第二章-4
「これが、この部屋に纏わる物の物語だよ」
語られた過去の話し、それはまるでお伽噺のように現実味のない物であったのにも関わらず、綾香はその話し全てがお伽のモノとは思えなかった。
「篠宮さんはこの物語を聴いて何を感じたかな?」
窓際の席に座る刹がいつも通りの感情の見えない、貼り付けたような笑顔で訊いてくる。
「……なんて言ったらいいのかわからないんですけど」
「ああ、構わないよ。篠宮さんの言葉で篠宮さんなりに話してくれればそれでいいんだ」
「はい……」
頭の中に渦巻く言葉を一つ一つ掬い上げ、思い思いの言葉を紡ぎだしていく。
「聖なるものなのか、邪悪なものなのか、そんなよくわからないモノがいるような気がしました」
物語についての感想を述べようとしていたのに、口をついた物は自分でも予想をしていなかった、感覚に任せた言葉だった。
「……」
その言葉を刹は大きな椅子に腰を掛けたまま聴き続ける。
「とても強い力、それがなんなのかはわからないですけれど、そんなものがあるような気がしました」
そして、生徒会室の中に沈黙の澱が落ちる。
自分が何か言ってはいけないことを口走ってしまったのか、と部屋の中にいる面々の表情を窺うが、綾香と視線を合わせてくれる者はおらず、一応に刹の方を見つめていた。
長い沈黙、全員の視線を一身に受ける刹は常の笑顔を貼り付けたまま、何か思慮しているようにも見えた。
続く静謐、それを打ち消したのは刹が立ち上がる際に立てた椅子の小さな音だった。続くように足音が鳴り、綾香の元へと近寄っていく。
突然自分の前に刹が来た事に綾香は戸惑いどうしたらいいのかわからず、結局ただ刹を見つめ続けた。
刹だけが動くことを許されたかのような、凄然とした静寂。そこに声が響く。
「どうやら篠宮さんの素質は本物のようだね」
件の笑顔が本当に喜びを含んでいるような、感情のない顔に感情が宿ったように見えた。
「そう、篠宮さんが言った事はこの物語の真意を捉えているんだ」
大仰な身振りを交え、滔々と語りだす。
「まず、この物語にはある特別なアイテムが関わっていると考えられているんだ。そのアイテムと言うのは〝外方箱(げほうばこ)〟と〝蠱毒(こどく)〟と呼ばれているものなんだ」
耳馴染みのない二つの物の名前に疑問を持ちながらも、刹の次の言葉を待つ。
「それではまず、〝外方箱〟について簡単に説明をしようか。〝外方箱〟と言うのは昔、特定の神社に所属することなく日本中を歩き、まじないをして生計を建てていた巫女が所持していたとされる箱の総称で、彼女達がまじないを行う際に使用されていたとされるのが〝外方箱〟なんだ。そして、一番重要なのがこの〝外方箱〟の中に入っている物だ。一体何が入っていると思う?」
刹からの突然の質問に幾らか戸惑いはしたが、不思議と答えが思い浮かんだ。
「……神聖な何かですか?」
「そう、その通りだよ。〝外方箱〟の中に封じられている物は神聖なるもの、つまり神様だ」
「神様……ですか?」
神様といわれ聖なるものとの結びつきには納得できたが、箱の中に神様が入っている状態をイメージできなかった。
「別におかしくはないさ。ここは八百万の神がいるといわれている日本だよ。岩や木に神が宿ると考えがあるのだから不思議ではないさ。それに入っている物を正確に表すなら、神を象徴した御神体が入っているんだ。
有名な例を上げると、伊勢神宮に奉納されている天照大神を象徴する八咫鏡(やたのかがみ)なんかがあるね。ただ、〝外方箱〟の中に収められていると考えられているのはそんな大層な物ではなくて、人形や動物の頭なんだ。まあ、依代にできそうな物であれば何でもいいみたいだけどね。それで、その神様の力を借りてまじないをしていたそうだ」
神様自体が入っているわけではないと聴かされ、ある程度現実じみたもののように感じ取れた。
「それじゃあ次は〝蠱毒〟だね。これは篠宮さんが言った通り邪悪なもので間違いないんだ。この〝蠱毒〟と言うのは呪殺をする為に用いられる強力な呪いの道具なんだ」
呪殺、その言葉を聴いて綾香は背筋が凍るような不安を感じてきた。
