第二章-2

 友人である愛美にこの場所が〝開かずの部屋〟であると紹介され、綾香はただ茫然と愛美を見つめ困惑していた。そもそも〝開かずの部屋〟を探そうと言いだした張本人である愛美が何故、ここが〝開かずの部屋〟だと知っていて、平然と私の前に現れたのか。

 それら全てが唐突過ぎて綾香の頭の中には疑問符が幾つも浮かび上がっていた。

「いらっしゃい、篠宮綾香さん」

 未だ考えの整理がついていない頭の中に、初めて聴く男の声が加わった。

 その声は窓辺から聴こえ、その場所にあるのは大きな机と椅子だけだ。

 そして、黒革張りの椅子が音も立てずにゆっくりと回り、人の姿が見えるまでそこに誰かが座っていたとは気が付かなかった。

 姿を現した彼の姿を初めて捉えて何よりも目を引いたのは、高校生らしからぬ派手な金色に染められた髪色だった。全体的に短めに切り揃えられている金髪の彼は、警戒心を与えないように、と微笑みを浮かべてみせるが、その表情はやけに空々しく感情の欠片も感じ取れず、綾香は逆に不安を抱く。

 金髪が幾らか派手ではあるがそれを含めても彼は高校生らしいのに、綾香は彼が目の前に居るだけで言い表しようもない胸騒ぎに駆られ、何もかもをかなぐり捨ててこの場所から逃げ出したくなっていた。

 いつの間にか額に汗が浮かび上がり、寝そべっていたソファーを強く握り、〝何か〟から耐えていた。

「どうやら本当に感じ取れるようだね」

 綾香が怯えている姿を見て、彼は微笑み続け何かを試していたようだった。

せつ、やめなさい」

 眼鏡をかけた彼女が金髪の彼を刹と呼び、〝何か〟を止めさせた。

「ああ、そうだね」

 彼女の呼びかけに応じて刹が何をしたのかはわからないが、綾香が感じ取っていた嫌な気配としか形容し得ない〝何か〟が、最初っから存在していなかったかのように、身体の中を這いずりまわっていた不快感ごと消え去っていた。

 幻のように消え去ってしまったそれだが、確かにあった証明として綾香の体表には薄っすらと汗の雫が浮かび上がっていた。だが言い換えてしまえば、その証拠にも成りえない物だけを残して、違和感は消失してしまった。

 綾香は明らかに疲弊していたが、精神を蝕んでいた枷が消えたお陰で、幾らかは刹と呼ばれた彼をまともに向き合う。

 派手な金髪に微笑みを浮かべている以外にはこれと言った特徴のない顔。だけれど、綾香は刹を何処かで見た覚えがあった。その既視感は眼鏡の彼女を見た時抱いたのと同じで、何処か靄が掛っていたが、落ち着いてみてみれば彼が誰なのかわかった。

