第一章-2

 迎えた昼休み。

 自分達の手で悠莉を見つけると決心した綾香は、自分の知っていることを担任に伝えず、昼食を摂りながら愛実と今後の方針について話し合っていた。

「とにかく、まずは〝開かずの部屋〟を見つけないと私たちのすることは意味のないことになっちゃうから、早くみつけない」

「……うん」

 決心をしたとはいえ、綾香の心の中にはまだ不安や疑問等が立ち込めているのは言うまでもない。それに、愛美程には〝万屋〟なる存在に可能性を見いだせてもいなかった。

 愛美がこう言った〝噂話〟や〝怪談〟等に興味を持っているとは知っていたけれど、今回はやけに〝不思議〟に傾倒しているように思えた。

 綾香の目には悠莉という友達が行くえ不明になってしまったことすらも利用して、自分を〝不思議〟に巻き込もうとしているようにすら見えた。

 語り草にするだけだった〝噂話〟が、手の触れるところまで近くに来ているからあれほどまでに躍起になっているだろうか? だとしたら、面白半分で〝開かずの部屋〟のことを語ったのではないか、と綾香は疑念を抱いきかけている。

 その疑念は愛美が今後のプランについて滔々と語るに連れて色濃くなっていく。

 一人思案に耽っている綾香の様子に愛美は気が付くことはなく、愛美は自分が思う所の〝万屋〟予想を綾香へと吹き込むが、語られている綾香はその言葉は耳に届いていない。

 友を信じるべきか、自身の常識を信じるべきが悩む綾香。

 語る言葉は虚空が受け取るばかりで、無意味に語る愛美。

 一節として噛み合わない二人の歯車。

「それでね、探す場所なんだけれど――」

 愛美の語るそれらは綾香の耳には無音と同義に流れ去り、胸中に巣食う暗く耽入りそうな思案にのめり込むばかりで、ただた堂々巡りするだけだった。

 今更ながら担任に話しておけばよかったのではないか、と過ぎ去った考えが浮上してきたが、今になって知っていると告げたら担任がどのような冷たい顔をするのか、と想像しただけで腰を上げるのが重たい。

契機を一度逃してしまうと次を踏み出すのがどれだけ重く、辛いのか実感した。

「――そう思うの、だからまずは……って聞いてた? あやちん?」

 俯き耽っていた思考は、愛美に肩を揺すられてようやく意識が表層へと舞い戻った。

「えっ!?」

 愛美の話しなど、欠片も耳に入れていなかったため、咄嗟に上がった声は拍子が外れて、驚きに満ちた眼を綾香は向けた。

「やっぱり聞いてなかった」

 愛美がむっすりと目を細めて見つめてくるので、綾香は作り笑いを浮かべて答えた。

「ごめん、なんの話だったっけ?」

「あぁ、もう、そこから聞いていなかったのね」

 折角色々と語っていたのに聞かれていなかったのは残念、と唇を尖らせた愛実は、独白になってしまった先程の内容を簡潔に綾香に伝えた。

「つまりは、二人で纏まって探すのは効率が悪いから、放課後は二手に別れて探そうってこと。それで分担は私が特別教室棟であやちんが旧校舎を探すの。いい?」

 自分の知らない所で話がそこまで進んでいたことに内心で驚きつつも、人に言われたことを断れない性分から、それを承諾してしまう。

「うん、わかった。放課後になったら旧校舎の中を探せばいいんだね」

「本当にわかってる?」

 明らかに訝しんでいる愛美に綾香は困惑しながらも応じる。

「大丈夫だって」

 火のない所に煙は立たない。〝万屋〟が本当にいるのかどうかはわからないけれど、悠莉を見つけ出せる希望が一縷でもあるのなら、それに縋ってみせよう。

 自分にそう言い聞かせ、綾香は来たる放課後に備える。


 †


 遂に訪れた放課後。

 帰りのホームルームが終了し、教室内には開放感で満ち溢れていた。普段であれば次々と教室を後にする人の輪に沿って綾香たちも学校を出るのだが、今日は違う。

「放課後になったね、行くよ。あやちん」

 昼休みと時は放課後はどうしようか、と喜色混じりで話していた愛美だが、待ちわびた刻限の中に身を置いているからなのか、その表情からは微笑みが消えており、肌が痺れるような緊張感が伝わってきた。

