Ⅰ.生活

 朝目が覚めてすぐやることと言えば、右手の動作確認だ。正確に言えば肘から指先までの動作。

 まず指を一本ずつ折り曲げ、拳の形を作る。そうしてから今度は逆。指を一本ずつ開いていく。次は手首を捻ったり回したりする。最後は肘の曲げ伸ばし。動作確認はこれで終わり。

 次は皮膚の取り付けだ。指先から二の腕の半分辺りまでの長さ、要するに取り付けた機械義手と同じ長さの手袋に似た物。それには手首から二の腕部分までファスナーのような物が付いている。ファスナーと違うのはエレメントと呼ばれる噛みあう部分が内側にあり、エレメントに沿うように極細のコードが付いているところ。そしてファスナーの裏――手袋の表面に襞のような物が付いているところだ。ファスナーを閉めると襞がエレメントを見えないようにする仕組みになっている。


 まず手袋に似た形の物をまさしく手袋のように指先から被せ、ファスナーを上まで引く。最後にファスナーの引手を義手の上端にある窪みに差し込む。電子端末にメモリーカードを差し込んだようにカチリという小気味良い音がした。そしてシュッという音がして、肌色の手袋に似た形の物が義手に張り付く。ファスナーの襞部分もしっかりと閉じ、切れ目すらも見当たらない。

 その瞬間、機械的なフォルムは人間の肌へと変化する。それほどまでに精巧にできた人工皮膚。おまけにそうしてボクの一日は始まりを迎える。


「さてと」


 ベッドから立ち上がる。スポーツブラとスパッツ姿のままボクは洗面所へ向かう。洗面所でうがいをして、歯ブラシに歯磨き粉をつけ、口に咥える。そのまま歯磨きをしながら元の部屋へ戻った。

 そうしてクローゼットから今日着ていく服を取り出していると、部屋の中央にあるガラステーブル上に置いてあった携帯が音を立てた。メールの着信音だ。

 取り出した服をベッドに置き、携帯を手に取る。メールを確認すると、友人の木崎真琴からのものだった。


 ――おはよ!

 今日、講義午後までだったよね?

 どっか遊びに行かない?――


 いいよ、とだけ返事を送信する。

 この間、駅前にできた大型ショッピングモールに生きたいなんて言っていたから、きっとそこに行くんだろうな。なんて思いながら出かける支度を続ける。






 歯磨きを終え、洗顔をし、朝食を食べ終わったボクは着替えをする。

 デニム生地のハーフパンツに白のTシャツ、水色の薄手のパーカー。おしゃれなんてよくわからないから適当に選んだ。我ながら男っぽいなと思いつつ、あまり時間もかけてられないからその格好で家を出た。


 一人暮らしを始めてまだ半年ほど。未だに食事を考えるのは面倒くさいし、他の家事だって面倒くさい。実家や高校時代の寮生活では必要最低限の家事で済んだ。でも一人暮らしになると倍になる。

 食事の用意も食器洗いも洗濯も洗濯物を畳むのも掃除もお風呂の準備も。全部自分でやらなくてはいけない。それに光熱費やら家賃やら、お金の管理も以前よりも気を使うようになった。

 面倒くさいことだらけ。けれど、なぜだかそんな生活が好きでもあった。一人で暮らす、ということ自体が性にあっているのかもしれない。

 もちろん、全部放り出したくなる日もあるけれど。


 そんな誰に向けているのかもわからない考え事をしながらバスに揺られること十数分。ボクが通う大学前のバス停に到着した。

 バスから降りたボクは、そのまま大学の門を抜け、一時限目の講義が行われる教室へと向かった。


 なんとなく、大学内の建物たちに目を向ける。比較的新しい学内は綺麗なものだった。それもそのはず。この大学は建て直されたからだ。戦争が激化した七年前のことらしい。

 神出鬼没の敵はいつどこに現れるのかわかったものではなかった。被害が全くなかった土地もあればこの街のように被害を受けた土地もある。

 幸い、この地はそれが最後の被害だった。そのため六年の月日をかけてゆっくりと復興し、二年前ほどにある程度不便なく過ごせる街へと戻った。


 その復興の際にこの大学も綺麗なものに建て直されたらしい。

 ちなみにこんな早くこの街が復興するとは思われていなくて(それだけ被害が大きかったらしい)、復興を遂げた際に再生の街と呼ぶ人もいるのだとか。

 なにはともあれ戦争に関与していたボクにとっては嬉しい話だった。

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