第100話「蛇の誘惑」

 幼き頃より、私は帝国の繁栄のため、延いては人類社会、世界の貢献のために才能を持つ人間がそれを伸ばし、相応しい地位に就くことこそが正しいと信じていた。


 それはこの世界に蔓延る貴族制度という古きしきたりを破壊し、勇者制度と呼ばれる新たに力と才能を持つ者こそが頂点に立つべきだと掲げていた。

 

 そして、だからこそ理解していた。

 そうした制度が成り立った際、この帝国の玉座に就くのは私ではないと。


「兄上、お喜びください! 遂にオレも女神様に認められ勇者制度における最高ランク、大勇者の称号を与えられました!」


「そうか、それは見事だ。さすがは私の弟だ、ロスタム」


 我が帝国は貴族制度を中心として栄えた国。

 それゆえ、帝位継承権も本来ならば兄である私にその権利があった。

 だが、皮肉なことに私が行おうとした改革によって、帝国の継承権はより力と才能を持つロスタムの方へと移っていくこととなった。


 幼き頃より、私は誰よりもロスタムの才能を見抜いていた。

 だからこそ、王座に就くべきは私よりも高い才能を持つロスタムであるべきだと思っていた。

 そこには何の未練も後悔もない、そのはずであった。


「兄上……先日の申請において大勇者の資格を得るには不十分と言われたそうですが、どうかお気になさらないでください。兄上ならば必ずやオレと同じ大勇者の資格を得られると信じておりますから」


「……ああ、すまない。ロスタム……」


 そう思っていたはずが、いつの頃か私は、私を置いて先へと行くロスタムに対し不安と焦り、そして嫉妬を覚え始めていた。


「ザッハーク様! お考え直しください! 今すぐに手を打たなければ次男であるロスタムに継承権を奪われることになりますぞ!」


「帝国は血統を重視する国です。それが長男を差し置いて次男の継承がささやかれる宮廷など言語道断ですぞ! 聞けばロスタムは貴族制度を廃止、新たに勇者制度なるものを立ち上げる動きを見せているとのこと。ザッハーク様、今すぐにロスタムを追放するべきです!」


「……黙れ」


 臣下達の煩わしい声に思わず低く唸るように警告をし、それを前に臣下達は怯えるように下がる。


「……私よりもロスタムの方が才気に恵まれ、大勇者という称号を得ているのだ……どちらが真にふさわしいかなど議論する必要もあるまい……」


 それはまるで自分に言い聞かせるように私は吐き捨て、廊下を歩く。

 やがて歩く私の耳にささやくような宮廷中の話し声が聞こえてくる。


「聞いたか、ロスタム様が大勇者の称号を得たという話」


「なんと、未だ四人しか獲得したことのない勇者制度の頂点をですか! いやはや、さすがはロスタム様。あのお方が長男であれば何の問題もないというのに」


「最近ではロスタム様の風格は兄上であるザッハーク様を上回るほどになっておりますからな。あれこそまさに帝王にふさわしい方でしょう」


「一方のザッハーク様は……もちろん、才能はそれなりにあるのですがロスタム様と比べると……」


「最近では以前のような覇気も失われたように見えますな」


「仕方がないでしょう。あれほど弟の才覚を前にすれば、自信を失って当然でしょう」


 そんな噂話を背に、私は部屋に戻り、静かに鏡を見る。


 いつの頃か、激務に追われ目の下にはクマが出来、以前まであった堂々とした自分の姿が薄れているようであった。

 いや、わかっていた。

 今の私には以前のような生まれ持った帝王の風格はもはや見る影もない。

 名実ともに認めてしまったからだ。

 この国の帝王に相応しいのは弟ロスタムだと。

 私はその影でいるのが相応しいと。

 そう認めてしまうほどに私の内面もいつからな暗くなっていくのが自覚できた。

 そんな時であった。


「わかっていたつもりでも、それを認めるのは案外つらいものでしょう。帝国の第一帝位継承者さん」


「……誰だ」


 見るとそこにはいつの間にか窓際に立つ男の姿があった。

 見覚えのない男。

 細い目、まるで狐か蛇を思わせるようなその男の薄ら寒い表情は未だ忘れられなかった。


 だが、その男が侵入者であるのは誰の目にも明らかであった。

 ザッハークは腰に指した剣を抜き、その男へと向けるが、男は特に気にした様子もなく続ける。


「ザッハークさん。このままではあなたと弟さんとの差は開いたまま。おそらく今のままではあなたは大勇者の一人となることもできず、あなたは弟の傍から排斥される。皮肉なことにあなたが掲げた勇者制度によって実力の劣るあなたは弟の傍から離される。いや、なんとも皮肉な話ですね」


