第101話「兄弟」
「聞いたか。ザッハーク様が世界樹の実を手にしたらしいですぞ」
「本当か? ならばザッハーク様もこれで大勇者の仲間入りであろう。弟のロスタム様に続き、やはりあの方も才能に恵まれた方だということだな」
「いや、それがどうもそうではないらしい。なんでも実は他の誰かから受け取ったという噂がある」
「では功績によって得たものではないと? それではいくら創生スキルを持っていたとしても大勇者の仲間入りは難しいであろう……」
あれから、どこから漏れたのか私が世界樹の実を手にし、それにより創生スキルを手にしたとの噂が流れた。
最初は創生スキルさえ手にすれば、あとはどうにでも出来ると思っていた。
だがそれは誤りであった。
私が手にした創生スキルとは、自らの実力を高める類のものではなかった。
それはいわば他人にのみ効果を発動する能力。
精神や人格を操作、書き換える操作系の創生能力であった。
確かにそれは他国の侵略や戦略などに用いれば、これ以上ないほど強力なスキルであろう。
だが、それは『王道』ではなかった。
勇者制度による勇者の格上げとは、あくまでも自身による功績が認められて初めて大勇者への階段を登れる。
それはこの地上を見ている女神様の目による判定であり、そこに小細工などが通用するわけがない。
つまりは、私が手にした能力はそうした王道に逸れた能力。
求めた力は最後まで私の元には手に入らなかった。
結果、私に残ったのは自らの功績で手にしたわけでもない創生スキルと、それを手にしたことへの疑問、疑惑、そして嘲りであった。
どうすればいい。
どうすれば私は弟と肩を並べられる。
どうすれば弟と同じ大勇者になれる。
焦りと不安、それにより苛立った私に手を差し伸べたのは、他ならない弟ロスタムであった。
「兄上。先日、かねてより探しておりましたSSランクの魔物の居場所を遂に掴みました。ついてはオレと共にぜひ討伐の手助けをしていただけませんか?」
それはロスタムにとって、利にはならないはずの討伐任務であった。
SSランク魔物は人と女神が定めた最高ランクの魔物。
それを討伐した者には即座に大勇者の称号を与えられる。
すでに大勇者の称号を手にしているロスタムにとって、SSランクに挑むメリットなどほとんどなかった。だが。
「SSランクの魔物を打ち倒すのはこの世界に生きる勇者達の最終目標です。それをなさずに大勇者の称号を名乗るのはオレ自身の誇りが許せません。ですから兄上、どうかオレに力をお貸しください」
そう言った弟の目はどこまでも真っ直ぐに王道を見据えていた。
だが、本当はわかっていた、それはあくまで建前の理由だと。
本当の理由は、私が大勇者の称号を得るためのお膳立て、その資格を得るチャンスを弟が提示してくれたのだ。
私はわずかに迷いを持ったが、それでも差し出した弟の手を取った。
そして、私と弟ロスタムが相手取ったのはSSランク、ベヒモスと呼ばれる大地の神獣。
すでに大勇者の称号を得ているロスタムとはいえ、SSランクの魔物を相手にするにはあまりに分の悪い戦いであった。
私もまたロスタムを援護する形で戦いを挑んだが、それはまさに天と地の差を実感させるほどの桁違いの相手であった。
戦いは七日七晩続き、やがてロスタムの一撃が疲弊したベヒモスの体に致命傷を与えた。
だが、それは同時にベヒモスの最後の反撃を許す行為にも繋がった。
荒れ狂う大地の獣の一撃が私へと迫った瞬間、そこに映ったのは私を庇い、地に倒れる弟ロスタムの姿であった。
その時の感情は今でも思い出せない。
あまりの出来事にただ唖然としたのか。
弟が倒れる姿を見て、慟哭し悲嘆を浮かべたのか。
あるいは、その姿を見て、安堵しわずかな喜びを得たのか。
真実はわからない。
ただわかっているのは気づいた時、私は倒れたままのロスタムを抱き、その手を握っていたこと。
「……兄上……」
致命傷だ。
もう助からない。
手を握ったまま、弟の生気が失われるのが感じられた。
このまま弟を死なせるのか?
いや、もはやどうしようもない。
これは仕方のないこと、正当な行い。
これで私は誰にはばかることなく帝位に就くことが出来る。
煩わしかった弟と比べられることもない。
そうなのか?
本当にそうなのか?
それが私の望んだことだったのか?
なぜ、私は力を求めた。
弟に嫉妬し、劣っているのを認めるのが嫌だったから?
違う。
私が力を求めた始まりの理由はそんなものではなかった。
私は、ただ。
「……兄上……これで、兄上も……大勇者の称号を得られるはずです……誰にはばかることなく大勇者の称号を……」
その言葉を聞き、私はただ固まるしかなかった。
ロスタムは知っていたのか?
ずっと私が影でなんと言われていたのかその状況を?