「元々は古代中国で行われていた呪術みたいで、やり方は一つの器の中に大量の蟲を入れ、互いに喰い合わせ、器の中で生き残った最も生命力の強い蟲を呪術に使用するんだ」
互いを喰らい合わせる、その儀式内容を想像しただけも綾香は自身の血の気が引いて行くのがわかった。
「今は蟲を使用した例で説明したけれど、これは別に蟲でなくても構わないんだ。蟲の代わりに犬を使った〝犬蠱〟、蛇を使った〝蛇蠱〟。そして、人間を使った〝人蠱〟」
〝人蠱〟、刹にそう言われ、綾香は彼が言おうとしている事がなんとなく見えてきた。先ほど刹が語った昔話、あれは人間同士での〝蠱毒〟の可能性を示唆している物なのだと。
「察してくれたみたいだけれど、そう、この物語は人間同士で〝蠱毒〟を行った例の物語であるかもしれないんだ。別に器は箱でなくてはならないなんて決まりはない。箱のように密閉された空間であるのが条件なんだ。つまり、扉が閉まり外とは隔離された教室は、器としての条件を十分に満たしているんだ。ここまで言えば篠宮さんなら僕が何を言いたいかわかるかな?」
言葉にして説明をすることはできないが、刹が求めている回答を想像することができてしまった。
不安そうな表情を浮かべる綾香を見つめ、刹は彼女の素質を確信しながら語り続ける。
「最初に言った通り、この物語には〝外方箱〟と〝蠱毒〟が関わっていると考えている。特に重要とされているのが〝蠱毒〟の方だ。先ほどの物語で、器としての条件を満たした部屋の中で、カサカサ、と何かが這いずるような音が聴こえるといったね。それこそがこの物語の根幹である〝蠱毒〟の最後の生き残りであり、〝外方箱〟の中に封じられていた神様なんだ。
つまり、〝神蠱〟の生き残りと言うわけだ」
聖なるものであるはずの神様でありながら、呪術の為の呪具である。それを綾香は聖なるものか邪悪なものかよくわからないと感じ取った物の正体だった。
「〝外方箱〟の中に詰める御神体は神の依代として使える物であれば何でもよく、その対象に何匹もの蟲を詰め、それら全てに神を降ろしてしまった。そして、〝外方箱〟も箱と名が付いているだけはあって、器の条件をみたしていたんだ。
そして神でありながらも生き物である蟲(かみ)たちは互いを喰らい合い、最後には一柱になってしまった。その神が収められた〝外方箱〟と言う名の〝神蠱〟が何らかの経緯を持って部屋の中に封印されていた。
そして、物語の中で女子生徒が拾った紙は部屋を封印していたお札だね。それで封印を破り入ってしまった彼らは神にとり憑かれた女子生徒によって殺されてしまった」
ようやく刹の語りが終わり、綾香は安堵を取り戻してきていたが、再び口を開いた刹により安堵が奪われる。
「だが、これで終わりではないんだ。むしろこれからが僕たちに取っては重要な事なんだ」
安堵からの振り幅が大きい分だけ、綾香の心中は大きく揺れたが、刹は構わず語る。
「これは〝神隠し〟の物語でもあるんだ」
〝外方箱〟、〝蠱毒〟と続いて出てきたそれは聴いた事だけはあるものだった。
「〝神隠し〟は有名な話しだし、ざっくりと説明するけれど、ある日忽然と人が消えてしまう現象だね。それがこの物語どう関係してくるのかというと、部屋の外と中だね。聴いていて不思議に思わなかったかい?」
「……はい。開けた人ですよね」
自分でもどうしてそう思ったのかわからないのに、答えた内容には自信があった。
「その通りだ。男子生徒が扉を開けた時にだけ〝外方箱〟が封印されていた部屋へと繋がっていた。〝神隠し〟とは、いわば神に選ばれた物が導かれる現象だ。そして選ばれていたのは男性だったんだ。何故女性ではなく、男性が選ばれていたかという理由は簡単だ。元来、女性は男性よりも神仏を感じ取る力が強いんだ。
有名な例で言うなら、東北地方の〝イタコ〟や沖縄の〝ユタ〟なんかだね。感じ取る事ができてしまうと、無意識であっても抵抗をしようとしてしまい邪魔になる事が多いんだ。だから、抵抗することのできない男性を招き入れる。もし、女性を招き入れてしまった時は真っ先に乗り移ろうとするんだ。
