第142話「親子の別れ」

 あれからしばらく。

 王戦の決着後、シンとアリーシャは共に王宮で暮らす様になった。

 それまで魔物に育てられたシンは、改めて王宮の知識について学ぶこととなったが、もとより学習能力に長けていたようで、すぐに武術のみならず学問においても急成長をしていると聞いた。

 ただそれまで人と接する機会がほとんどなかったことと、王宮でのトラウマがまだわずかに残っているようであり、オレ達やアリーシャ以外と話すときには極度の緊張状態になることもしばしばある。

 とはいえ、姉と一緒に暮らしている現状はシンに取って幸せな時間であり、それはアリーシャも同じであった。


 オレは方は相も変わらず砂漠での魔物栽培を続けていた。

 すでに砂漠地方に生息する魔物のほとんどを栽培し、そのほかに複合栽培によって新たに魔物を栽培したりもした。


 そうして、数日経ったある日、オレはアラビアル王国から離れた砂漠の奥地、切り立った崖の中にある洞窟へと向かった。


「よお、久しぶり」


「……何の用だ、人間。我が領域に入るとは命が惜しくないのか」


 それはあのシンをこれまで育ててきたマンティコアのいる洞窟であった。

 オレは護衛のために一緒に来てくれたリリィを下がらせながら、背中に背負ったリュックを下ろしながら、マンティコアに話しかける。


「もう記憶の方も元に戻って、オレが誰か思い出してるんだろう?」


「…………」


 その問いに対し、マンティコアは答えないが、オレにはそれで十分であった。

 シンとアリーシャの問題は片付いたかもしれない。

 だがそれでも、これまでシンを育ててくれたこのマンティコアに対し、ほんの少しでも救いがあるべきだとオレは思い、こうしてここに訪れていた。


「マンティコアさん。アンタの妻の遺体はどこに埋めたんだい?」


「なに……?」


 オレからの問いかけに困惑するマンティコア。


「……それを知って何をするつもりだ?」


 やがて、しばしの沈黙の後、問いかけるマンティコアに対し、オレはハッキリと答える。


「そのままというわけにはいかないけれど、アンタのつがいであったマンティコア。オレが新しい命として、蘇らせてみせるよ」


 それは確かな自信を持った答えであり、それを聞いた瞬間、マンティコアは驚く。

 が、オレのまっすぐな瞳を見た後、マンティコアはゆっくりと体を起こし、洞窟の奥へと案内する。


「……ここだ」


 そこは以前の広間から抜け道を抜けた先にあった小さな空間。

 そこにひとつのお墓が存在していた。


「…………」


 オレはそのまま、その墓の前まで近づき、カバンの中に入れていた魔物の種をいくつか取り出す。


「それで一体どうしようというのだ?」


 マンティコアの問い掛けに対し、オレは手持ちの種を墓の下の地面に植えながら答える。


「この種は木の実を実らせる魔物の種だ。その種を動物型魔物の死骸の上に撒くことで、動物型魔物の遺伝子を取り込んだ、植物型魔物の卵が生まれる」


 オレの説明に対し、マンティコアはよくわからないと言った表情をしていたが、まあ、こういうのは説明するよりも実際に見たほうが早い。


「まあ、要するに」


 種を植えて、オレは持ち込んだ水筒の水をそのお墓の地面へと注ぐ。


「アンタのつがいは、ここから生まれる樹から誕生するってことだよ」



◇    ◇    ◇



 ――そうしてひと月後。


「それじゃあ、オレの役目でこれで本当に終わったようだし、そろそろ行くわ」


「うん、キョウ。本当に何から何までありがとう」


 今、オレ達はシン達から提供されたコブダに乗り、アラビアル王国の門の前にいた。

 城近くの荒地は今や、立派な畑環境となり、そこにはオレが栽培した新種の魔物ジャック・オー・スイカを始め、サボテンボール、砂漠クラゲをはじめとし、キラープラントやジャック・オー・ランタン、それにコカトリスの樹の栽培によるコカトリスの自生も行われ、その地一帯には様々な魔物達がひしめき合い、十分な収穫を可能としていた。


「ほとんどの魔物はそこで完全に自生してるから、あとは放っておいても自然と次の世代も生まれてくるはずだから、管理するだけで十分のはずだよ。ただ水とかは定期的に頼むよ」


