっ!?」
普段通りの変哲のない口調で告げられた、その、自分の日常を大きく狂わされてしまいそうな言葉に、綾香はどうすればいいのかもわからず、ただ困惑した。
「それに、完全ではないようだけれども能力が目覚め掛けているようだしね」
「……え?」
綾香は、唐突に告げられたその言葉を理解するのに躊躇いがあった。
自分にも〝万屋〟の人たちのように何か得体のしれない力が顕現してしまったのか、と思うと、今まで日々を過ごしてきていた日常がどこか遠い場所のように思えた。
そんな綾香の懊悩に構うことなく、刹は綾香の顔を覗き込み何かを確かめる。
「うん、まだ断片のようだけれど、篠宮さんに目醒めようとしている能力は〝
「ヴィジョンサーチ……」
平時であればそんな胡散臭い横文字など、綾香は気にも留めなかっただろうが、刹の口から告げられたその言葉は、何の確証もないのに無条件に信じてしまった。
「そう、〝虚影感応〟。その能力は〝虚影〟を感じ取るもので、僕らみたいな人間ならまず持っているような力だから、珍しくはないのだけれど、篠宮さんの場合は特別に感度が高いのかもしれないね」
綾香は自分にも彼らと同じような力がもうあると言われ、必死に受け入れようとしてみるが、それは他人の夢を覗き込んでいるかのように、自分の意識とも感覚からもかけ離れていて、実感が湧かなかった。
そんな呆けている綾香を横目で眺めながら、刹は微笑み、話を続ける。
「さて、ここまでは〝霊〟と〝魂〟に触れてきたけれども、ここから先は僕らが相手をする宿敵でもある〝虚影〟について触れようか。
先ほどは〝魂〟を〝雲〟、〝霊〟を〝雨〟に当て嵌めて説明して、大本である〝魂〟を叩くといったね。この〝魂〟がある状態となると〝虚影〟と僕らが呼んでいるモノになるんだ。そして、この〝虚影〟を生み出しているモノが何なのか、篠宮さんならもう感じ取れているのではないかな?」
身構えていない時に投げかけられた問ではあったが、綾香の頭の中にはもう既に一つの言葉が答えとして用意されていたので、あとはそれを声にするだけだった。
「……〝想い〟ですか?」
言い終えるなり室内には沈黙が生まれ、綾香は誤答してしまったのか、と心中で震えていたが、刹はいつになく上機嫌に口を開いた。
「そう、その通りだよ篠宮さん。〝虚影〟とは、物語の中の人の〝想い〟が、ある場所に、あるものに固執し、執着し、固着し、取り憑いた〝魂〟なんだ。
やはり篠宮さんは、僕たちの仲間となってもらうだけの十分な素質を備えているみたいだね。〝虚影〟とは、この世に留まる為に何かに取り憑いた〝魂〟だと見抜き、その本質は〝想い〟だと捉えた。
いやはや、想像以上だよ。これだけの素養を身に付けておきながら、今まで〝虚影〟と無関係でいられたのが不思議なくらいだ。いや、だからこそ狭山さんとも仲良くなれたのだろうね」
刹は興奮気味につらつらと言葉を並べていたが、そこに唐突に愛美の名前が挙がった。
綾香は気になり、手を繋いでいる愛美の顔を見上げてみるが、ぼうっと遠くを見ているその姿が不安になり、声をかける。
「どうしたの? 大丈夫?」
「あ、ううん、何でもないよ。ちょっと考え事をしていただけだから」
とても何でもないように思えない、急いで取り繕った愛美の微笑みに、綾香の中で不安はより濃いものに変化するが、話したがらないのだから無理に訊く必要はないと押し黙る。
「そう……」
きっといつか私に話しても大丈夫な日がくる、と綾香は自分に言い聞かせ、もやっとした感情を振り払い、再び刹と向き合う。
「さて、少し脱線してしまったけれど、先ほど語った〝開かずの部屋〟の物語に〝虚影〟を当て嵌めてみようか。
まず、この物語で印象に残る要素を上げるなら、まず一つ目に〝外方箱〟二つ目に〝蟲毒〟、そして三つ目に〝神隠し〟だね。これらの中から強く印象に残ったモノを挙げるなら、普通は〝外方箱〟か〝蟲毒〟のどちらかだろうね。実際に人を殺める切っ掛けとなったこの二つと見比べると〝神隠し〟は遺体を隠しただけで、印象としてはどうしても弱いからね。でもね、僕はこの印象に残り難い〝神隠し〟こそがこの物語の真意だと考えてるんだ」
「どうしてですか?」
刹が自らも言っていた通り、〝神隠し〟は〝外方箱〟や〝蟲毒〟と比較すると、派手さもなく見劣りしてしまう。
「考えてみても欲しいんだ。もし、この物語の真意が〝外方箱〟か〝蟲毒〟ならば、今現在この部屋に働いている能力はどうしても納得がいかないんだ」