「うん」

 その空気に気圧されるように、綾香は頷き立ち上がる。

 騒々しい教室を後にし、放課後の喧騒満ちる廊下を黙々と突き進んでいく二人。

 階段を下り、綾香は踊り場の鏡で自分の表情に幾らかの曇りがあるのに気がつき、意識的に明るい表情へと作り替える。

 三階、二階と下り、一階へとたどり着いた。

「それじゃあ、私がこっちであやちんが向こう側だね」

「そうだね」

 作り替えた表情で愛実に頷く。

 特別教室棟へはどの階からでも渡り廊下が繋がっているが、旧校舎へと続く渡り廊下は一階にしかなかった。だから、別れるまでは一緒に行こうとのことで特別教室棟担当の愛美もここまで来ていた。だけれどもうお別れだ。

「なにかあったらすぐに連絡するんだよ?」

「うん、わかってるって」

 努めて明るく返事はするが、本音である内心はうかない。

 いくら旧校舎が古めかしいとはいえ、愛美が思うような〝何か〟が起こるとはとても思っていなかった。〝噂話〟なんかで旧校舎には幽霊がでるなどは聞いたことがあるが、そんなものはどこの学校にもある類いで、現実味が一切ない、取るに足りないものばかりだから。

 けれど、なにか起きてくれないか、と期待する気持ちも幾らかはあった。〝開かずの部屋〟が実在しているなんて今でも信じてはいないが、もしかしたら悠莉に繋がる手がかりが一つくらいあるのではないか、と駄目元の期待が胸の片隅に僅かながらに存在していた。

「それじゃあ、後でね」

「うん」

 二人がそれぞれの方子へと進み、距離が離れて行く。

 階段から旧校舎のある北側へと歩く綾香は一度振り向き、愛美がこちらを見ていないと確かめ、頭の中に浮かんだ考えを実行するか悩んだ。

 それは、このまま帰ってしまうか、適当に時間を潰してしまうか、というものだった。

 愛美が思っているような〝何か〟が起こるとは微塵にも思っておらず、探索が終了しそうな頃合いに連絡を入れればそれで終えられるのではないか、と。それまでは図書館で時間を潰してしまおうと考え、歩んでいた足が止まる。

 しかし、また直ぐに動かすと決めた。

 一度交わした約束を破るのは綾香の性には合わなかった。

 止めていた足を動かし前へと進む。

 そして、目の前に一つの扉が現れる。

 屋外と屋内を仕切る、金属の重たい扉。

 それを、目一杯の力を込めて開け放った。

 錆ついた蝶番が鈍い音を立てつつ、開いた。

 そして、覗く景色に一つの建物が望んでいた。

 南側に建てられた新校舎に太陽の光を遮られ、鬱蒼とした重々しさを放つ建物。

 戦前からここに存在するらしい、木造造りのこの建築物は重要文化財に指定されたっておかしくないほどに年季を滲ませ、趣を醸し出していた。

 それが、旧校舎だ。

 幽霊が出ると噂されてもおかしくない、寧ろそんな噂が出回らない方が異常と言える様相をしていた。

 どれだけの歳月をここで過ごして来たのかを物語る、深みのある木目。

 新校舎、旧校舎間に植えられている柳の木により、より趣が醸される。

 すぐにでも壊れてしまいそうな建物だが、これが文化部には提供されていた。

 部活動に所属していない綾香にとっては訪れることのない場所だと思っていたが、まさかこのような形で向かうことになるとは夢にも思わなかった。

 馴染みがない者の侵入を拒むような雰囲気を放つそれに向けての第一歩を踏み出す。

 屋内と屋外、その両面を持つ吹きさらしの渡り廊下を踏み閉めた。


 ――ドンッ、


 刹那、背後から重い衝撃音が伝わり、身体が小さく強張った。

 一体、何?

