第20話 晴明 助手席

助手席にオーナーを乗せ、京都駅へと向かう。

「あんた、この後どこ行くんです?

まさか居場所も伝えず、野良りくらりやり過ごすんじゃないでしょうね?」

だったら流石に許す事は出来ない。

「車が駅裏に止めてある。今日はそれで家に帰る。

后に叱られたしな。」

ひとまず安心したが、叱られずとも毎日帰れ。

そしてヒステリックな鬼嫁葵と喧嘩すれば良い。

それを避けてきたのが、そもそもの原因なのだし。

口には出さないが、心の中で言ってやる。

外は雨が降り続いている。

その灰色の景色を見ながらオーナーが呟くように言う。

「主神は葵が来て経営方針も、すっかり変わってしまった。

あいつは経営者向きの性格だが、厨房を知らない者が店を仕切る事に無理があった。

こといを葵に任せたのは間違っていたかもな。」

口調からは後悔が伝わってくる。

一息置いてオーナーは続けた。

「后にはシェフとして資質がある。だから、表野に呼んだ。

将来主神家の経営を正しい方向に導いてくれると期待しての事だ。」

「なら、少しは店に顔出してやりなさいよ。」

「私の行動は葵に把握されている。

后に情を注いでいるとわかれば、矛先は后に向かうだろう。

強引な葵は后に手を出すかもしれん。ずっとそれを恐れてきた。」

少なからず事情は理解しているので、それを責めようとは思わない。

「でも、いつかは対峙しなければいけない問題です。

言われたでしょ。ちゃんと向き合えって。」

「まさか、それを后に言われるとは思ってもいなかったがな。」

面食らったのはオーナーも同じだったようだ。

「あの時、主神こといを庇ってましたね。

あれだけ性格が逆だと、対立しそうなものですけど。

長時間閉鎖的な空間に居たせいで、過度な同情を持ってしまったのかもしれません。」

心理効果を狙っての監禁ならたちが悪い。

いかにもあのガキのやりそうな事だ。

「そうかもしれんな。

だが、影響を受けたのはむしろこといの方だ。

それはことい自身にとっても誤算だったのかもな。」

確かに主神こといは心を許したようだった。

オーナーもそう感じたのなら、間違いはない。

「良くも悪くも天神さんは引っ掻き回してくれるので、話が早いです。

単純バカには勝てませんね。

歳をとると、いろいろ考えてしまって思ったことも素直に言えませんから。

なかなか勇気のいることです。」

「あの子の母親もそうだ。そういう所に惹かれた。」

「なるほど。」

この様子では今だにベタ惚れなのだろう。

オーナーは外を見たままいつもの文言を口にする。

「晴明、私は『グリル表野』を、心の温かいところで覚えていて貰える場所にしたい。

そしてまた行きたいと思った時、そこにちゃんとドアがある。

そういう店にしたいんだ。」

この話は、会うたびに聞かされる。

何度目だと思っているのか。

「驚く事に、今や私も同じ気持ちですよ。

そういうのは、あんたの鬼嫁と息子達にして下さい。」

「それもそうだな。」

いつも寂しそうに独り言ちるのに、今日はどこか嬉しそうだ。


車は斜面を下っていく。

もうしばらくで駅に着くはずだ。

「ところで、晴明」

一転し、オーナーが重い口調で言い淀む。

「例の放火事件だが、犯人が誰か、お前は知ってるんじゃないか?」

真摯な口調に息を飲む。

「あんたとは長い付き合いになりましたけど、やっと自分からその話する気になりました?

本当ずるい人ですよね。」

今なら誰にも聞かれる心配は無い。

話をするには絶好のタイミングだ。

「ええ、防犯カメラにバッチリ写ってました。証拠映像も保管してます。」

「なら何故隠す?」

「ご想像にお任せします。」

「すまんな。」

「何の事です? 放火犯は私しか知らないはずです。

貴方に謝罪される意味がわかりません。」

「葵がお前の実家の店の名を欲しがっていた事くらい把握している。

参考人として聴取されているしな。だが、犯人は葵ではないんだろう?」

運転中でオーナーの様子は声からしか判別できない。

「そうですね。お察しの通りです。」

言って横目で気配を探る。

「映像を見るかぎり、深く考えての犯行ではありません。

ですが、結果として父を亡くしましたし、いろいろ本気で大変でしたから。

論理的に物事を考えられなくなって、この手で犯人に復讐しようと本気で思ってたんです。

あんたは償いのつもりで私を店に入れたのかもしれませんけど、私の頭には復讐しかなかった。」

思わず深いため息が漏れる。

「ですが、幼い天神さんに会って、あんたとも深い間柄になった。

そんな思いはとっくに遠のきましたよ。

事情を知って、そこそこ情も湧いてしまいましたしね。

とは言え、到底簡単に割り切れません。

責任が取れる歳になったら証拠を提出しようかとも思いました。」

いつの間にか独白になっていたのに気づいて、ゆっくりと呼吸を整える。

「それも今日までにしときます。

決して許したわけではありません。

また同じ事を繰り返すなら絶対容赦しませんし、自ら犯罪者になってでも鉄槌を下す覚悟があります。」

「そうか。その時はそうなる前に責任を持ってけじめをつけさせる。

本当にすまなかった。」

深く頭を下げているのに気づいて、車を傍に止める。

「だから謝らないで下さい。

頭を下げられる理由はありません。」

オーナーもこの件にひどく苦しんでいたに違いない。

自分はそれにずっと気づかないふりをしてきた。

無理に普段の軽い口調で言う。

「一つご報告ですが、あんたの店の看板シェフは手を怪我して厨房に立てません。治るまで代わりのシェフが必要です。」

「そうだな。一区切りつけたら店に行く。」

オーナーは濡れた窓の向こうを見つめている。

「お待ちしてます。もう隠し撮りの必要はありませんね。」

「いや、それは引き続き頼む。」

やおらこちらに向き直った。

離れていた息子の成長が気になるのもわかるが、何故女性用エプロンを付けさせる。

そこまで大阪の妻が恋しいのか。

全く罪深い人だ。

一瞥を送って車を再び駅へと向かわせる。

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