第一章 巻き込まれた少女

第一章-1

第一章 巻き込まれた少女


 からっと澄み渡る空気の中を篠宮しのみや綾香あやかは歩いていた。

 冬休みが明け、正月ボケも彼方に忘れてきた頃一月終盤ともなると、冷え込みはより一層厳しいものとなっていた。

 都心部に近いとはいえ、田畑が多く残る田舎の雰囲気が抜けきらない緑と蒼の中に、綾香が通う昏期くれき高校は建っていた。

 戦前から建つ旧校舎、戦後に新たに建てられたがもう新しいとは言えない新校舎。特別教室棟に体育館や部室棟。広いグラウンドを含めたそれらすべてが周りと隔離されるかのようにフェンスに囲まれ、鎮座している。

 田畑を切り裂いてその中央に隆起してきたかのように、学校から駅までを南北一直線繋ぐ道を、生徒の群れに混ざり綾香は歩いている。

 隔離された学校を外界と繋ぐ正門から中へ入り、昇降口へと至る。

 自分の身長よりも高い場所に入っている上履きを取り出そうと、精一杯背伸びをして小さく「うぅ~」と唸りながら腕を上げることが、不服ながらも毎日の日課となっていた。

 高校一年生になってしばらく経つというのに、身長がまだ140センチ程というのは綾香最大の悩みでもあった。

 下駄箱の小さな扉を開け、あとは上履きを取り出すだけになったその時、頭上をなにかが通りすぎ、綾香の顔に影が落ちた。

 指先あと数センチの場所にあった上履きは、影を落とした何かにさらわれてしまった。

「あっ」

 口惜しそうに下駄箱から抜かれた上履きを視線だけで追いかけると、その先には一人の姿があった。

「おはよう、あやちん」

 腰にまで届く長く美しい黒髪、ぱっちりと開かれた瞳。

 太陽のように明るくパッと弾ける笑顔の友人、狭山さやま愛美まなみが綾香の上履き片手に挨拶をしてきた。

「おはよう」

 返す綾香の表情には明らかな不満の色が見て取れた。

「マナに取ってもらわなくたって自分でとれたのに」

 身長差をありありと見せつけられているようで、綾香には不服だった。

「そうなんだ、じゃあ」

 瞳に妖しい色を浮かべた愛美は、上履きを掴んだままの右手を高くかざした。

「ほらほら、そんなに言うなら取ってみたまえー」

「下駄箱の位置より高くなってるよ! ズルい」

 綾香が幾らピョンピョンと跳ねてみても、身長170センチ以上ある愛美を相手にしては、大人が子供を軽くあしらえるのと同然で、一方的に遊ばれるだけだった。

 必死に跳ねている綾香当人にしてみれば、この行為は真剣そのものなのかもしれないが、傍目から見ていると、年の離れた姉妹が戯れているだけの微笑ましい光景にも見える。

そして、幾度も跳ねて届かないと観念してのか、疲れの滲む表情で愛美に告げる。

「取ってくれてありがとう」

「よろしい」

 遥か上方にかざされていた上履きがようやく綾香の元へと帰還した。

「なんでこんなに疲れなくっちゃいけないの!」

 綾香の弱音に愛美は嬉々として答える。

「私は楽しかったけど?」

「もう」

 綾香がむくれながらも返す。

 そんないつも通りの光景を繰り広げながら二人は昇降口を後にし、階段を登り始める。

 二階、三階と登り、四階に着く直前の踊り場。

 この三階と四階の間の踊り場だけに設置されている姿見を一瞥し髪型を軽く整えて、四階の廊下に出る。

 階段を登り終えてすぐ目につくトイレの前を抜けて、明るく騒がしい廊下を歩く。

 とりとめのない会話を交わしながら、いくらか歩き一つの扉の前に立ち、それを引き開ける。


 ――ガラッ、


 立て付けの悪い扉が、鈍い音と供にずれた。

 朝日降り注ぐ明るい教室。

 馬鹿みたいに騒ぎ回っている男子生徒の姿が見受けられる。

 教室の一角に集い話している女子生徒の姿が見受けられる。

 いつも通りの賑やかな教室内の光景が広がっていた。

 そのまま真っ直ぐ視線を向け、そこに座っているはずの友人に声をかけようとする、が。

「あれ、いないね」

「うん」

 愛美に続いて席を見やった綾香も頷いて見せる。

 そこにはいつもならもう来ている友人の姿があるはずなのに、今日は教室のどこを見渡しても見当たらなかった。

 窓側の一番後ろの席。そこの主である悠莉は教室のどこにもいなかった。

「まぁ、待っていればいずれ来るでしょう」

「そうだね」

 短絡的に考えた二人は悠莉の席で彼女が来る時を待ち続けた。

 そして、数十分が経ちチャイムの音と供に担任が教室に入ってきたが、悠莉は遂に姿を現さなかった。

 一体どうしたんだろうと表情に心配の色を浮かべながらも、二人は自らの席へと戻り、担任が話始めるのを待つ。