「貴様……」


「わかっているのでしょう。今のままでは必ずそうなると」


 その男の言葉には複雑な感情を抱きつつも、ザッハークは根底の部分では同意していた。


 自分はロスタムとは異なる平凡な才能の持ち主だと。

 その自分ではロスタムの傍で影として支えることすら不可能であろうと。

 あまりに開きすぎている差。

 このままでは自分は弟から置いて行かれると、その恐怖と嫉妬をずっと胸に抱いていると。


「よければお手伝いしましょうか。あなたが才能を手にする手助けを」


「……なに?」


 そう言って男はなにかを手に取る。

 それは赤い木の実、なにかの果実であった。

 それをザッハークの方へと放り投げ、ザッハークはそれを手に取る。


「……これは?」


「生命の樹の実、といえばわかりますか」


 男のその声にザッハークは驚愕する。

 なぜなら、それはすべての勇者の頂点、大勇者となった者だけが得られる世界樹の実であったのだから。


 この世界には『創生スキル』と呼ばれる神が持つ力をスキルにしたものがある。

 その名の通り、何かを創造しあるいは変換するというまさに神が行う創造に匹敵するスキルだ。


 これを手にする方法は大きく分けて二つ。

 一つはこの生命の樹の実と呼ばれるものを手にし、食すること。

 この実を食すという方法にも二種類存在する。

 それが女神が定めた勇者ポイントを一定以上得た勇者が大勇者として認められた際、女神の使いにより女神のもとまで案内され、この生命の樹の実を与えられ食するという手段。

 我が弟ロスタムがそうであり、ロスタムが大勇者として認められた際、女神のもとへと案内され、これを食して創生スキルを得たという。


 もう一つの方法が、この世界のどこかに眠るとされる実を探し出し、それを食するという手段。

 だが、こちらも実質的には大勇者に匹敵する試練とも称されている。

 世界中を回り、実が眠っているとされる遺跡を踏破し、そこを守護する守護者を打ち倒し実を手にする。

 この方法により実を手にしたのが後の戦勇者アマネスであった。

 彼女はその旅の成果と、創生スキルの入手により即座に大勇者として認められたという。

 

 そして、創生スキルを手にするもう一つの手段。

 それは実を食することなく、自らの成長、進化によって創生スキルを得るという方法。

 本来、この創生スキルと呼ばれるものはその人物の進化が完了した際に与えられるスキルと言われる。

 だが、それを成した人物はひとりもいない。

 誰もがこの手段は伝承にのみ存在する幻とされていたが、そうではなかった。

 英雄勇者と呼ばれるフェリド。

 その人物はたったひとりでSSランクの魔物を倒し、その際に自ら創生スキルを手にしたという。


 だがいずれにしても私の実力では、そのどちらもかなわないと諦めていた。

 その諦めていたはずの創生スキルが宿った世界樹の実が今、目の前にあった。


「それを食せばあなたにも創生スキルが宿ります。まあ、先に結果だけを得るという方法にもなりますが、それも一つの手段でしょう。創生スキルを手にすればあなたが大勇者となれる可能性も高まります。あなたにとっても悪くないやり方でしょう」


「……目的はなんだ?」


「目的? これはこれはずいぶんと疑り深い人ですね。そんなものはありませんよ。まあ、しいて言えば……」


 その瞬間、男の細く閉じた目が開き、そこからはまるで蛇のような金色の瞳が見えた。


「あなた方のような人間がどのようにあがき、成長するのか、その人間賛歌が見たい。それだけです」


 言ってザッハークはまるで蛇に飲み込まれじわじわと消化されるような、そんな歪な感覚を男から感じた。


「貴様……一体、何者なんだ……?」


 ザッハークの問いかけに男は再び目を細め、静かに答えた。


「では、ここでは『蛇』とだけ言っておきます。帝国の第一帝位継承者ザッハーク様。あなたが描く人間賛歌をどうか僕に歌い上げさせてください」


 そう言って蛇と名乗った男の姿は消えた。

 あとにはザッハークの手に握りしめられた世界樹の実だけが残っていた。

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