 その正体がわからず、首だけを動かし背後を確かめる。

 視界の隅に校舎の白い外壁を捉え、更に後ろへとずらして行く。

 そして、そこに見えたのは鉄錆を幾つも浮かせた金属の扉だった。

 それを見た瞬間、強張っていた身体から力が抜け、安堵に身が包まれる。

 なんだ、ただ扉が閉まっただけだったんだ。

 それがわかり、安堵のため息を一つ吐いてから再び歩き出す。

 出鼻を挫かれたが、グラウンドと新校舎、旧校舎間の中庭に挟まれた渡り廊下を進んでいく。

 両脇には胸の高さほどの鉄柵がもうけられており、これがグラウンドと中庭の境目の役割を担っていた。そんな簡素な鉄柵が両脇に並ぶだけの古ぼけた渡り廊下を進む。

 コンクリートの床を踏みしめ一歩一歩突き進む。

 グラウンドと中庭を行き来できるように鉄柵の取り付けられていない廊下の真ん中を抜け、旧校舎の扉の下まで辿り着いた。

 新校舎の扉が重みのある金属板だったのに比べ、旧校舎の扉は深い年季を感じさせる暗い木目の扉で、鉄扉とは違った重みを醸し出していた。

 扉に付いている、強風が吹いたら簡単に砕けてしまいそうな薄い硝子に自分の姿が薄っすらと落され、金色のメッキが斑に残るドアノブに手を掛け、開ける。


 ――ギィィィィ、


 新校舎とは異なった異音を立てながら扉を開けた。

 そして、中へと足を踏み入れる。


 ――ギィ、ギィィィ、


 鴬張りにでもなっているかのように歩く度に廊下が音を立てて軋んでいた。

 そして入った瞬間からどこともなく、空気の中に妙な冷たさを感じていた。

 陽が当たらないのに加えて隙間風が入り込むような古い建物だからだろう。

 そう考えてさして気に止めることもせずに長く続く廊下の奥の様子を窺う。

 廊下の最奥部はまるで夜の闇の一端を切り取り貼り付けたかのように暗い。

 薄暗いのも冷たく感じるのも新校舎が日差しを遮っているからなのだろう。

 勝手にそんな判断を下して旧校舎の雰囲気に飲まれながらも探索を始める。

 取り敢えず進まなければ、と綾香は考え特に理由もなく右手側へと歩んだ。

 昼間にも関わらず、茫っとした印象を与える日差しが窓から注がれている。

 もう放課後であり、部活動も始まっている時刻なのに異様な静けさが包む。

 文化部の部室しかないとはいえ、話し声一つとしてしないのは異様だった。

 外から運動部の威勢のいい声が漏れ聞こえてくる事すらない、静かな廊下。

 あるものは自身が立てる、ギィ、という廊下の軋む音と呼吸音だけだった。

 異様な静謐の中で、足音を引き連れて歩き廻るが、他の誰とも出会わない。

 まるで、この建物の中に自分一人しかおらず、外と乖離してしまったよう。

 連々と曇り硝子に覆われた景色に取り囲まれながら、廊下を軋ませて歩く。

 他人の気配を求めて閉ざされた教室の戸に手を掛けるが、施錠されている。

 ニ階、三階へと渡り何度も扉に手を掛けてみるが、全てが同じ結果だった。

 一通り探索し終えたが、妙な事態は何一つとして綾香の前には起こらない。

 成果がなかったと事に肩を落とし、戻ろうとして階段を一歩踏みしめ下る。

 だがその時、どこからともなく〝気配〟が身体の表面を撫でるのを感じた。

 旧校舎に脚を踏み入れた時に感じた冷たさを濃縮したような、そんな温度。

 それがこの三階の何処かの教室から流れていると、何故だかわかっていた。

 先程は何も感じなかったのに、急に現れた冷気の澱がねっとりと足に絡む。

 階段を降りようとしていた身体もいつの間にか、冷気の方向を向いていた。

 その場所は廊下の一番端。闇にしか見えないそこから溢れ流れ込んでいた。

 見えない何かに魅かれているかのように、脚が、身体が動きだしていた。

 木目の浮かぶ廊下の、ギィと軋む音がやたらと大きく耳に響いていた。

 焦るかのように一歩一歩と足取りは徐々に早まり、歩む速度も増す。

 廊下の端が近づくにつれ、冷気の澱が爪先から膝へとせり上がる。

 やがて冷気が膝を越え、太腿の殆どが冷気に覆い包まれていた。

 段々と冷気の密度が増しているのに、意思に反して脚は進む。

 前へ前へと、それだけの為に存在しているかのように進む。

 張り付く不快感なんて最早、気にすることすらなかった。

 待ちわびた物が手に入る瞬間のように、高揚していた。

 廊下の軋む感覚が更に早くなり、緊張感に苛まれる。

 呼吸のリズムが狂っていても、気に止めもしない。

 取り憑かれたかのように、床を踏み鳴らし急く。

 噛み合わない歯車のような足取りで突き進む。

 既に冷気の澱は胸元にまで押し寄せていた。

 それでも、なお、焦る足は速度を緩めず。

 狂信的なまでに、一心不乱に突き進む。

 もう、自分の意思など介在してない。

 身体に全ての主導権が移っていた。

 止めようとしても、無駄だった。

 冷たい澱が口に、鼻に至った。

 一気に呼吸が苦しくなった。

 それでも進み続けていた。

 そして一つの扉の前に。

 ゆっくりと手を出す。

 冷気を止める扉に。

 取っ手に触れた。

 後は引くだけ。

 それだけだ。

 その瞬間。

 綾香を。

 掴む。

 影。

 。

 …………

 ……………………

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