「はい、今日は最初に皆さんに訊いておきたいことがあります」

 最初にそう前置きをして話始めたのは、綾香たちのクラス、1-4の担任である30代半ば程の宮下という女の先生だった。

 いつものように明るい声色ではなく、一段階トーンの落ちたそれは教室の中に小さなざわめきを生むには十分だった。

「昨日の夜から逢坂悠莉さんが自宅に帰っていない、と逢坂さんのご両親から連絡が来ました」

 そして、小さかったざわめきの密度が増した。

「誰か何か知っていたら教えてください」

 その密度を増したざわめきの中で、綾香は一人違う反応をしていた。

 一体どうしたんだろうね、と隣同士でひそひそと話している中で綾香だけは俯き、顔色を白く染めていた。

 何故なら綾香は昨夜、悠莉がどこに行ったのかをメールで聞いていたからだ。

 急いで鞄の中から携帯を取りだし、昨夜、悠莉としたやり取りを振り返る。

『あっそういえば明日出さないといけないプリント教室に忘れたんだった』

 携帯のディスプレイには整然と文字が並んでいた。

「もう、遅いから危ないし、諦めて明日の朝に片付けたら?」

 綾香の問いかけに悠莉が答えた。

『大丈夫だよ。パッと行ってサッと帰ってくるから』

「うん、わかった。気をつけて行ってね」

『わかった。じゃあ、また明日ね』

「また明日。おやすみ」

 それが最後のやり取りだった。

 その事を先生に話した方がいいのかどうか悩み、綾香は胃が締め付けられるような気持ちになっていた。

「それと、もう一つ連絡があります」

 若干の気持ち悪さを抱えながら再び、綾香は宮下の方へと視線を向ける。

「今朝、携帯電話の落とし物が届けられました。見つかった場所は四階の女子トイレで、見つかった携帯電話は水色のカバーをつけていて、裏には黒猫がプリントアウトされているスマートフォンです。誰か心当たりがある人はこのあと先生のところに来てください」

 宮下がそれをいい終えた直後、綾香と愛実が互いを見やった。

 今しがた特徴をあげられたスマートフォンには心当たりがあったからだ。

 それは、悠莉が持っているスマートフォンの特徴と見事に合致していた。

 宮下の話しを聴いて綾香は、悠莉が本当に夜の学校に出向いたと確信し、言葉だけで聴いた悠莉の行くえ不明が現実味を帯びてきた。

 現実味のある事件は、綾香の心身を蝕み始めていた。心臓の鼓動は一気に大きくなり、全身の毛穴が開いて冷や汗が滲んでいるような気がしていた。

 ……どうしよう。

 綾香は胸中で情けなく呟き、意識が段々の自分の中へと集中していった。周りで鳴る音が全て雑音や耳障りな騒音にしか聞こえず、頭なの中でぐるぐると回る。

 先生に言った方がいいのかな?

 周りのすべてから取り残され、独りで思考を巡らせ続ける。

 その時、ひたっと肩に何かが触れた。

 瞬間に綾香は我に帰り、愛美が向けていた心配そうな眼差しに気がついた。

「大丈夫、あやちん?」

「……あっ、うん、大丈夫」

 綾香は急いで取り繕った笑顔を浮かべて何でもないと露わしてみるが、そんな上辺だけの作り笑顔では愛美を安心させる所か、より心配をかけてしまったと、遅ればせて気がつく。

「ごめん……本当はどうしたらいいのかわからなくって困っていたの」

 だから、素直に心境を吐露してしまった。

「一体何があったの?」

 愛美の穏やかな声に、綾香はゆっくりと思いだしながら答える。

 昨夜、悠莉からメールがきて学校にプリントを取りに行っていることを知っていた。そして、落とし物として届けられていた携帯電話が悠莉のものだとわかり、先生に話すべきなのかどうか悩んでいる、と愛美に告げた。

「………………」

 黙り考え込む愛実。

 数秒俯き、ゆっくりと顔を持ち上げた。

 その表情には困惑があり、自信というものが明らかに欠如した物言いで語る。

「あのね、もしかしたら悠莉を見つけられるかもしれないの……」

 僅かな希望にすがろうとしているような頼りない愛美の瞳、けれどこれしか浮かばなかったからなのか、静かに語る。

「綾香はこの昏期高校の七不思議って知ってる?」

「…………えっ!?」

 最初、愛実が何をいっているのかわからず綾香は自分の耳を疑った。

「だから、七不思議って知ってる?」

 今一度念押しされ、聞き間違いではなかったと確証を得て、今度は困惑する。

 なぜ今このタイミングでそんなことを話すのか、と。

 綾香には今回の出来事と七不思議にどのような関係があるのか見出すことができず、愛美がふざけているのではないか、と苛立ちもしたが、愛美の表情から悪ふざけをしているような雰囲気が感じ取れず、至極真面目だとわかった。

