第168話「初代の魔王」

「…………」


 暗い部屋の中、その人物は一人うずくまるように座っていた。


 彼女の名はルーナ。

 この古城に連れてこられてから、すぐにキョウ達と引き離された彼女はとある一室へと閉じ込められていた。

 一室といっても、そこはこの城の中でも特に整備された場所であり、かつてはこの城の主が住んでいたのではないかという豪華絢爛な品物や家具がそのまま放置されていた。

 普通の者であれば、喜んでこの場所に住まうほどの豪勢な部屋であるが、しかしルーナはまるで落ち着かない様子のままベッドに潜ることもなく、部屋の隅で怯えるように座っていた。


「おや、この部屋はお気に召しませんでしたか?」


 そんな中、部屋の中にひとりの男が現れる。

 それは彼女をこの場所に連れてきた張本人SSランク魔物のアジ・ダハーカであった。


「…………」


「せっかく用意した食事にも手をつけず、それでは体に悪いですよ」


「…………」


 話しかけるものの返事はなく、肩をすくめるダハーカであったが、次に彼が言ったセリフにルーナは愕然となる。


「やれやれ、せっかくかつてのあなたの部屋に招待したというのに、その反応はあまりに寂しいでしょう」


「! なん、だと……?」


 思わぬセリフに動揺し、立ち上がるルーナ。

 そんな彼女をダハーカは、まるで予測していたかのように笑みを向けて答える。


「あれ、お気づきになりませんでしたか? ここはかつてのあなたの居城、そして本来あなたが統べるべき城でもあるのです」


「そ、それは……どういう、意味、だ……」


 戸惑うルーナに対し、しかしダハーカはそれを嘲笑うように真実を告げる。


「本当は自分でもお気づきになっていたのでしょう? ここに来た瞬間から感じていた懐かしい気配、そして僅かに記憶のそこから蘇る感情。あなたの本当の正体、それは――初代魔王フレースヴェルグに他ならないのです」


「――――――」


 ダハーカが告げたその一言に言葉を失うルーナ。

 しかし、そこにはどこかその答えを覚悟していた感情が見えた。


「実は僕はかつてあなた様に仕えていた初代四天王の一人でした」


「え?」


 更なる真実に顔を上げるルーナ。

 そんな彼女を見るダハーカの目はどこか遠くを思い出すように憧憬に耽る。


「あの頃のあなた様の苛烈さは今でも思い出せます。現在、あなたに代わって魔王の座についたファーヴニルもそれなりの実力者ですが、やはりあなた様には及ばない。魔王という点に置いてあなたほどそれに相応しい魔物も他にいませんでしたからね。それは無論同じSSランクである僕も到底敵うものではありません」


「…………」


 饒舌に語るダハーカを前に、しかしルーナは険しい顔をやめない。


「……それで」


「はい?」


「お前は……私になにをさせたい……」


 眉間に皺を寄せながら問い詰めるルーナに対し、ダハーカは肩をすくめながら答える。


「本当に何かをしたいのはあなたの方ではないのですか? フレースヴェルグ様」


「なに?」


「かつてあなたは言った。この世界の人々、その全てを犠牲にしようとも自分は目的を完遂させると。正直に言いましょう。僕はそう宣言したあなたの意思、確固たる信念に惚れました」


 ダハーカからの思わぬ回答に戸惑うルーナであったが、そんなことはお構いなしにダハーカは続ける。


「もとより僕もSSランク魔物の一人。己の意思を迷いなく貫き、そうして成長する人間の輝かしさには羨望と嫉妬を覚えていました。だからこそ、人間になりたいという想いが生まれたのですが、それ以外で僕が惚れた確固たる信念を持ち合わせたのはフレースヴェルグ様。あなた様お一人」


 蛇は告げる。

 そこに偽りや虚証、策略の一切はない。

 ただ純然に、己が惚れ込んだという信念の持ち主に敬意を払うように告白する。


「確かにあなた様の目的は世界の多くを犠牲にするでしょう。ですが、それでも、それを承知でそれを貫こうとしたあなた様は輝いていた。同じSSランク魔物、当時あなたの部下であった四天王ですらあなたに最後まで従順した者はおりません。しかし一人になろうともあなたは最後までその目的のために万進した。最後はそのような姿となってしまいましたが、しかし、たとえそうなってもその胸の奥にはあの頃抱いていた気持ちが残っているはず。そうでしょう?」


