第9話 言

兄とのドライブを思い出しながら、テーブルの冷えた夕食を口に運ぶ。

今日も家には僕だけだ。

葵は飲食店を経営しているけど、家で料理なんて作らない。

これは家事代行サービスが用意した。

父さんはそれを責めるけど、僕は悪いと思わない。

それが理由でお腹が空いた事も、嫌な思いをした事も無いから。


むしろ、周りは毎日プロが作った美味しいものが食べられて羨ましいって言う。

でもだから何?

食事なんて、一瞬の快楽に過ぎない。

形を残さず無くなってしまうものに興味無い。


父さんが大切にしてるあの『グリル表野』って店だって僕には理解出来ない。

主神の名を出せば、いくらでも融資が得られる。

あんな店さっさと壊して、新しくすればいい。

料理だって冷凍やレトルトを使えばもっと効率がいい。


冷めて固くなったグラタンを咀嚼する。

必要なカロリーが摂取できればどうだっていい。

皿の中身を一通り口に運び、水で流し込む。

それにしても、さっきの兄さんの様子、思い出すだけで胸が躍る。

他人に興味を持ったことなんて今まで無いのに。


学生の時、僕がいくらウザがっても、いろんな奴が近づいてきた。

『僕と友達』という形だけが欲しかったんだ。

だから僕も上辺の付き合いをしてやった。


けど兄さんは、そいつらと違う気がする。

周りに居なかったタイプの人間だ。

事情を話したら本気で心配してた。

あまりのお人好しで拍子抜けだ。


葵は主神家の財産を僕が全て相続できるように父さんを説得してるみたいだけど、そんなのは無駄だ。

父さんがあっちの親子にどれだけ心を寄せてるかなんて、すぐにわかった。

その父さんが自分から遺言書に『認知した子には財産分与の必要はなし』なんて書くわけがない。

そんなことが分からないから、父さんだって離れていくんだ。


それより人の良さそうな兄を懐柔して、自分から遺産を放棄するように仕向けた方が良い。

葵の店を見せたら他人事みたいに驚いてた。

主神家の財産の事なんて気にした事もない様子だ。

事実を教えてやった時の動揺なんて、可愛くて笑ってしまう。

僕のかわいそうな身の上を聞かせれば、きっと同情して相続放棄する。


葵の言うように、この世界は競争だ。

だからどんな手段を使っても、間違ってると思わない。

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