だからこそ、綾香も真剣に答える。

「ううん、知らない」

 綾香は怪談話かなんかで、学校の七不思議は聴いたことはあるが、この学校にまつわる七不思議については聴いたことはなかった。

「あのね、この学校の七不思議の中の一つに、学校内で起きた事件や事故を何でも解決してくれるって言うものがあるらしいの」

 愛美は記憶を手繰り寄せるように、一つ一つの言葉を思い返しながら語る。

「それは通称〝万屋よろずや〟とよばれているの」

「〝万屋〟?」

 その名前を聞いてみても綾香には昔のコンビニみたいなものと、いうイメージが浮かぶばかりで、話の胡散臭さが増すだけだった。

「そう、〝万屋〟。そして、ここからが肝心なんだけど、〝万屋〟はこの学校の中のどこかで密かに活動をしているらしいの」

「うん」

 頷き、きちんと聴いてる風に見せるが、やはり信じきることはできず、話半分になってしまう。

「でも、〝万屋〟は自分たちから能動的には働いてくれないの。だから、今回のことをきちんと解決してくれるように頼みに行かなくちゃいけないの」

 疑いは隠しきれない、それでも話しを進めるためにも綾香は促す。

「それじゃあ、どこに行けばいいの?」

 本当にあるのなら、今すぐにでもそこに行き、駄目もとでも解決をお願いしにいかないと。

「それがね、わからないの」

「えっ?」

 肝心要のそこがわからなければ話した意味すら失われてしまうのに、何故そんなことを話したのかと、綾香は訝しげに愛美を見据える。

 綾香の懐疑的な瞳に見られても、愛美はなお滔々と語る。

「何かを依頼するには、何か報酬を支払わなくてならないでしょ? それで〝万屋〟が求めている報酬は、自らを見つけてもらうこと、なんだと思う。人知れぬ組織だけれど存在を知られたくて、存在を気がつかれたくて、こうして噂だけを流布している。そんな噂もささやかれているからね」

「何か見つけるアテとかはないの?」

 半信半疑、でも綾香自身で何か起こすことができる行動はこれ以外に思い当たらず、藁にもすがる思いだった。

「どこにいるかまでは知らないけれど、居るといわれている場所なら知ってる」

「それは……どこなの?」

 息を飲み、愛実の次の言葉を待つ。

「〝開かずの部屋〟」

「〝開かずの部屋〟?」

 聞かされたものは、よく学校の七不思議なんかで名前が上がる〝開かずの部屋〟と呼ばれるものだった。

 その言葉を聴き、綾香の頭の中に思い浮かんだ場景は、扉に板を釘で打ち付けて閉鎖されていたり、ドアノブを幾重にも厳重に鎖や南京錠で施錠しているものだったが、思い返す限りでこの学校内にそんな場所は存在しなかった。

 見た覚えがないとはいえ、綾香はまだ一年生でクラスが集まる新校舎内でも自分たちの学年以外の階はどのようになっているかはあまり知らず、特別教室棟も移動教室で通る道すがら以外の場所は知らない。更に、文化部部室が集う旧校舎に至っては脚を踏み入れたことすらない。

 そんな、情報源としては頼りなさすぎる自分の知識では信用には足りないが、常識的に考えてあからさまに封じられている部屋があればそれこそ噂になっている。それでも他に頼るアテがないため、どれほどか細い光明だとしてもそれを辿り可能性を見つけなくてはならないので、愛美の話しに乗る。

「そう〝開かずの部屋〟。この学校のどこかにあるといわれているその部屋を拠点にして〝万屋〟は活動しているらしいの」

「それを探すつもりなの?」 

 確かなものなんてなに一つない、それなのに他に手だてがない。八方塞がりの現状では現実味のない噂話であろうと、それに縋り選択するしか自らの手で悠莉に辿り着く手段はなかった。

「あやちんがやらないっていっても、私一は人でも探してみせるから」

 厳とした固い決意を秘めた瞳は、綾香が幾ら止めたところで揺らぐことはなさそうだった。

「マナ……」

 だから綾香は肯定も否定もできず、ただ愛実の名前を小さく呼ぶだけだった。

 そして、綾香はそのまま考え込む。

 本当に私たちが何か行動を起こして、それでどうこうなる問題なのだろうか? 本格的な事故、事件になっているのであれば警察が動いてくれるのだから、それで解決してもらえるのではないか? そもそも、悠莉が学校の中で消えたこと事態が私が勝手に思い込んでいる虚構なのではないか? だから、私が何か行動を起こした所で何一つとして現状に変化をもたらすなんて到底できやしないのではないか、と。

 悠莉が昨晩から見つかっていないのも、ただの家出かなんかだと決めつけようとするけれど、昨日の悠莉とのやり取りが頭の中に蘇り、携帯が学校内で見つかったという事実が、あるのかどうかもわからない〝万屋〟なるものに縋る思いを強める。

 綾香の胸中に、もやもやとした不安の澱が積み重なる。

「……わかった、私も探す」

 悠莉を見つけるために、綾香は実在も不確かな〝開かずの部屋〟を探すと決心した。


 †

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