それに頷くようにロスタムの言葉が続く。
「……兄上はオレに道を教えてくれた方でした……オレの憧れであり、オレの知る誰よりも強い人……そんな兄上がオレと比べられて蔑まれるのは耐えられませんでした……だって、兄上はオレよりもずっと……強いんですから……」
その言葉に私はただ首を振るしかなかった。
違う。それは私はではない。お前の方なんだ。
私よりも才能に溢れ、私の先を行く勇者。
私はそんなお前に怯え、いつか置いていかれると、そう恐怖していた。
だが、違った。
弟はそんな私の方を尊敬し、目標にしていたと。
そこには嫉妬も恐怖も哀れみもない。
あるのはただひとつ、共に隣に並びたいという気持ちだけであった。
それを知った瞬間、私は自分がこれまで弟にどんな感情を抱いていたのか知ることとなった。
「……ですが、少し残念です……」
そう、私が力を求めた理由。
それは弟ロスタムに対する競争心でも劣等感や憎しみ、まして嫉妬でもなかった。
もっと純粋な、兄弟に対し抱いた感情。
「……できることならば……オレも……兄上と共に並んで……道を歩きたかった……」
ただ、隣に並びたかった。
それだけだったんだ。
弟ロスタムと共に、その隣に立ち、弟が歩む王道を共に歩きたかった。
だが、それに気づいたとき、すでに弟は私の腕の中で眠るように息を引き取っていた。
力を求めたのも、大勇者となりたかったのも、全ては対等な立場で弟の隣に立ちたかっただけ。
そんな必要なんてなかったというのに、私は私自身の見栄のために弟を死なせた。
どうすればいい。
自分のような才能もない男が生き残り、弟のような世界が望んだ存在が死ぬなど間違いだ。
そうだ、これは間違いなんだ。
弟は、弟だけは殺してはいけない。
気づくと私は弟の亡骸を抱えたまま、倒れたままのベヒモスへと近づいていた。
ベヒモスは瀕死の状態であったが、まだ息があった。
私は倒れたままのベヒモスに触れ、もう片方の手で眠る弟の額に触れる。
聞いたことがあった。
SSランクの魔物には人化の能力なる人の姿へと自らの姿を変換する力があると。
このようなことが可能なのかどうか、確信はなかった。
おそらくこの時の私は正気ではなかったのだろう。
だが、それでも、弟が死んだなどという事実をなんとしても変えたかった。
弟の中に残る記憶や感情をそのままベヒモスへと与え、ベヒモスの記憶と感情を弟そのものへと作り替えていく。
そうして、私の前に倒れていたのは弟の姿を持ったベヒモスであった。
その後は語るまでもない。
弟の姿と記憶、人格を持ったベヒモスは周囲に疑われることなく本人自身も疑うことなくロスタムへと成りきる。
だが、私が持つ人格を変換させる創生スキルは長くても一月程度しか効果を及ぼさない。
ゆえに皮肉なことだが、大勇者となり名実ともにロスタムの補佐として兄として傍にいることによりベヒモスの記憶を常にロスタムとして保たせていた。
やがて、それが周囲には弟であるロスタムが私に洗脳を施し、兄を傀儡として帝位継承権を奪い取ったと噂されるようになったが、それはそれで好都合であった。
私が帝位を退く理由と弟が帝位に就く理由、その両方を補ってくれたのだから。
私は弟の影でいい。
弟の傍にいて、弟を生かすことができるならそれで。
だがロスタムへと成り代わったベヒモスは全てが前と同じ弟とは言い難かった。
それも当然であり、なぜならば記憶や人格の刷り込みなど、全てが完全にいくはずがないからだ。
そこには必ず綻びがあり、そして欠損もある。
なぜならベヒモスへと刷り込まれた記憶は弟のものだけではない、それを行った私自身の記憶や人格の一部、あるいは『こうあって欲しい、あるいはこうであったのではないかという弟の虚像』までも刷り込まれたのだから。
ゆえに弟の人格は前よりも、より帝王らしく、私が若き頃いきがっていた性格までも現れていた。
帝王となった後のロスタムの行動が嫌われるようになったのも、全ては私の側面が影響したせいであろう。
そして、それゆえか弟は今回の強攻策とも取れる、世界樹の成長計画を私に打ち明けた。
勇者制度だけではない、他国への小競り合いをはじめとする人の成長の促進、そして栽培勇者をはじめとする見込みのある人物に対する自らの敵対。
本来、魔王がするべき役割を帝王となった己がすると。
その計画を打ち明けられた時、私は決意した。
それが果たされた暁には、最終的な汚名は全て私がかぶろう、と。
弟を死なせた罪、そして偽の弟を作り上げた罪、その全てを明かして償いを果たそうと決めた。
なぜなら、最初の罪は私にあるのだから。
弟を死なせる原因を作ったこの私に。
「……これがすべての真実だ……ゆえに栽培勇者よ。今回の件は全て……“私が作り出したロスタム”が起こした出来事……それは全て私が起こした出来事に相違ない……事実、お前が知る周囲の者達の記憶を改ざんしたのも私だ……このロスタム、いやベヒモスは私に利用され操られていたにすぎない……ならばそれを操っていた者をこそ処罰するべきであろう……覚悟は出来ている……栽培勇者……いや、ベヒモス、記憶を勝手に変えられたお前の方こそ、私に復讐する権利があるな……私のこの身、好きにして構わない……」
そう言って跪いたままのザッハークは語った。
自分が犯した罪。
そして、今回のこの出来事が始まる、本当のきっかけを。
正直、オレはこの人をどうこうするつもりはない。
確かに実際にミナちゃん達の記憶を変えたのはこいつだろうし、それなりのツケは払うべきなのだろう。
だが、それでもこいつになにかを与えるならそれは――オレ以上に、もうひとりが相応しいと思ったから。
「…………」
それに頷くように隣に跪いていたロスタム、いやベヒモスが立ち上がり、その手をザッハークへと伸ばす、そして――。
「……兄上」
その手をザッハークへと差し出したまま止めた。
「知っておりました」
「……なに?」
ベヒモスのその言葉にザッハークはまさかとばかりに顔をあげる。
そこにあったのはいつもの不敵な笑みを浮かべる帝王の表情であった。
そして、その時、オレ達の背後から、よく知る少女の声が響き渡る。
「知ってるって言ってんのよ。そいつは望んでアンタの弟になっていたのよ、ザッハーク」
皆が振り向いたそこにはリリィがいた。
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