感じ取れると言うことは一度乗り移ってしまえば、感応性が高く力を最大限に発揮できてしまうからね。それで、一見すれば人間同士での殺し合い、つまり〝人蠱〟と捉える事も出来てしまうんだ。ちょっと脱線したけれど、つまりは男性が開け中に入ったらもう出て来ることはなく、消息不明となってしまう部屋でもあるというわけだね」
聴いていて気分のいい話では無いそれにようやく区切りが付き、今度こそ安堵した綾香は、根本的な疑問を訊ねてみた。
「あの、その物語がなんでこの部屋に纏わる物語なんですか?」
この学校でいう七不思議である〝開かずの部屋〟と同じ名を冠しているだけで、この部屋事態に何か関わりがあるような話しにはとても思えなかった。
「ああ、そんなことかい?」
今まで立ち歩きながら語っていた刹は自分の席に付いて、なんでもない世間話をするかのように、軽い口調で答えた。
「その〝外方箱〟がこの部屋にあるからだよ」
「はあ、そうなんですか……」
日常会話のように語られ、平然と受け答ええをした綾香だが、たった今言われた言葉を新ためて吟味してみる。
〝外方箱〟がこの部屋にある……?
とんでもないことを言われたと気が付いた綾香は急に立ち上がり、そして、
「えっ、どういう事? それって大丈夫なの?」
どうしたらいいの、と慌てふためいていた。
「落ち着いてよ、あやちん」
友人のそんな様子に見かねて、今まで静観していた愛美が動きだし、綾香の事を羽交い締めして、うんしょ、と小さな掛け声を出して、綾香を持ちあげた。
「別に、そんな慌てなくちゃいけないような事でもないからさ」
腕の中に収まり、足が浮いて身動きの取れないでいる綾香に告げる。
「いやだってどう考えたって危ないでしょっ!? それにこれ止めてよマナ!」
脚をバタバタとさせて、降ろして、と必死に抵抗してみるが、身長差の前には為す術が無かった。
「止めないよ、だってあやちん可愛いんだもん」
そしてそのまま椅子に座り、膝の上に綾香を座らせて愛美は満足そうな表情を浮かべる。
「二人は本当に仲が良いんだね」
そんなやり取りを見て、刹が微笑んでいた。
「はい、そうなんですよ。でも今はそれよりもちゃんと説明してあげて下さいよ」
「ああ、そうだね」
愛美に促されて忘れていたことを思い出したかのように刹が語る。
「ほら、篠宮さん。あっちを見てご覧。そこに剣が刺さった箱があるだろ」
刹の指差す先に視線を向けてみると、年代を感じさせるニ十センチにも満たない直方体の小さな箱があり、それに錆ついた一振りの剣が直立に突き刺さっていた。
だが、それを見ても物語を聴いていた時の様な厭な気配は全然感じ取れなかった。
「それがこの部屋を〝開かずの部屋〟たらしめている物なんだよ。そして、その箱があるからこそ、僕たちは〝万屋〟という隠匿した組織を維持できているんだ」
人形のように愛美に抱かれた綾香は身体を捩って脱出を試みてみるが、がっちりとホールドされて抜け出せそうにないので、大人しく話しを聴く。
「さっき〝神隠し〟について語ったよね。その〝神隠し〟の便利な部分だけを使えるように調整されたのがそこにある〝外方箱〟なんだよ。僕が〝開かずの部屋〟の物語を語る前にいったよね、この部屋のように使役するって。そして使役した結果、得たのが表と裏の部屋なんだ。表の部屋と言うのは先ほど見たみすぼらしい生徒会室で、裏の部屋と言うのがこの豪華な部屋なんだ。それで、この能力で一番重要なのは、この裏の部屋に入れる人間を振り分ける機能なんだ」
刹が先ほど男子生徒から受け取った書類をみせながら続ける。
「先ほどこの書類を届ける為に、一人の生徒が入って来たね。そして、その瞬間に部屋は表の姿へと変わったんだ。そして切り替わる条件が事象に対して介入する能力の有無なんだ。
この部屋は〝万屋〟としての活動に必要なものばかりが在って、中には一般人に見つかるといささか面倒なものあったりするんだ。その〝外方箱〟も一例だね。で、そんな物を一般人に触れられないように、部屋を切り替えてくれるのが、その〝外方箱〟なんだ」
