第18話 晴明 三角割り
「もう我慢出来ない。」
「そうだな。后さんの性格なら、連絡してくるはずだ。」
「だとすれば、理由がある。」
「携帯を無くして迷子になったか、捕まったかだな。」
霧砂も同じ事を考えているようだ。
昨夜アパートは不在だった。
そのまま夜が明けての無断欠勤2日目だ。
さすがに心配にもなる。
調理台にもたれて甘酒を口に含むが、甘く無い。
手元の砂糖を無造作に足す。
砂糖が溶け残った中にもうひとさじ足そうとして、霧砂に腕を掴まれた。
「いい加減にしておけ! もううんざりだ。」
「何がだ。」
言わんとすることが分かっても、癪なのでいつも通りとぼけておく。
「気取るのもいい加減にしろ! また、甘さが分からないんだろ。」
「『また』というほどでも無いだろ。最後は随分前だ。それに1週間ほどで治る。その程度だ。」
「何がその程度だ。迷惑被るのは店だぞ。治らないのか?」
「検査は受けたが、心因性だった。」
「なら、さっさとカウンセリングに行け。」
「必要無い。感じないのは甘味だけだ。分量で味はわかる。」
「いつまでもあの事件から抜け出せないなら、隠し持ってる物をさっさと警察に出してけじめをつけろ。時効まで大事に持ってるつもりか?」
「お前には関係無い。仕事に支障は出さない。」
「関係あるだろ。隠されると面倒が増える。どうしようも無い奴だな。」
見慣れた呆れ顔に一瞥を送る。
初めて異常に気付いたのは事件の直後だった。
味覚を常に確認するようになって、いつの間にか甘味を手放せなくなっている。
仕事上致命的欠点でも、周りはタバコの代償だと言えば概ね納得するから有難い。
医者はストレスだと言っていたが、心因性とは厄介だ。
心の澱がどんなものか自覚しているからこそ、希望的観測で掘り返されたくはない。
「悪いが、今は余裕が無い。」
「悪いと思うなら、自分から言え。逐一気をもませるな。うんざりだ。さっさと行け。」
「ああ。すまないが、厨房は任せた。」
煩わしくも深追いしてこないのは、流石の腐れ縁だ。
話が早い。
急いでアパートへ向かう。
インターホンを鳴らすが、返事は無い。
裏に回ってベランダの窓を確認する。
やはり気配は無い。格子を乗り越えベランダに上がる。
持参したドライバーを窓枠に差し込み力を込めると、ミシミシ音を立ててガラスの端に亀裂が走った。
錠の下側にもう一度。
亀裂を交差させる。
ガラスを慎重に割って、手を差し込むと、鋭利なガラスが皮膚に触れてチリチリ痛む。
器物損壊かつ不法侵入だが、部屋で気を失っている可能性も少なからずある。
仕方が無いと自分に言い聞かせ、そっと錠を下す。
賊の手口は、知識として心得ているが、まさか自分が侵入する側になるとは。
部屋は荒らされたのかと思うほど物で溢れていた。
よく越して来て1ヶ月でここまで散らかせるものだ。
だが、やはり不在だ。靴が無い。
だとすれば、可能性が高いのは主神の所だ。
着歴は極力残したくはないが、今はオーナーに連絡するしか手段が無い。
電話で事情を手短に伝え、急いで部屋を後にした。
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