「……生徒会長?」

 自信はなかったけれど、綾香の記憶の中に居る生徒会長と彼の姿は合致していた。

 髪型や服装に対して何も規制されていない高校だけれど、生徒会長が金髪だなんていいのかな、と刹を初めて見た時にそう思ったのを思い出した。

「そう、僕はこの昏期高校、生徒会長の雨宮あまみやせつ。だが、今この場所ではそんな肩書は無意味でしかないし、どうでもいいものだね」

 そして、妙なスイッチが入ったかのように刹が滔々と語りだした。

「確かに学校でのこの場所は生徒会室で、僕は生徒会長だ。しかし、今、篠宮さんが求めているのはただの生徒会の一役員なんかではないはずだったよね」

 語りながら椅子から立ち上がり、木製の豪奢な大机を回り込み、綾香の方へゆっくり歩み寄る。

 座っている時には気が付かなかった、立ってみると刹は大きく見えた。

 身長の低い綾香からしてみれば大抵の人は大きく見えるが、細身の刹が180センチは軽くあるのではないか、という長身に驚いていた。

 手も届かないような高さから微笑みを貼り付けた顔がゆっくりと降下し、綾香の顔へと近寄って行く。

「さあ、君の望みは?」

 無表情のような微笑みが眼前に寄り、突如愛美が言っていた言葉が頭の中に蘇った。

 ――〝万屋〟

 ――学校で起きた出来事ならなんでも解決してくれる。

 ――自らを見つけて貰う。

 ――〝開かずの部屋〟

 綾香の頭の中で全てが繋がり、口にするべき言葉が決まった。

「悠莉を……悠莉を見つけて!!」

 自分にできる唯一の可能性、それに縋るように必死の懇願。

「ああ、任せて」

 相も変わらずの微笑みを貼り付けた刹が、綾香の想いを受け取った。

 一先ずこの身に覆いかぶさっていた重荷の一つが取れたような気がして、綾香の口からは安堵の吐息が漏れ、肩に溜まっていた力が抜けていくのを感じた。

「さて、一息ついた所で生徒会のメンバーもとい、〝万屋〟のメンバーを紹介しようか」

 初対面の時から変わらない、薄ら寒い微笑みを浮かべたまま刹が順々にメンバーを紹介する。

「まずこちらの彼女。彼女は神代かみしろ深琴みことさんで、僕と同じ三年生で、気絶していた篠宮さんをここまで運んでくれた人だ」

 一目見た時から先輩だろうなとは思っていたが、本当に先輩だったので綾香は運んでくれたことのお礼を含めて小さく会釈する。

「そして、もう一人の彼女はわざわざ紹介する必要もないだろうけれど、一応しようか。彼女は篠宮さんのお友達でもあり、篠宮さんがこんな目にあうように仕向けた張本人でもある〝万屋〟の一員の狭山愛美さんだね」

「会長! その説明は酷くないですか!?」

 あまりにも酷い紹介に愛美は必死になって意義を唱える。が、

「僕は事実をそのまま口にしただけだけれど?」

「そうなんですけど……」

 刹の発言の正しさに、愛美はこれ以上言い返せずに口籠ってしまう。

 そんな普通の日常みたいな光景をみて、緊張の連続だった綾香はようやく気が休まってきた。

「さて、簡単な自己紹介はこのくらいでいいかな?」

「あっ、はい」

 愛美に向いていた刹の視線が突如自分に向けられたと気が付いた綾香は反射的に応じていた。

「それでは、今度は僕たちが所属運営している〝万屋〟について紹介するけれど、篠宮さんは〝万屋〟についてはどのくらい聴かされているのかな?」

 その問いに綾香は愛美から聴かされていた内容を思い返し、答える。

 七不思議として密かに語られていて、学校のどこかに存在して、見つけた人の願いを叶える。けれど、叶えてくれる願いは学校に関係していなくてはいけない。

 綾香は自分が知ってる〝万屋〟の知識を刹に告げた。

「うん、大体はあっているね」

 そういわれたとしても、綾香はまだ七不思議なんてものは信じていなかった。この部屋がもし仮に七不思議で言われる所の〝開かずの部屋〟だとしたら、至って普通過ぎる気がする。

 部屋の内装こそ豪華ではあるけれど、ただ豪華な生徒会室と刹の口から一言言われてしまえばそれも信じれてしまう。むしろ、ここが〝開かずの部屋〟であると証明する要素は何一つとして提示されていなかった。

「ただ、違う所があるね」

 大体と言っただけはあって、やはり幾らかの差異はあったようだ。

「まず最初に、学校内で起きた出来事限定と言うのは違って、正確にはこの昏期高校の管轄内で起きた事象に僕たちは介入するんだ。けれど、七不思議として語る分には学校内の方が都合がいいから、僕たちはこれを利用させてもらっている。まあ、こんな刺些細な問題はどうでもよくて、大事なのはこの次なんだ。〝万屋〟は自分たちを見つけた人間の願いを叶える、と聴いたと思うけれど、これは違うんだ」

「……えっ?」

 このおカルト集団を探す最大の理由でもあったそれが否定されてしまい、綾香はなら何故私は今ここに居るのか、と困惑する。

「僕たちは決して願い事を叶えようとはしない」

 一縷の希望であったそれを目の前ではっきりと否定され、必死に縋り寄ったそれが瓦解していくのを感じた。そして思った。七不思議なんていう曖昧模糊とした不確実なものに頼ろうとしていたのが最初から間違いなのだと。