「便利なんですね」
愛美に頭を撫でられているが、そんなことは無視をする。
「確かに便利なんだが、それだけではないんだ。これだけの力があるんだから当然、危険もある。けど、普通にしている分にはまず問題は無いんだ。ことわざで、触らぬ神に祟りなし、と言うものがあるよね、まさにそれなんだ。
あの突きささっている剣が〝外方箱〟の邪悪な部分を封じ、便利な部分だけを切り出してくれているみたいなんだ。だからさっきの篠宮さんみたいに暴れ出したりしなければ問題はないんだ」
そう言われて、綾香は小さい身体を更に小さくしていた。もし愛美に取り押さえられなかったとしたら、気付かずあの箱に触れていたかもしれない。
「あの、もし触れてしまったらどうなるんですか?」
良くないことが起こるのは想像がついていたが、それでも聴かずには居られなかった。
「ああ、簡単だよ。恐らくあの物語と同じ末路を追うだけだから。もし、そうなったら殺し合いにならないように祈っておこうか」
〝外方箱〟があると告げた時と同じような、あっけらかんとした態度で語られた。
「そ、そうですね」
綾香は苦笑を浮かべるくらいしかできなかった。
「さあ、この際だ。何か聴きたければ訊いてくれ。答えられる範囲であれば答えよう」
刹の一見すればありがたいとも取れる申し出だが、別の捉え方をするなら、この現実離れした事象の更なる深みへと脚を突っ込むわけだ。だが、綾香は自らぬかるみに入るかのように訊き入る事にした。
「あの〝外方箱〟の封印って誰がやったんですが?」
あの〝外方箱〟物語通りの能力を秘めているというのなら、並大抵の人間ではこの部屋に入った瞬間に、箱の中に潜んでいると言われる神様に憑かれてしまうだろ。
「それはね、神代さんのお婆様が行ったらしいんだ」
「えっ!?」
聴くなり綾香は深琴の方を向いていた。
そして今度は深琴の口から語られる。
「我が家、神代家はね、苗字でも察しがついているかもしれないけれど、神に関わる一家、つまりは神社を営んでいるの。長い歴史を持つ名家らしいけれど、そんなことはどうでもいいわね。で、その箱を封印したとされているお婆様は、我が神代家の歴史の中でも最高峰の巫女だったらしく、単身でこの部屋に乗り込み、〝外方箱〟の中にいた神様を屈服させてその聖剣で封印しました。と言うのが、我が家に伝わっているお話よ」
刹と同じように表情には変化が無く、冷たく切り裂くような眼差しで訊かされた。
「戦って勝てるようなものなんですか?」
当然のように湧いた疑問に刹が答える。
「普通の人間だったら、まず間違いなく取り憑かれてしまうだろうけれど、神代のお婆様は規格外のお方でね、あのお婆様だからこそ為し得た御技と言った所だね」
ただモノではなさそうな雰囲気を醸し出している刹が、そこまで言うからには余程凄い人なのだろう、と綾香は認識しておく。
「さて、こんな所でいいかな?」
「はい、大丈夫だと思います」
愛美の膝の上で少し考えてみたが他には浮かばなかった。何か新たに浮かんだらその都度に尋ねればいいだろうという安直な考えもあったからではあるが。
「それでは、もう少ししてから本日の活動を始めようか」
もう見なれてきた笑顔を貼り付けただけの刹の顔。
部屋の中に注ぐ日差しはいつの間にか紅に映る。
その活動と言うのに不安を募らせるのは綾香。
だが、逃れる事は愛美によって許されない。
ゆっくりと部屋の色が暗く染まっていく。
昼と夜に挟まれた時間、誰ソ彼時へと。
人間の姿が見えにくくなるにつれて。
見えやすくなるモノたちの時間へ。
近づいて行く、薄暗い世界へと。
刻一刻と時は刻まれ、過ぎる。
過去ばかりが積み重なって。
未来は闇の向こうに霞む。
輝度が落ちて行く世界。
濃くなる、暗くなる。
濃くなる、暗闇が。
ひたひたと迫る。
静かに満ちる。
全てを喰い。
浸食する。
染める。
一色。
黒。
。
…………
……………………
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