第2話 腐れ縁の幼馴染

朝のうちに新しい部屋の整理を終えて、早めに家を出た。


店の中はまだ静かで、賑やかな夜の雰囲気と全く違う。

包丁の音だけがかすかに聞こえてくる。

自然と足が厨房へ向かう。


一列に並んだ東向きの明かり窓からは柔らかな光が差している。

その淡い明かりの中で安倍店長は仕込みの最中だった。

長い指で包丁を器用に操り、次々と傍のバットに野菜を移していく。

しばらく眺めていようとしたが、俺に気づいて顔を上げた。

「おはようございます。

制服渡しますから一緒に来てください。

霧砂も居ますから改めて紹介します。」

そう言って安倍店長は階段を上がっていく。


事務室のカウチには華やかな容姿の男が横たわっていた。

歳は安倍店長と同じくらいだろうか。

いい感じにブリーチされた髪が、中性的な小顔を引き立てている。

フェロモン系イケメンって感じだ。

この人が霧砂だろうか。

傍には制服を着た華が居る。

視線が合うと優しく頷いてくれた。

華といい、安倍店長といい、この店は美形ばかりなのか。

俺が女子なら、歓喜して友達に自慢しまくるのに。

霧砂と思しきイケメンは、安倍店長にカウチの背を激しく蹴られて恨めしそうに睨んでいる。

俺が挨拶すると、パッと表情を変えて立ち上がった。

「ああ、息子って聞いてましたが、女性だったんですね。」

どう勘違いしたのか、俺を見て女だと思ったらしい。

「間違えるのもわかりますが、天神さんは男です。」

安倍店長が訂正する。

俺は空手黒帯だ。言うなればおとこの中のおとこ

どこを見たら性別を間違うのかわからない。

「女性用エプロンしかなかったからっ。」

華が慌てたようにフォローしてくれる。

確かに俺の手には昨日の女性用エプロンがある。

なるほど。自分では納得したが、二人はまだ物言いたげに俺を見ている。

まったく意味不明だ。

安倍店長は俺の抗議の視線を笑顔でかわし、ロッカーから真新しい制服を取り出した。

黒のラインが入ったオーソドックスな白のコックコートだ。

「ロッカーは左端のを使ってください。」

そう言ってロッカープレートに天神と書き込んでくれる。

「では、改めて紹介しましょう。

華は学生時代のアルバイトからそのまま社員になりました。

ホール業務全般は華に任せてあります。

細かいところまで気がつくので見習ってください。」

華はよろしくと軽く会釈をした。

「こっちは霧砂。私とは腐れ縁の仲です。

早朝市場で買い付けをして、ここで仮眠をとります。

霧砂はアマチュア劇団の人気役者なので、たまに欠勤や早退がありますけど配慮してあげてください。」

紹介が終わらないうちに霧砂は不満そうに安倍店長を見た。

「義理で出演する端役なので、気を使って頂かなくて大丈夫。

そもそも晴明がしつこく勧誘されたのに、私が騙されて差し出されただけの事だ。」

「霧砂の方が役者は向いていると思って。

勧誘に来た方もガラガラだった客席が、嘘のように女性客で満席になったと喜んでましたよ。」

同僚を人身御供にする安倍店長、鬼畜だ。

向けられた苦い視線を横目に、何事も無かったように話を続ける。

「最後に、この店について。

11時に揃ってまかないを頂きます。

ランチは14時までで、その後はクローズタイムです。

一旦自宅に帰っても構いません。

17時にまた揃ってまかないを頂きます。

ディナーのラストオーダーは21時で22時には店を閉めますから。」

一呼吸間を置いて、安倍店長は改めて俺に視線を合わせた。

「あなたのお父様は私に経営を一任してオーナーとなっていますが、この店を始めた頃は厨房にも入っていました。

グランドメニューのレシピはその頃ご自身で考案されたものです。

この味を出せるようになるまで、息子には厳しく頼むと聞いています。」

俺は小さい頃、なぜお祝いの時この店に来るのか考えもしなかったけど、なんだか妙に納得してしまった。

「それと、敬語が苦手ならラフに話してくださって構いません。

拘束時間が長いので、お互い気を使っていては持ちませんから。

では、開店まで華に習ってホールの準備をしてください。」

安倍店長が目配せすると、華は頷いて俺についてくるよう促した。


「まずはホールの掃除をするから。

この布巾でテーブルと棚を拭いてきて。」

そう言われてカウンターを拭き始めたが、足元の異様な物体に思わず声が出る。

「うげっつ、コレ何!」

バリっぽい不気味な木彫りの人形がカウンターの下に鎮座している。

昨日は暗がりで全然気がつかなかった。

「なんでこんなのあるんだ? 何がいるのかと思ってびっくりしたんだけど!」

見れば見るほどすげー不気味。こっちをガン見している。マジ呪われそうだ。

「それ、店長の趣味だから…。」

華が申し訳なさそうに言う。

「はぁ? あんな料理作れるのに、インテリアのセンスはちょっとアレなんだな…。」

「それは言わないであげて。

風水的に絶対その場所なんだって。変なこだわりがあるみたい。

インテリアは僕と霧砂が選ぶんだけど、店長の意見も聞かないと拗ねちゃうから。」

華はフォロー役で気苦労が多そうだ。

開店準備をひと通り教わると、ちょうど11時前だった。

霧砂がテーブルにパスタ皿を並べている。

みんな揃って食べるのはミーティングを兼ねているかららしい。

安倍店長もテーブルについた。

「まかないは主に霧砂が担当です。

料理については、おおむね私が仕込みとメイン、霧砂がデザートで、他は手の空いている方が入ります。」

「安倍店長はデザート作らないんだな。どうして?」

少し残念な気がして聞いてみる。

「晴明には異常な甘味癖があるんです。

こいつに作らせると時折タガが外れて危険なんです。」

答えてくれたのは霧砂だった。

「こいつは自分用に毎朝甘酒を作るのですが、砂糖をほどんど使っておいて、夜には砂糖が足りないから買ってこいと人を走らせる。そういう最低な男です。

ですから何か困ったことがあったら、私に相談してくださいね。」

イケメンフェロモン全開の霧砂が俺に向かって爽やかに微笑む。

「余計な事を言うな。個人的に使った分の費用は出している。」

毎度のやり取りに、席に着いたフォロー役の華が申し訳なさそうな視線を俺に送っている。

「安倍店長、甘党なんだな。」

「半分はあんたのせいです。」

「えっつ、俺?」

思いがけないキラーパス。

「タバコを吸っていた時期があるんです。

ですが匂いに敏感なお客様がいらして、非常に悲しげな顔をされたんです。

オーダーもほとんど残して帰られました。」

「わがままな客だな。」

「あんたです。」

「ごめんなさい。俺全然覚えてない。」

本当に、料理が美味しかった事くらいしか覚えていない。

「それですぐ止めましたが代償として、甘味依存になりました。」

ちょっと待て。それは俺のせいじゃないだろう。

「まじめそうな店長がタバコなんて意外だ。」

「そうですか? 以前は少々腐ってましたからね。」

「ああ、昨日のはタバコを止めるきっかけくれて、ありがとうって事?」

「それだけでも、ありませんけどね。」

そう言ってちらっと時計を見た。

「ああ、もうこんな時間です。

さて、ホールも大切ですけど、

厨房希望なら料理の技量も見ておかないといけませんね。

専門学校卒ですから、そこそこ料理できるんでしょう?

夜のまかないはあんたに任せますから。

食材は多少余裕がります。

今日だけ特別にどれでも自由に使ってください。」

そう言って盛られたパスタを食べ始めた。

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