第127話「心の病」

「心の病……?」


 ドラゲちゃんが言ったその言葉をオレは呟く。

 それは一体どういう……?


「私も詳しいことはわからないですけど、この子には生きる気力がないみたいなんっす。そのせいで体の機能が心に引っ張られるように低下してるんです。これは肉体的な病ではないので、私でも治せないということっす」


 つまりはこの子がこういう状態にあるのは、この子が望んでやっていること。

 その事実を聞き、オレは改めてシンに似たこの少年の顔を見た後、背後に立つマンティコアの方を振り向く。


「……聞いての通りだ、マンティコアさん」


 オレのその呼びかけに対し、マンティコアは答えない。

 だが、それに構わずオレは更なる問いかけを行う。


「この子を救うにはオレが栽培した魔物では役に立たない。この子を救いたいなら、多分道は一つだろう。この子について知っていることを全部話してくれ。どこで出会い、どうしてここで暮らし、そして、なぜこんな状態になったのか、すべて包み隠さず話してくれ」


 それこそが、この子を救う唯一の糸口に繋がるだろうと、オレはマンティコアへ問いかけた。

 しばらくの沈黙の後、マンティコアが静かに語りだす。


「……その子を見つけたのは今から数年前、あれは私と、私の妻が偶然見つけたものだった」


 そうして、マンティコアの口より、この少年との初めての出会いが語られる。






 最初にこの子を見つけたのはこのマンティコアの妻だったらしい。

 砂漠の中で一人あてもなく歩き疲れ倒れたままのこの少年を見つけたのだと。


 妻は彼と同じくマンティコアであったが、その当時、二人の間に生まれた子供が病にかかり衰弱死したという。

 そのことが要因となったのか妻の方のマンティコアが倒れたままのその子を保護したという。


 少年は魔物に救われ、共に暮らしていくこととなるが、最初のうちはやはりというべきか警戒心が強かったという。

 というよりも拾われる前から、何かがきっかけで他人を信じられないと言った態度をとっていたらしい。

 それでも妻の方のマンティコアが何度も少年に対し食事を与え、彼がそれに手を出してくれるのをじっと待っていたという


 やがて数日の時が経ち、少年が差し出された食事に手をつけた頃から、お互いの間に張り巡らされていた緊張の糸が解けていったという。

 その後は少年は年相応の子供らしい笑顔や態度を徐々に見せるようになり、よくマンティコアの背に乗って遊んだり、一緒に体に抱きついたまま眠り付いたという。

 それはまるで母親を失った少年が再び母親と再会できたような、そんな笑顔を振りまいていたという。


 そして、それは妻であるマンティコアの方も、そうであったと彼は語る。

 生まれたばかりの子供を亡くし、生きる目標を失いかけていた矢先に出会った少年。

 たとえ種族は違っても、親もなく一人孤独で死にかけていたその子を放っておくことは出来なかった。

 そのマンティコアは、亡くした子供への想いをその少年に注ぐように親身に育て、マンティコアの方もまた救われていたという。


 しかし、そうした関係も数年しか続かなかったという。

 今からひと月ほど前に、妻の方のマンティコアが原因不明の衰弱に陥り、命を落としたという。

 それはかつて彼らの子供を奪った病と同じものだったのか詳細は不明とのこと。

 だが問題はそこではない。重要なのは少年を支えていた母であるマンティコアが亡くなったということである。


 その後、母親であるマンティコアの後を追うように少年の体も日に日に衰弱していく、やがては病にかかったという。

 これまでの自分たちの子供や、妻の容態を見てきたマンティコアならば、この子も同じ病にかかったのだと思うのは自然な流れであろう。


 そうして、魔物栽培士であるオレの噂を聞きつけ、オレが砂漠のテリトリーにやってくるのを待っていたという。

 最も、どこでオレの情報を聞いたのかは詳しくは教えてくれなかったが。






「……なるほどな。そういうことか」


 大方の事情が飲み込めたオレは素直に頷く。

 そして、ある種の確信が満ちた。

 先ほどのマンティコアの話と、シンから聞いた話を統合すれば、おそらくこの子はシンの実の弟。

 王族の血を引く正統な王位継承者の一人。

 だが、数年前、母親と共に暗殺されそうになったこの子はテラスから真下に存在した湖に落ちた。そこで一命をとりとめたのだ。


 おそらくその後、この子は自分が狙われていると分かって、その身一つで王宮から離れ砂漠へと逃げたのであろう。

 まだ幼くその上、目の前で母親が殺されたのを見たのだ。

 混乱し、遠くへ逃げようとするのは本能のようなものだろう。


 そうして力尽きそうになっていたところをこのマンティコアに拾われたのだ。

 その後は、彼の言う通り、少年はここで暮らしていたのだろうが、彼を育てていた母親がわりのマンティコアが死んだ。

 それは少年に取って二度目の母親の喪失に等しい。

 誰も信じられなくなり、ただ恐怖する毎日だったはずなのに、そんな彼に手を差し伸べてくれた魔物。

 それは紛れもなく少年にとっての母親に他ならない。

 その母親が目の前で再び死ねば、少年にとっての生きる希望も失われていく。

 これまで魔物に育てられての環境下ならば、少年の精神構造が拾われた当時のままストップしていても不思議はない。

 故に、おそらく少年は自らの意思で死のうと決意したのだ。

 二人の母親が待つ天国へ行くために。

 子供に取って自分が愛する母親が亡くなることほど、強度のストレスはないのだから。


「……となると、これは本当に厄介な原因かもな」


 オレは重く呟く。

 なぜなら先程ドラゲちゃんが言った通り、これは完全に少年の心によって引き起こされた衰弱。

 ならば、それを元に戻すには少年にとっての生きる希望、意味を与えなければならない。

 今のオレならどんな難病でも治せるだろう。だが、それでも唯一治せないものがある。それこそが心の病。

 せっかくマンドラゴラという万病薬を、採取しても問題ない魔物を生み出せたというのに、それが唯一治せない病が目の前にあるなんて皮肉以外の何物でもない。


 だが、どうする。

 ここまで来た以上、オレはこの子のことを治したいと思っている。

 なによりもこの子がシンの弟だというのなら、シンのためにもなんとかしてこの子を治して……。


「――そうだ!」


 あった。この子にとっての生きる希望。あるいはその理由となれる存在。

 確かにこの子にとっての母親は死んだ。

 二度目の母となった魔物も死んだ。

 それでもただひとり、この少年にとっての肉親。今もなお弟の存在を覚え、それを大事に話してくれた姉シンならば――。


「マンティコアさん。頼みがあります。この子をオレに引き渡してくれませんか」


 オレからのその願いに対してマンティコアはただ沈黙を保つ。


「無論、ただ引き渡してくれというのではありません。この子には姉がいるんです。今もなおこの子の存在を大事に胸に秘めている肉親が。彼女に会えばこの子は失った家族と再会でき、それが生きる希望につながるかもしれない。だからお願いです。この子をオレに引き渡してください。そうすれば、この子を救えます!」


 そう言ってオレはこれが最善であると確信してマンティコアへ打ち明ける。

 だが、マンティコアから返ってきた答えは予想外のものであった。


「――だめだ」


「え?」


「この子は渡さない。この子を返すわけにはいかない」

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