ようこそ、グリル表野へ!
@makomako333
第1話 ようこそ、グリル表野へ!
久しぶりの京都タワー。
京都で生まれ育った俺が、大阪に越したのは12歳の時だから、8年ぶりの京都になる。
俺のオフクロはシングルマザーで、顔も知らない親父は、こっちで本妻と複数の飲食店を経営してるらしい。
俺が卒業後の進路について考え始めた頃、その親父から連絡が来た。
出資しているレストランで働かないかって話だ。
俺としても、将来その道に進みたくて専門学校に入ったのだから、嬉しい誘いだった。
オフクロは猛反対してたけど、なぜか勤務先が「グリル表野」だってわかった途端に快諾してくれた。
テナントの出入りが激しい大通りと違って、一歩路地に入ると懐かしい風景が広がっている。
閑静な住宅街の奥まった場所に店はあった。
庭木に囲まれた入り口の小さな看板には、控えめの金文字で「グリル表野」と書いてある。
蔦が絡まった赤いレンガの縁取りと、重みのある色あせたドア。
傍の黒板には綺麗な字で『今日のおすすめ』が書いてある。
このちょっとワクワクする感じ、なんとなく覚えてる。
お祝いの時はよくここに来たんだ。
俺はこのドアが重くて、でも真っ先に店に入りたくて、いつもよろけながら扉を開けてた。
思い出しながら中に入ると、カランカランといい音でドアベルが鳴る。
客席は30ほどしかないけど、広すぎない感じが心地いい。
床やカウンターは全体的に綺麗な飴色で、照明を温かに映している。
「いらっしゃいませ。」
ホールスタッフの青年が丁寧に頭を下げた。
黒縁メガネで地味な雰囲気なのに、見入ってしまう端麗な容姿。
今日の俺は客じゃないのを思い出し、慌てて顔をそらす。
「あの、オーナーの紹介で来ました。天神です。」
メールには直接店に来いと書かれていたけど、少々不安だ。
「ああ、君がオーナーの。店長は2階奥の事務室で待ってるよ。
もうすぐ店開けるから、早く挨拶してきなよ。」
初日だし、余裕を持って着くはずだったのに、道に迷って結局着いたのはギリギリだった。
急いで階段を上がる。
廊下の奥に『STAFF ONLY』と書かれたドアがある。
コン、コンとノックすると、中から返事があった。
部屋では、男が足を組んでカウチにもたれている。
「ノックは3回。躾がなってませんね。
それと、もう少し時間に余裕を持って行動するよう気をつけて下さい。」
いきなりの注意に頭が真っ白になるが、気を取り直して男をみる。
俺がイメージしてた店長よりずっと若い。
20代後半だろうか。
黒のパンツ、白のシャツから伸びる長い手足。
長身で綺麗な黒髪に端正な顔立ち。
かなりイイ男だ。
「オーナーから話は聞いています。私は店長の
「初めまして。今日からお世話になる天神
親父は、俺の事をこの人になんと伝えたのだろう。
安倍という名の店長は、机から取り出した履歴書と俺を交互に見た。
「オーナーはこんな使えない新人よこして、私に一から教えろと。
過労死させる気ですか。人使いの荒い親父ですね。
一応、調理師免許はあるんですね。
当分ホールで客層とメニューを覚えもらいます。
オーナーの血縁だからといって、特別待遇はしません。
さぁ、開店時間です。行ってください。」
華というのは、さっき俺が挨拶した地味風の美青年だろうか。
捲し立てられ何も言わず出てきたけど、初対面にしてはとんでもなく罵倒された気がする。
階段を下りるうちに、理不尽な暴言がじわりと怒りに変わる。
ホールに戻ると華が心配そうに駆け寄ってきた。
安倍店長の性格をよく理解しているらしく、怒り顔な俺の背中を軽く叩き慰めてくれる。
その様子に安心した俺は、怒りに任せて思ったまま口にした。
「なんなんだよ、あいつ。
初対面で酷い事言われたんだけど。
まさかのモラハラ?」
「新人のくせに店長の文句言わないでよ。
口も悪いし、癖があるけど、優しい人だから。」