 同時に、愛美に持っていた信頼に罅が入る音が聴こえた。

 やっぱり自分の手で悠莉を見つけ出すなんてことは到底できやしない幻想だったんだ、と諦め顔を伏せた所に、刹が「ただ」と強調していった。

「ただ、結果として願いを叶えてしまうんだ」

 その言葉に伏せていた顔は自然と持ち上がり、零れてきた一筋の光を見つめるかのように刹を見つめる。

表情は相変わらずの微笑み。

 顔は微笑みの形をしているというのに、その心象は何を抱いているいのか到底測り得ない暗闇のように、深くどこまでも続いているように見えた。

「僕たち〝万屋〟が行っている活動は簡単に言ってしまえば、管轄内で起きた霊的事象の解決、なんだ」

「え……?」

 七不思議がどうこう、と言いだす組織だからオカルト的な事が言われるのだろう、とある程度は想像していたが、告げられた内容があまりにも直球で逆に綾香は困惑した。

 霊が引き起こす事象として綾香がパッと思いついたのは、ホラー映画なんかでよくあるポルターガイストだったり、心霊写真だったが、それを解決するなんて普通に考えて彼らは常軌を逸しているとしか思えない。

「篠宮さんが不審がり、驚くのは当然だよ。篠宮さんが今抱いている懐疑こそが、僕たちが世間から真実をひた隠しにしてきた結果でもあるんだ。けれど僕が言ったことは本当だよ。ポルターガイストのような霊的事象は実在するし、表沙汰にはされないけれどそれによって多くの被害が出ている。今回の一件もその一例なんだ」

 幽霊が本当にいるのだどうかも信じきれていないのに、悠莉を攫った正体がそんな得体の知れないものだと聴いて、綾香は自分の無力さに打ちひしがれながら刹の言葉に耳を傾ける。

「そう悲観しなくていいよ」

 綾香の心象を悟ったのか、薄い微笑みを貼り付けたままの刹が続ける。

「僕たちがこうして〝万屋〟として名乗り出る時、すなわちそれは事件の解決を約束する時なんだ」

 瓦解しかけていた希望が再び形を成していく気がした。

縋る所が無いからこそ託した望みが繋がれた気がした。

「けれど、代償として僕たちに協力をしてもらうよ」

 突然の要請に綾香はただ黙ったまま刹を見つめ続ける。

「狭山さんからは〝万屋〟を見つけるのが僕たちに支払う対価だと聴かされたみたいだけれど、本当はそんなことはないんだ。むしろ逆だ。僕たち〝万屋〟が霊的事象を解決するのに必要になりそうな人を見つけるんだ。そして、篠宮さんが選ばれた。

「私が選ばれた」

 綾香が小さく呟いた声を耳ざとく聴いていた刹が言葉をたたみかける。

「そう、篠宮さんが選ばれたんだ。選ばれる条件としては、霊的事象に巻き込まれた人物と深い関係があり、事象を解決するのに必要となりそうな人材だ。けれど、僕たちは篠宮さんに強制はしないよ」

 私をこんな所に連れて来たのだから、無理矢理にでも手伝わされるのでは、と考えていた綾香は予想外の言葉に困惑する。

「今回の事象であれば、その役割は狭山さんに代替してもらうこともできる」

 刹の言葉を聴いて、綾香は考えていた。

さっきの説明通りであれば、私と同様に悠莉と仲の良い愛美が既に霊的事象を解決するためにある〝万屋〟の一員なのだから、こんな回りくどい手段を講じてまで私に協力を求めるわけがない。つまりは……

「だが、篠宮さんが協力をしてくれれば、助けられる確率は更に高くなる」

 綾香の予想していた通りの内容が刹から告げられた。

「だからね、篠宮さん。僕たち〝万屋〟に協力してくれないか? そうすれば逢坂悠莉さんにまつわる事象を解決してみせよう」

 目の前に差し伸べられた刹の掌。

 これを掴めば悠莉が見つかる。

 これを掴めば契約してしまう。

 二つの思いが入り混じり、綾香の掴もうとして伸ばした手の動きが止まってしまった。

 綾香はふと視線をずらし、愛美を見やった。

 視線が重なるなり、愛美は申し訳なさそうに表情を曇らせ俯く。

 表情に影を落とした理由は悠莉の為とはいえ、綾香を騙してしまったからだ。

 愛美にとっても悠莉はかけがえのない大切な友だちだ。

 その友達を助けるために、大切な友達である綾香を危険が降りかかる可能性のある場所へ導くなんて本当はしたくなかった。けれど、自分一人では役者が不足しているのは明白だったから、綾香をここへ連れてきた。