「あっ、言われてみれば確かに……」
この部屋に掛かっている能力は、〝万屋〟の活動を外の人に知らせない為に、この豪華な部屋を隠しているものだ。綾香にはこの部屋が誰かに危害を加えられるようなものには思えなかった。
「そう、体感してもらった通り、この部屋に掛かっている能力は〝神隠し〟に由来する力だけで、その他の能力は見受けられない。他の能力が消えて、この〝神隠し〟だけが絶妙に便利な形で残っているのはあまりにも都合がよすぎるとは思わないかい?」
「確かに便利すぎるとは思います」
彼らの語る常識がどういったものなのか、まだ認識しきれていない綾香ではあるが、この部屋が非常に便利なことは疑問に思っていた。
「だけれど、この物語の真意が〝神隠し〟だとするのなら、まだ納得はできるんだ。別に神代のお婆様の力を疑っているわけではないけれど、あまりにも強力だった〝神隠し〟の能力だけは封じきることが出来ず、弱らせるのが精一杯だった。そしてその後にこのような形になるように調整した」
身内に対して不信感を募らせる言葉を聞いた深琴は、僅かに眉の根を釣り上げ、今まで閉ざしていた口を開いた。
「そんなの貴方の推論でしょ? お婆様の実力を疑うつもりかしら?」
ひと睨みされただけで猛獣でも逃げ出してしまいそうな深琴の瞳を、刹は涼し気な表情で真正面から受け止める。
「いや、あの方の実力を疑うつもりなんて微塵もないよ。あのお婆様なら敢えて弱らせて、狙ってこんな便利なモノに仕立て上げるなんて平然とやりかねないからね。それにね、まったく無根拠であんなことをいったわけではないんだ。
この物語には幾つもの〝隠す〟という要素が潜んでいるんだ。それが幾重にも折り重なって〝神隠し〟の〝隠す〟という性質をより強固なモノへと変貌させた、と考えているんだ。
まず一つ目に〝隠された真実〟。この物語の中には幾つもの噂が飛び交ってはいたが、それの真相を知る者は誰一人として存在していないんだ。なぜ誰もいないのかを考察すると、真実を知ってしまった人は、その事実によって例外なく消されてしまったから、真相が広がらないんだ。
そして二つ目に〝隠された教室〟。これは継ぎ接ぎのように校舎の増改築を置かない、件の教室が人目につかないように隠蔽したのだろうね。木を隠すなら森の中、というように大量の教室が無造作にあれば、そんな珍しくもないモノは人目を引かずに忘れ去られるだろうからね。
そして三つ目が〝隠された神〟。全国を行脚していた歩き巫女が使用していた〝外方箱〟だから思いもよらない場所にあっても不思議ではない、と考えられなくもないけれど、流石に巫女の持ち物である〝外方箱〟が学校という学び舎の中にあるのは不自然だよね。でもね、もしその教室が〝外方箱〟を封じる為に設けられた部屋で、〝外方箱〟が自然の力で朽ち果てるのを待ち続けていたのかもしれないね。そんな人の手には負えないような危険なものにも関わらず、この〝外方箱〟に関しては噂すら出回っていないんだ。それはどうしてかと言うと、物語の中の人たちのように怖い物見たさで訪れる人を出さない為だろうね。つまり、〝外方箱〟を封じたことすら隠していたんだ。
そして最後が〝隠された神隠し〟。これは〝外方箱〟と〝蟲毒〟という目につく物語の影に追いやられ、印象を茫漠とされた〝神隠し〟の存在だね。
そして、これはこの手の物語にはよく見られる見られるものだから蛇足になるかもしれないけれど、〝隠された語り手〟もあったりするんだ。
そもそも誰がこの〝開かずの部屋〟の物語を創り出し、後世へと語り継ぐ元凶になったんだろうね? ちなみに僕がこの物語を始めて聴かされたのは先代の〝万屋〟の人からなんだ。で、その先代は誰から聴いたのか、と訊ねてみたら、先代の〝万屋〟から教えてもらったらしいんだ。つまり、この〝開かずの部屋〟の物語は代々〝万屋〟の中で語り継がれているんだ。
代々語られる物語、これの出自が気になって色々と調べてはみたけれど、やはりどこから生まれた物語なのかはわからなかったんだ。語られるようになった明確な時期はわからなかったけれど、調べが付いた範囲内でこの物語が初めて出てきた時代が、この〝万屋〟の創成期だということだけなんだ。始めから期待はしていなかったけれど、やはり出自はみつけられなかったよ。
