XIII.逡巡
今のボクにできることはなんだろうか。
真琴、夏凛ちゃん、長谷川さんから少し離れ、トイレの入口側にある洗面台で、ボクは一人考えていた。
AAIなんて物は持っていない。ある物はといえば拾ったいくつかの棘の銃弾とこの身一つ。そしてこの"右腕"だけ。
これだけじゃスペース・アンノウンを倒すことはできない。できるとしても時間稼ぎくらい。言うのは簡単だけど、現状だと難しいことだろう。一体ならさっきみたいになんとかなるかもしれない。でも今なんとかしなくちゃいけないスペース・アンノウンは二体。それも別種の個体。壁だろうがなんだろうがお構いなしに追いかけてきて、その対物ライフルほどの銃口に似た部位から棘の弾丸を射出するスパイダー。半透明の羽で空を飛んで追いかけてきて、その足で対象を捕らえてから鋭く尖った大きな針で刺すフライ。この二体を同時にどうにかしなくちゃいけない。
どうすればいいか。実は答えだけは出ていた。それはボクが囮になるということ。問題なのはスパイダーとフライ、二体ともをどうやってボクに引き付けるのかということ。
最初にボクだけがトイレから出て行くのは決定事項だ。だけどそこで二体ともがボクを追いかけてくる保証はない。確実に二体を同時に引き付けるほどのインパクトのある行動が求められる。二体の警戒レベルを上げさせるような……。
「損傷を与える、とか?」
それなら二体の警戒レベルを上げられると思う。でも損傷を与えるなんてできるのか?
比較的脆い箇所はわかっている。目だ。たぶん上手くやればナイフでも傷は与えられる。与えられると言っても人間の握力で刃物を刺し込むのは難しい。それに目に近付くまではどうする。スパイダーは棘の弾丸を放ってくるし、フライなんて空中を飛び回っている。簡単には手が届かない。飛び道具でもあれば別だが。それも人間以上の力で射出できる飛び道具が……。
「ミナ」
不意にかけられた声に振り向くと、真琴が心配そうな瞳でボクを見ていた。
「どうかした?」
「さっき責任がどうとか言ってたけどさ、あんまり抱え込まないでよ。私はスペース・アンノウンのこと詳しい訳じゃないから力になれないかもしれない。でも相談してくれもいいんだよ?」
「ありがとう。でもね、やっぱりボクには責任があると思うんだ」
「でも」
「大丈夫。絶対悪いようにはしないから」
「そういうことじゃ……」
わかってる。真琴の言いたいことはわかっていた。でもこれはボクだけでやらないと意味がない。でないと覚悟が揺らぎそうで怖い。その結果誰も守れなくなるのが怖いんだ。だから……。
「ボクは大丈夫だから」
真琴に向けて笑ってみせる。
ボクはただ彼女の笑顔を守りたい。守るために一人で頑張るんだ。頑張らなくちゃいけないんだ。
「……どうして」
でも、真琴には通用しなかった。
彼女は真剣な目つきでボクの方へ視線を向けてきた。なぜだかその視線が怖くて、気が付いたら一歩下がっていた。
「どうしていつも自分自身のことばっかり気にしないの? 他の人のことばっかり優先して」
「そんなことないよ。今回だってそうだ。ボクは自分のことしか考えてない。そうでなきゃ他の人達をあんなに見殺しにしてないよ。自分が死にたくなかったから」
「違うよ! あの飛んでるやつから逃げる時だってそうだった。自分が囮になって私を先に逃がしたでしょ? もしかしたらあの時、ミナは死んでたかもしれないんだよ? なのに私を庇った。夏凛ちゃんの時だってそう。あの時、戻ったミナは死んでたかもしれない。でも助けてあげた。全部他人のためじゃない。それで……それでまた自分が囮になればいいんだって、思ってるんでしょ?」
「違う。違うんだよ真琴」
ボクは自分のことしか考えてない。真琴のことだって一人になりたくないからフライの妨害をしたんだ。夏凛ちゃんのことだってきっと助けなくちゃ寝覚めが悪いと思ったから助けたんだ。全部、自分のための行動だ。他人のためなんかじゃない。
「ボクはたくさんの人を見捨てた。見捨てちゃいけなかったのに。他人のためだったらあの時、スペース・アンノウンが現れた時。ボクはあいつに飛びかかってた。倒せる倒せないとかじゃなくて、とにかく自分を犠牲にしてみんなを助けてた」
他人のことばかり優先してたならそうしてた。そういう人間なら、そうたとえば桐谷拓海のような人間だったら。……迷わずそうしていただろう。AAIがないとか、そんな理由で戦うことを放棄しなかっただろう。
事実、ボクは戦う力がないことを言い訳に、逃げることを選択した。たくさんの人を見捨てた。
「せめてもの償い、なんていうのはおかしいかもしれないけれど。今度こそ誰かのために行動したいんだ。たくさんの人を助けられなかった分、ここにいる人は守りきらなくちゃいけないんだ」
「ミナがそこまで責任を感じる必要ないでしょ? だってミナは普通の人間なんだよ? こういう言い方は亡くなった人たちに失礼だけどさ、見捨てちゃったのは仕方がないことだよ」
「普通の人間、か」
確かに真琴の言う通りかもしれない。普通の人間、一般人なら仕方がなかったことだろう。
でも、残念ながらボクは普通の人間じゃない。元とはいえメタリック・チルドレンなのだ。メタリック・チルドレンは人類のためにスペース・アンノウンと戦う者たちのこと。人々を守る者たちのこと。だからボクは戦わなくちゃいけない。
それに、だ。かつてボクは同じメタリック・チルドレン、仲間をたくさん見殺しにした。そのくせ今度はたくさんの一般人を見殺しにした。今更かと思われるかもしれないけれど、二度もそんなことをした自分が許せない。もうそんなことをしたくない。
ボクは真琴の言うような普通の人間ではないし、たくさんの人を見捨てたという罪がある。責任を負わないことは許されないんだ。
「ボクは……普通の人間じゃないんだ」
「なに、言ってるの?」
「そのままの意味だよ」
「腕のこと、気にしてるの? だったら」
「違う、そんなことは関係ないんだ」
真琴はボクの右腕が義肢であることを知っている。だからボクが腕のことを気にして普通の人間じゃないと言ったと思ったんだろう。でも違う。もうそんなことは気にしていない。
「この腕はさ、機械だけどボクにとっては身体の一部なんだよ。気にしてない」
「じゃあなんで普通の人間じゃないなんてこと」
「それは……」
やっぱり言ってしまうのは憚られた。もちろん変な期待を持たせて安心させてしまうのが嫌というのもある。でもそれ以上に嫌というか怖いことがあった。それは夏凛ちゃんや長谷川さんに対してではなくて、真琴に対しての感情。メタリック・チルドレンなんて言ったらボクと真琴の関係は壊れてしまうかもしれないという恐怖心があった。
一般人からしたらメタリック・チルドレンは英雄だなんて言われている。それが正しいかどうかは別として、遠い存在だと思われている節がある。だからボクがメタリック・チルドレンなんて言ったら、真琴はボクと距離を置くかもしれない。今まで通りの関係ではいられなくなるかもしれない。それが怖かった。
そんなこと言っている場合かとも思うけれど、やっぱり怖いものは怖い。真琴とは今まで通りの関係でいたかった。だからボクは誤魔化しの言葉を探した。探してしまう自分がいて、そのことがまた嫌だった。
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