「ち、違う……! わ、私は……!」


 ダハーカの誘いに頭を抱えるルーナ。

 そのうちでは自分ではない何かが暴れだし、表面に浮かび上がろうとしている。

 ルーナはそれを“人である自分”が必死に押さえつけようとしていた。


「お、まえは……私を、何を望んでいるんだ……ッ!?」


 必死に叫ぶルーナに対し、ダハーカは静かに懐から一つの水晶を取り出す。


「……人が成長し、魔物がその犠牲となる世界。僕も最初はそうした世界の役割の一人としてそれを受け入れていましたが……あの時代、それに真っ向から挑み否定したのはあなたが初めてだった。このまま世界の進化が完了すれば、あなたの存在も、そしてあなたが遂げたかった目的もなくなる。それを何一つ果たせぬまま終わるのは……かつてあなたに仕え、憧れた者として寂しい。そう思っただけです」


 そう告げてダハーカはその水晶をルーナに渡したまま、扉へと向かう。

 激しい頭痛に耐えながらルーナはダハーカの背中に声をかける。


「待て……これは、一体……?」


「かつてのあなたの“目的”です。それを見て、内から生じる衝動に抗うならそれもいいでしょう。あなたは“人”としての道を選ぶ、僕はそれを否定しません。僕自身、人になろうと焦がれているのですから」


 しかし、とダハーカは一拍おいて告げる。


「もしあなたが、かつてのあの頃の“魔王”としての役割を果たすというのなら――ええ、その時は僕もお供しましょう。あなたの愚直なまでの生き方に惚れ込んだ最後の部下として」


 その言葉を最後にダハーカは扉を開け、姿を消す。

 残されたルーナの手には水晶が残る。


「…………」


 最初は震える手のまま、それを地面に叩きつけようとするが、どうしてもそれが出来ない自分に気づく。

 やがて、そこから感じる懐かしい気配。

 その水晶の中に眠る自分の真実――果たしたい何かに抗えず、気づくとルーナは水晶を両手に持ち、気持ちを落ち着け、魔力を集中させる。


 かつて何度もそうしたように。

 それが自然であるかのようにルーナは水晶の中に現れた映像を目にする。


 そして、そこに映ったものを見た瞬間、ルーナは知らず涙を流していた。


「……あっ」


 そこに現れたのは彼女がずっと欲していたもの。求めていたもの。

 目覚めてから足りないと、時折街に降りて探し続けたもの。

 誰しもが持っている自然な、当たり前のもの。


 それを目にして、ルーナは気づく。

 自分の正体。目的。

 なぜ、自分が今ここにいるのか。

 そして、何を果たすべきなのか。何を成したかったのか。


 それを理解した時、ルーナは再び涙を流す。

 それは最初に流した懐かしさと嬉しさによる涙ではなく、後悔と悲しみの涙。


「ああ……そうか……私は……僕は……いや、我は……そう、だったんだな……」


 水晶の中に映るそれを抱きしめながら、ルーナは涙を流し続ける。


 そうして、振り返るのはイシタル遺跡にて目覚めてから過ごしたこれまでのこと。

 キョウという人物と出会い、過ごした懐かしくも楽しい日々。

 その周りにいた様々な人物達。

 ロック、リリィ、フィティス、ジャック、フェリド、ミナ、ドラちゃん、様々な人達。


 本来は交わるはずのない“自分”がこうして彼らと過ごせた事実。

 そして、もう会えないと諦めていた“自分”が再び、彼らと過ごせた日々。

 全てを理解し、ルーナは涙を流す。


 やがて、何時間もの間、水晶を抱え涙を流したルーナは、その瞳に決意の炎を宿す。


 それは先程まで何かに怯え、恐怖し、拒絶していた迷える少女の瞳ではない。

 揺るがぬ意思を、覆らぬ魂を、決して退かぬという決意を宿した信念を持つ者の瞳。


 今ここにルーナと呼ばれた少女の魂は静かに変革を終え、かつてこの城を支配した魔王フレースヴェルグとしての意思をその魂に宿していた。

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