第3話 それなり
クローズタイムに入ると、霧砂と華は家が近いので一旦帰宅した。
俺は怒涛のようなランチ営業から解放され、事務室のカウチで横になりながら、夕方のまかないをどうしたものかと考えている。
料理は専門学校で一通り学んだから、それなりにできる方だと思う。
けど、安倍店長は手際を見ておきたいと言っていたから、ここはあえて冒険しないでおこう。
トマトソースのパスタがベターだ。
ナスとベーコンを加えれば定番の一品が完成する。
しかも今から作っても余裕で間に合う。
意気込んでエプロンをつけ直し厨房に降りると、ディナーの仕込みを終えた安倍店長が甘酒を片手に壁にもたれている。
ナスとベーコンのトマトパスタを作る事を伝えると、トマトソースを取り出してくれた。
「これをベースに使ってください。
必要そうなものは出しておきます。
勝手に使ってください。」
そう言ってあっさり事務室に行ってしまった。
じっくりと辺りを見回す。
厨房はランチの混雑が嘘のように整理されていた。
ステンレスの棚には分類を記入した新しいラベルが貼ってある。
俺のために貼ってくれたんだと思う。
壁には『砂糖勝手に使うな』『営業中甘酒厳禁』と、年期の入った張り紙もある。
これは霧砂が貼ったに違いない。
初めての厨房は緊張するけど、火力とか、鍋とか、包丁とか、正直こだわれるレベルじゃない。
実習と違い分量を示したテキストも無いが、なんとか4人分のまかないを作り終える事ができた。
それほど間を置かずに全員がテーブルにつく。
スープは店の作り置きだしサラダは基本生野菜。
パスタも安倍店長が仕込んだトマトソースは美味いし、問題は無いはずだ。
俺の緊張をよそに、3人は無言で食べ終わった。
すこぶる面接されている気分だ。
「華はどう思います?」
安倍店長が華に意見を求める。
「初めての厨房なので仕方ありませんが、パスタを茹ですぎかなと思います。」
「厳しく言うならソースも水っぽい。
ナスは逆に油を吸って分離している。」
華に霧砂が続いた。的確な意見が返ってくる。
「まぁ、そうですね。私も同じ感想です。
パスタは余熱を考慮せず普通に茹でたんでしょう。
ソースも火加減を意識しないので油を吸っていたり、乳化せず絡まりづらく水っぽい。
及第点に及びません。」
俺のそれなりは、その程度だった。
「ですが、良い点もあります。
サラダのドレッシング、自分で作りましたよね。
風味が良いです。味のまとまりは悪くありません。
舌と嗅覚はお父様譲りで優秀なようです。」
そこまで言って考えるように間を置いた。
「オーナーの心算はわかりました。
来週からは厨房に入ってください。
しばらくは皿洗いに入ってもらいます。
見習いはキツいですから覚悟してくださいね。」
結局俺の評価はどうだったのだろう。
さしずめ補欠合格といったところだろうか。
聞き直す前に安倍店長は空になった皿を持って厨房へ行ってしまった。
平日のディナーは皿数は多くても回転数はそれほどでもない。
長居する客も少なく時間通りに店を閉める事ができた。
華の指示でクローズ作業終え俺は事務室に向かう。
ロッカーでは霧砂が一足先に着替えていた。
早出なので、先に帰るらしい。
横になったついでに少し気になった事を聞いてみる。
「霧砂さんは安倍店長と付き合い長いのか?」
「長いです。ただの腐れ縁ですが。」
「じゃあさ、昼のタバコの話なんだけど、安倍店長って昔荒れてたの?
元ヤンなら、頑張って敬語使いマス。」
ヤンキーは上下関係に異常に厳しい。
「后さんは私達の可愛い弟みたいなものですから、そのままで大歓迎ですよ。
オーナーの息子さんですしね。」
そう言って上から綺麗な顔で覗き込まれる。
さすが劇団を女性客で満席にするだけの事はある。
女性でなくても、このイケメンオーラには心を奪われる。
「ご安心を。元ヤンキーではありませんよ。
さっきの話ですが、晴明の実家は長く続いた料亭だったんです。
父親を亡くしてからすぐ閉めましたが。」
小声で話すように霧砂の綺麗な顔が寄る。
「この店を始めた頃は、元板前達が店を再開しようと説得に来ていたんです。
晴明には負い目があったでしょうし、いろいろ溜まってたんです。」
そう言って硬くなった俺のエプロンの結び目を外してくれた。
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