第19話 オヤジ

「誰か来た。」

こといが耳元で囁くと同時に、結束バンドへニッパーの刃を入れる。

パチンと音がして、切れたバンドが床を滑った。

久しく自由になった両手は、擦れた部分が赤くなっている。

ノブがガチャガチャ激しく音を立て、顔を出したのは写真のナイスミドルだった。

その後ろには安倍店長も居る。


一瞬の沈黙を破ったのはこといだった。

「父さん、どうしたの?」

動揺のない、いつもの声色だ。

「なぜその子がうちに居る?」

親父の口調は怒気を帯びている。

「遊びに来てたんだ。だって、兄さんだもの。」

悪びれない物言いに安倍店長の低い舌打ちが聞こえる。

俺の頭はだいぶ冴えてきた。

どうするのがベストか考えを巡らせる。

これ以上捕まえておく気はなさそうだから、助けを求める必要は無い。

でも、もし俺が『拘束されてた』って言ったら、親父はこといをどう思う?

「そう。俺はこといに誘われて長居してただけだ。」

精一杯ごまかしたつもりが、声の調子はいつも通りにいかなかった。

「そうか。」

親父はそう言って数歩近づき、俺の手首に視線を落とす。

その先の床には結束バンドの残骸が転がっている。

「ずいぶん、危険な遊びをしていたようだな。

悪いが、見過ごせない。ことい、ポケットの中の物を出せ。」

こといはニッパーを取り出し親父に渡した。

「次は通報させる。なぜ、こんな事をした?」

親父は言を正面から見据えた。

「兄さんに主神家を背負う自覚を持ってもらいたかったから。」

親父の眉間に微かな皺が寄る。

「お前の考え方は葵とそっくりだ。私には容認できない。それは他人に強要する事では無い。」

冷めた物言いに、思わずこといをかばうようにして前に出る。

「ちょっと待て、他人てなんだよ。

会ったばかりでも、大切な弟だ。

考え方が違えば、ぶつかり合うのだって当然だろ。

確かにこといがした事は間違ってる。

けど、追い詰められてたんだ。何でそれに気づいてやらないんだよ!」

「叱られてしまったな。」

親父は視線を逸らして自嘲気味に続けた。

「葵は実家が長らく破綻寸前の状態で、辛い思いをしてきた。

それがこといの教育に影響を与えたのかもしれん。

だが、過度に利益や効率のみを優先する今のやり方を進めれば必ず破綻を招く。

わかっているはずだ。」

『だったどうすれば良いの?』

こといの唇は微かにそう言った。

それを見て俺は冷静さを完全に失った。

「親父はどうしたいんだよ! こといの母親も親父の力で支えてやれよ。パートナーだろ!

んで、言を不安にさせんな。しっかり腹を割って、3人で話し合え!」

こといはいつの間にか、俺のシャツの裾をぎゅっと握っている。

安倍店長がその様子を静かに見つめる。

「それをあんたが言いますか。」

「あっ、ちょ、俺言いすぎました!」

安倍店長の冷静なツッコミに慌てて訂正するが、親父は真摯に受け止めている。

「いいんだ。その通り、責任は私にある。

ことい、今日はそのまま家にいろ。外出は禁止だ。」

厳しい視線を送る親父の後ろで、安倍店長が手招きしている。

俺は、シャツを握ったこといの手を両手で強く包む。

ことい、俺たちは兄弟なんだ。

これから飯くらい、いくらでも一緒に食えるさ。

パスタだって、もっと上手く作れるように勉強するから。」

こといはそれを聞いてひどく安心した様子だ。

シャツを離した手を俺の背中にまわす。

「兄さん、もうこんな事は絶対しない。」

俺も同じように、言の背中を強く抱いてやった。


家の外には見覚えのある白のセダンが止まっていた。

親父は助手席に乗り、俺は後ろのシートに座る。

車はアパートへと向かう。

部屋の前には心配そうに華が待っていた。

「華! 店はまだ営業中だろ?」

ほくとが来てくれたから大丈夫。

それより、霧砂にまかないもらってきたから、温かいうちに一緒に食べよう。」

言われてめちゃくちゃお腹が空いてたのを思い出した。

「いつもすまない。后をよろしく頼む。」

親父が華に労いの言葉をかける。

俺は初めて名前で呼ばれた気がする。

「親父、って呼んでもいいのかな? こといの事、一人にすんなよ。」

念のため釘を刺しておく。

「ああ、心得た。私の事は、ぜひそう呼んでくれ。」

親父はしばらく嬉しそうに目を細めた後、ほとんど会話もせずに安倍店長と行ってしまった。

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