 悠莉は元々綾香の友達で、綾香を介して愛美も悠莉と仲良くなれた。

 だから、愛美は自分では成り代われない場所を補って貰う為に、綾香に助けを求めた。

 そんな懊悩を抱え、騙した自分が言える立場ではないことを承知して、再び綾香に顔を向ける。

 綾香は、今一度見つめ直してきた愛美の一言では言い表せないものを含んだ、複雑で不安げな表情に優しく微笑み返して、声にはせず唇だけを動かした。

 その唇が告げた言葉は――


 ――信じているよ。


 その一言だけだった。

 高校に入学してからのまだ長いとはいえない付き合いの中だけれども、綾香にとっても愛美はかけがえのない大切な友人だ。たとえどんなことになろうと愛美の事を信じない、なんて裏切りは綾香にはできなかった。

 だから、躊躇いを振り切って刹の手を取った。

「契約成立だね」

 背筋の凍るような微笑みが刹の顔に張り付いていた。

 悪魔との契約。

 綾香の頭の中にはそんな言葉が思い浮かんだ。

 大切な友達の為とはいえ、これは何と引き換えにしても結んではならない契りだったのでは、と遅ればせながらの後悔が込み上げたが、そんな物は一瞬のうちに振り切った。

 自分一人の平穏なんかよりも、いつも通りの三人で過ごす日常の方が比較するまでもなく、素晴らしいのだから。

 だから、後悔なんてしない。

「それでは、今度は篠宮さんを含めた僕たち〝万屋〟が必ず対峙する霊的事象と呼んでいた物について説明するね」

 一目見た時からずっとくっついたままの微笑みで刹は語る。

「どうやら丁度いいタイミングでこの部屋を紹介できそうだね」

 この部屋を紹介する?

 妙な言葉に綾香の頭の中に疑問が浮かぶ。

 また何かを語りだすのか、と綾香は刹を見ていたが、当人である刹は綾香ではなく、その後方にあるこの部屋唯一の出入り口である扉を見ていた。

 刹に釣られる形で綾香は振り返り扉を見ると、タイミングを見計らっていたかのように扉が開き、一人の男子生徒が入ってきた。

「おーい、会長はいるか?」

 入ってきた男子生徒の手には書類らしきものが握られていた。

「ああ、いるよ」

 刹の所在を確認した男子生徒は手にしていた書類を渡し、受け取った刹は書面の内容に軽く目を通し確認し、届けてくれた男子生徒に労いの言葉を掛けた。

 書類の受け取りを確認した男子生徒はそのまま生徒会室を後にし、男子生徒の姿が見えなくなった所で刹は手にした書類を無造作に机の上に放り投げた。

「さあ、この部屋の姿はみえたかな?」

 扉が開けられたままの生徒会室で、刹は仰々しく告げた。

 そして、綾香は目の前で起きていた異変に驚愕していた。

 学校内の施設としては異常なほどに豪華だった生徒会室の内装が、いつの間にか身の丈に合った質素な作りへと変化していた。

 巨大な木造の本棚があった場所には、中身こそ几帳面に整理されているが、学校内で食味掛けるような金属製の安っぽい本棚へと挿げ替えられており、綾香が座っていた高そうなソファーもいつの間にかに普通のパイプ椅子へと変わっており、生徒会長用の豪奢な椅子と机も職員室にあるような、普通の机と椅子のセットに入れ変えられてた。

 何もかもが普通の生徒会室。

 驚愕に満ちている綾香をよそに、刹が指を弾いて音を立てると、扉が閉まり室内の調度品が瞬き一つの間に一新された。

 安っぽい本棚は姿を変え、パイプ椅子はふかふかのソファーになった。

「なんですか……これ」

 手品にしてはやることが大がかりすぎて、手品では到底為し得ない目の前の事象に綾香は困惑し続けていた。

「これがこの部屋に関わる物の物語であり、先ほどまで霊的事象と呼んでいたモノの一端だよ」

 先ほど渡された書類には一切構う様子はなく、刹は窓辺の自身の席へと戻る。

「そして篠宮さんには、今からこれにまつわる物語を語るよ。これは僕たち〝万屋〟が裂けては通れない敵であり、延いてはこの部屋のように使役できるモノについてのお話しだよ」

 そして、刹が滔々と語りだす。

 古から伝わる、一つの物語を。


 †

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