「勿論、本当に感謝してるよ、キョウ」


 そう言ってアリーシャは何度も頭を下げるが、オレは「大したことはしてない」と彼女の顔を上げさせる。


「ああ、それとよければ世界樹の種の方も経過観察してくれよ」


「わかってるよ」


 オレのその確認に対し、アリーシャは頷く。

 そう、オレが持っている世界樹の種の一つをこのアラビアルへと植えた。

 モーちゃんから世界樹を成長させるにはそれにあった場所に植えるのが一番と聞き、オレは当初の予定通りこの国へとそれを植えることとした。

 世界樹は人の成長に同調して発芽する大樹。

 それを考えるならば、このアラビアルに植えるのは相応しいとオレは思った。

 アマネスのいるヴァルキュリアや、ロスタム達のいるアルブルス帝国は彼ら自身が模範として、人々の成長を促している。

 そして、この国もいまやアリーシャとシンという新しい国の在り方を築こうとしている姉弟がいる。

 この二人によってこの国が新しい方向へと導かれるのなら、それは間違いなく世界にとっての成長に繋がる。

 だからこそ、オレはこの二人に世界樹の種を託し、この地へと植えたのである。


「もしも、無事に発芽したらすぐに連絡入れるから。まっ、そう遠い先に話じゃないよ」


「おう、期待してるぜ、アリーシャ」


 そう言ってアリーシャは初めて会った時のように、少し上から目線の生意気な態度を見せるが、それも照れ隠しの一種であり、オレは素直に受け取る。


「シンもお姉さんと仲良くな」


「はい、キョウさん」


 そう言って静かに呟くシンに出会った頃の恐怖に怯える姿はもうなかった。

 姉を守るためにあの王戦に挑み、シンの心は幼い頃から成長を果たし、気弱なその表情には確かな強さが宿っているようにも見えた。

 が、同時にその顔の下にはわずかな曇りがあるのをオレは気づいていた。


 確かにシンにとっての本当の家族、姉のアリーシャと一緒に暮らすことはできた。

 だが、それでもシンにとってこの数年間、一緒にいてくれた家族は別にいたんだ。

 それはシンに取って本当に『父』と呼ぶべき存在。

 だが、その魔物との別れはあまりに急で、一方的であった。

 シンにとって、その別れは当然寂しいことだが、それ以上に残ったマンティコアが独りきりになっていることに悲しみを覚えているのだろう。

 この子はそういう優しさを持っていると、このひと月一緒にいることでよくわかった。


「……シン。最後にお前に見せたいものがあるんだ。ちょっとそこまでコブダに乗って来てくれないか?」


「? は、はぁ、分かりました」


 突然のオレからのその誘いに困惑の表情を浮かべるシンだが、そのままオレの誘いに頷きコブダに乗り、砂漠を歩き出す。

 しばらく歩いたところでオレは小高い丘の方を指す。


「シン、あそこの丘をちょっと見てみな」


 オレからの急なその言葉に小首をかしげるシンだが、頷くようにそちらを見た瞬間、シンの表情が変わるのを見た。


「……とう、さん……」


 そこにいたのはシンにとっての育ての親で、彼にとっての本当の『父親』――マンティコアの姿。

 今のシンには国王という彼を受け入れてくれる父親がいる。

 だが、それでもシンにとっての父親はやはり彼なのだ。

 その父の無事な姿と、そして傍らに寄り添う小さなマンティコアの子供の姿を見た瞬間、シンには本能で気づいた。

 その子供マンティコアの見た目や雰囲気、そこから感じられる慈愛あふれる姿に、シンは知らずその言葉を呟いていた。


「……お母さん……」


 それはこの数年、シンを実の母親がわりとして育ててきたというマンティコア。

 彼女の死により一度はシンは衰弱死の選択までしたほど。

 だが、そんな最愛の母が生まれ変わった姿に、シンは気づき、その子マンティコアと寄り添う父の姿を見て、涙を流す。

 やがて、シンを見下ろしていた二人のマンティコアも天に向かい遠吠えを行う。

 それはまるで最後の別れを告げるように。

 成長した子を手放し、その行く末を見守るように、彼らはシンという息子の、この先の幸せを願い、送り出していた。


 やがて、遠吠えが収まると同時に二匹のマンティコアはゆっくりと背中を見せ、砂漠の彼方へと消えていく。

 もう二匹が振り返ることはなかった。

 そして、それをシンが追いかけることもなかった。

 ただ、親元から離れるように静かにシンはそれを受け入れ、瞳に溜まった涙を拭い去り、オレの方を振り向く。


「――ありがとうございます、キョウさん」


 そう言って深く礼を言った後、シンは顔を上げる。

 そこに映った笑顔は、オレがこれまで見てきた中で一番のシンの笑顔であった。


「ああ」


 これでもう大丈夫だ。

 シンも、そしてマンティコア達も。

 ちゃんとそれぞれの道を見つけられたとオレは安心し、シンの差し出した手を握る。


 これにてアラビアル王国にて招かれた物語は終わりを告げる。

 が、オレ自身の物語はまだこれからであり、この先に待ち受けている新たな冒険と出会い、そして、予想もしない魔物達との出会いと栽培があることを知らずにいた。


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