さて、幾らか横道逸れてしまったけれど、これまで語ってきた通りこの決して長くはない〝開かずの部屋〟の物語には〝神隠し〟以外にも多くの〝隠す〟があるね。こじ付けだと主張されてしまえばそれまでかもしれないけれど、この短い物語の中にこれ程同じ要素が重複しているのは、意図してこんな物語を創り出したとしか僕には思えないんだ」
滔々と語り続けていた刹はようやく落ち着き、冷たい視線を送り続ける深琴に微笑み掛けるが、返ってくるのは素っ気ない言葉だった。
「貴方がそう考えるのは自由だから、否定も肯定もしないわ」
一々取り合うだけ時間の無駄だというのに、深琴は刹に一瞥でもくれてやってしまったことに後悔していた。
そして刹は、深琴が自身の言葉に一片たりとも興味を持たれていないのを感じ取ってか、張り付いた微笑みの目じりが僅かに動き、熱情を押さえた声で続ける。
「この際だから言わせてもらうけれども、僕はこの物語の元凶となった人物は神代のお婆様ではないか、と考えているんだよ。〝万屋〟を立ち上げた時にはお婆様も所属していらしたようだし、若かりし頃は非常にやんちゃだったという噂も有名だ。力のはけ口を求めていたお婆様が、自らの実力を測る為に〝神蠱〟を行い、今こうして語られている形へと物語を創り変えたのかもしれないよね?」
口調や表情はいつもと変わらない刹だが、体内から溢れ出てくる感情を押さえているようにも見えた。
「そう、貴方がそう思いたいなら、それでも構わないわ」
より一層深琴の光彩は鋭く、冷たく光る。
そんな二人のやり取りをみて、綾香は愛美にひっそりと訊ねる。
「ねえ、マナ。もしかしてあの二人って仲が悪いの?」
愛美がここにいてくれなかったら、直ぐに逃げ出していたであろう険悪な雰囲気に綾香はたじろいでいた。
「なんていうか、昔から馬が合わないらしいね。つまりはそういうこと」
はは、と愛美が苦笑いを浮かべている間も、二人の剣呑な雰囲気が解消される見込みはなく、視線の刃がより鋭くなったように見えた。
子供みたくわかりやすく暴言を吐いて、罵りあっているのなら、容易に仲裁に入れそうなのだがいれそうなのだが、方や微笑み、方や無表情と言葉を必要とすらしていなかった。
そんな視線だけで相手を殺そうとしていかのような、殺気立った空気に綾香は怯え、愛美の影へと隠れ込んだ。
ここに来てから沈黙が続く機会は多かったが、その中でも一際厭な沈黙。
自身の影に隠れた綾香と触れるその手は、恐怖からか震えており、愛美は一つ息を吐いてから、意を決して二人に声を掛ける。
「あの、先輩方? 仲が良いのは十分に伝わりましたけど、目的を失っていないですか?」
言い終えるなり、愛美は自身の影に隠れていた綾香を生贄を差し出すが如く、押し出した。
押し出されている当人である綾香は、これから崖に突き落とされそうになっていて、必死に粘ってその場に留まろうとするが、愛美に身体を持ち上げられてしまい、涙目ながらに諦めた。
その綾香のあまりの狼狽え振りを見て、冷静さを取り戻したのか、二人は睨み合うのをらみ合うのをやめ、刹が口を開く。
「そうだね。こんな無駄なことをしている場合ではなかったね。では、行こうか」
そして、いつも通りの空虚な微笑みを張り付け直した刹が扉を開け、廊下の向こうへと姿を消し、その後を無言のままの深琴が続く。
「いやぁ、今回はあやちんが居てくれたお陰で、直ぐに収まってくれたから助かったよ」
愛美は額の汗を拭うジェスチャーをしながら、安堵の溜息を吐いた。
「そうなんだ。じゃあ、もし、すんなりと収まっていなかったらどうなっていたの?」
綾香は何気ない気持ちで訊いたが、愛美は厭な過去を思い出してしまったのか、表情は一気に陰り、どこか遠くを見つめていた。
「あぁ、うん。知らないで済むならそれが一番幸せだよ。あれは一歩間違えたらリアルに死者とか出かねないから……」
トラウマを思い出したかのような愛美の反応を見て、綾香はこれ以上問いただす気にはなれず、自分の身にそのような事態が訪れないように、と祈った。
「あ、そうだ。私たちも行かないとね」
そして、綾香は暗い表情をした愛美の手を取って、一緒に行こうよと促しながら引っ張る。
愛美にこれ程のトラウマを植え込むなんて、どんな状況なのだろう、という興味はあるが、本当に危なそうなので触れないようにしよう、と綾香は決心した。
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