Ⅻ.決意

 トイレの入り口の方からフライの羽音とスパイダーの足音が小さく聞こえる。

 ボクたち四人は逃げ込んだ通路の先、男子トイレの奥にいた。逃げこむ際、どっちが男子トイレでどっちが女子トイレなのかなんて確認している暇はなかった。今になってようやくここが男子トイレだと気がついた。

 初めて入った男子トイレ。どんなものかと思っていたけれど、小便器が並んでいる以外は女子トイレと同じような感じだった。よくよく考えてみれば当たり前か。


「……助かった」


 不意に男の人が呟くように言った。さっきフライに追われていた人だ。

 三十代くらいだろうか。中肉中背で眼鏡をかけた彼の顔には疲労の色が見て取れた。彼は壁にもたれるようにして座り込んみ、小さく息を吐きこんだ。


「まだですよ」


 小さく声をかける。男の人はゆっくりと顔を上げ、ボクを見てきた。困惑しているようだった。


「……え?」

「スペース・アンノウンは奴らだけじゃない。もうすぐもっと多くのスペース・アンノウンがやってくるんです。そうなったらどうなるか……。いつまでもここにいないほうがいい」

「と、遠くに逃げたほうがいいと?」

「はい。でもそれが問題なんです。徒歩で逃げるにはたぶん間に合わない」

「そ、そんな……。ここから逃げるにしたって外の二体はどうするんだよ」

「それはまだ考えてません。でも、ボクが責任を持ってどうにかします。こんな所に逃げこむことになったのはボクのせいですし」

「あ、いや、君を責めているわけじゃ……。君だって必死だったんだろうし」


 慌てたように言う彼に、だけどボクは首を振ってみせた。

 もちろん今言ったことだって本当で、責任を感じている。でもそれだけじゃなかった。

 ボクは元とは言えメタリック・チルドレンだ。人類のためにスペース・アンノウンと戦う責任がある。

 ……もうすでに何人もの人を見捨て、さらには戦う力さえないのに今更そんな責任を持ち出すのは最低なことなのかもしれない。でもやっぱりボクには誰かを守る義務があって、責任があるのだ。救える命が目の前にあるのなら、救わなくちゃいけない責任があるんだ。


「いえ、本当のことなので。気にしないでください。それに……奴らのことに一番詳しいのは、たぶんボクですから」

「それはどういうことなんだ?」


 不思議そうな顔を見せる彼に、ボクはどう答えようかと悩む。元メタリック・チルドレンと答えれば一番手っ取り早いのだけれど、変な期待を持たせて安心させてしまうのは危険な気がした。でも他に納得させられるような理由はあるのだろうか。


「あー、えーっと。スペース・アンノウンについては訳あって勉強してたんです」


 悩んだ挙句、曖昧な答え方をした。疑うような視線は感じられなかったからたぶん大丈夫だと思う。


「そ、そうなのか。……だからって君に任せてばかりもいられないな」

「え」


 男の人の顔を見る。彼は決意をにじませたような表情をしていた。そして眼鏡を少し持ち上げ、ゆっくりと立ち上がった。


「徒歩以外の移動手段ならどうにかなるかもしれない」

「本当ですか?」


 思わず身を乗り出して聞いてしまった。でもそれほどに他の移動手段があるというのは良いニュースだった。


「ああ。僕は車でここに来たんだ。大きい車じゃないが、この四人なら問題ないはずだ。だから駐車場に行けさえすればなんとか」


 車ならある程度遠くへ逃げられるはずだ。少なくとも徒歩よりは。

 彼の車まで辿り着くことができれば、生き残る可能性は今よりも格段に上がる。希望が見えてきたかもしれない。


「い、いいんですか?」

「もちろんだ。僕は大人だからね。子どもを守る義務がある。任せてくれ」


 君や彼女を子どもというのはおかしいかもしれないけれど、と男の人はボクと真琴に視線を向けながら付け足した。そうした後に、彼は気がついたようにボクに手を差し出した。


「あ、そうだ。僕は長谷川。長谷川徹だ。よろしく」

「早水ミナです。お願いします」


 ボクはそっとその手を握り返した。

 長谷川さんはきっとスペース・アンノウンを怖いと思っているはずだ。逃走中の彼がみせた必死の形相からそれは覗えた。それなのに協力してくれると言った。これは本当に嬉しい言葉だった。だからボクも自分の責任をしっかりと務めなくちゃいけない。絶対にここから脱出する方法を見つけないと。

 自己紹介をする三人を見ながら、ボクは拳を握って決意を固めた。

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