華は軽くたしなめてから仕事口調で言葉を続けた。
「うちの店は装飾品厳禁だからね。
指輪やブレスはもちろんだけど、ピアスとかネックレスもダメ。
髪は地毛? 綺麗な色だね。
でも、染めるならそれ以上明るい色は控えて。
このメガネ、度は入ってないんだけど、店長が伊達でもしたほうが良いって。
派手な見目だと、アルコールが入って絡んでくる客も時々いるからね。
君も気をつけて。」
わざと地味を装ってもこんなに麗しい華が泥酔客に絡まれるのはわかる。
でも、全くモテない俺はむしろ、酔った綺麗なお姉さん達に絡まれたい。
「上に着てるシャツはそのままでいいから、これつけて。」
手渡されたのは腰から下のハーフタイプエプロンだ。
華のと違って、裾がフリルになっている。
しかも黒でなく、えんじ色。
「ごめんね。女性用のしかなくて。」
申し訳なさそうに華が言う。
「俺がフリル付きの女性用って、ちょいキモいだろ。」
慌てて押しもどすが、絶対似合うからと無理やり着けられてしまった。
接客は苦じゃないから、ひらひらエプロンでもなんとか頑張れそうだ。
店がオープンすると、あっという間に席が埋まっていく。
華は客席の合間を縫って、オーダーと会計を手際よくこなす。
食事する客はみんな笑顔で、幸せそうな声が響く。
厨房から出てくる料理はどれもボリュームがあって、盛り付けも完璧に俺好み。
空腹の俺は躾けされる犬気分だ。
少し香りが届いただけで惚けてしまう。
「あっーっ。ちょっと危ないよ。」
華の声で自分がカウンターの水差しを倒したことに気づき、慌てて布巾を探す。
「全然集中してないから、やると思ったんだ。
しっかりしてよね。初出だからしょうがないけど。
もしかしてお腹空いてるんじゃないの? 何か食べた?
まかないあるから厨房で貰っといで。」
華にそっと肩を小突かれる。
その心遣い、今の俺には凄くありがたい。
礼を言って厨房へ向かう。
せわしない気配の厨房を遠慮がちに覗くと、中で腕を振るっていたのは安倍店長だった。
「厨房から見てましたけど、あんた本当トロイですね。
華の仕事増やしてどうするんです。
ラストオーダーまで待っててください。」
こちらには目もくれず、相変わらずつっけんどんな物言いだ。
しかしさっき暴言だと思った事が、実際真実に近いと証明されたようで肩身がせまい。
しかたなく厨房を背に、残りわずかな営業時間をやり過ごす。
最後の客がドアベルを鳴らし店を出ると、首元を緩めながら安倍店長が顔を出した。
「まかないを温めておきました。
うちの料理の味も少しずつ勉強してください。
昔よく来てたので、既に覚えてます?」
そう言ってホール端のテーブルの椅子を軽く引いてくれた。
目の前のに出された皿の湯気に思わず喉が鳴る。
じっくり煮込まれたビーフシチューだ。
どうぞと言われ遠慮なく口に運ぶ。
この味だ。大好きだった味。
オフクロとの幸せな時間が蘇って、思わず頬が緩んでしまう。
安倍店長はそんな俺の様子を横で眺めながら、店についての説明を始めた。
「自己紹介は改めてさせますが、ホールは華の他に甘雨と言う子がアルバイトで入っています。同い年なので、気が合うでしょう。
厨房は私ともう一人、今日は欠勤ですが霧砂と言う男がいます。
店のオーナーはご存知の通り、貴方のお父様に当たる方です。」
そう言ってじっと俺の顔を見た。
「あんた、すごくいい顔して食べますよね。
その顔に、何度も救われたんですよ。」
初めの印象とは真逆の柔らかな表情で見つめられると動揺してしまう。
声の響きにも温かさが加わっている。
「救われたって、俺何も…。」
「それでいいんです。」
それ以上は言わなかった。
傍若そうな安倍店長が、昔の俺を覚えていてくれた事にちょっと感動した。
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