第81話「帝王開戦」

 気づくとアタシはそこにいた。

 暗い闇の中、誰もいない空間。アタシ一人だけの世界。

 他には誰もいない。ただ一人ぼっち。

 そんな時、あいつはアタシの前に現れた。



「目が覚めたかね。獣人勇者リリィ」


「……帝王勇者ロスタムね」


 会うのはこれが初めてであったが、こいつについての噂はよく聞いていた。

 その噂にたがわぬ威圧感とカリスマを備えた男。一目見るだけでこいつがそうだと即座に理解出来た。


「オレのことを存じていたとは光栄だな。では獣人勇者よ。これからオレがお前に何をするかわかるかね?」


「アンタの創生能力は記憶と感情の作り替えだと聞いてるわ。それでアタシの記憶を改ざんして支配でもするつもり?」


 帝王勇者の噂については善悪含め様々なものが流れていた。

 その中でも一際、異質として伝えられているのが帝王が持つ相手の記憶と感情を支配する能力。

 一説にはその能力を使って自らの兄を傀儡として王位継承権すら奪い取ったとされている。

 それでも彼を非難するよりも従う者が多いのは、その大多数がすでに彼によって支配されている説と、“彼本人”のカリスマに惹かれた者の方が多いという説。

 どちらが真実であろうとも今の自分には関係がないと思うリリィであったが、そんな彼女を前にロスタムはおかしなものでも見るかのようにクツクツと笑っていた。


「なにがおかしいの?」


「いや、なに。先程君が自分の記憶を改ざんするつもりか、と聞いてね」


 それのなにがおかしいのかと再び問いただそうとした瞬間、ロスタムの口より不可解な言葉が飛び出す。


「君はすでに“自分の記憶が改ざんされた後”だという可能性には気づかないのかね?」


「……え?」


 何を言ってるんだ。この男は?

 それはそう思っても仕方がないほどにあまりに現実味から離れた言葉――だが。


「人はなぜ今ある記憶を真実だと思い込むのか。改ざんされたあとにどうしてそれが“改ざんされた後”だと気づくことが出来る? ならばその人物にとっての記憶の真実とは何を指すのだ? 改ざんされる前が真実だとしても改ざんされたあとに今の自分があるのなら、どちらが真実かなどもはや区別などつくまい。今の君がまさにそれだ」


「……なにを、言ってるの……アンタ……?」


「たとえばそうだな。君はなぜ勇者を目指した」


 それはあまりに唐突に、そしてこの場で聞く必要のない質問であったはずだが、その質問を問われた瞬間にリリィは自分の中にある違和感と向き合うこととなる。


「人は何かを目指そうとした時そのきっかけや動機、感情などが記憶として残っているはず。ならば君が勇者を目指そうと思った最初の記憶はなんだ? あるいは勇者となった際の記憶は? もっと言おう。君が“君を自覚した”のは一体いつからの記憶だ?」


 それはあまりにありえない可能性。いや、認めてはいけない可能性であった。

 もしも、それが事実だとするのなら、今ここにいる“自分というリリィ”の否定につながってしまう。


「もう一度言おう。“獣人勇者”リリィ」


 だが、その一言が引き金となり、リリィは“思い出していく”。


「君は“最初から”記憶の改ざんをされていたのだよ」







 それはあまりにありえない光景。いや、どこかで認めていたはずの可能性であった。

 そこにあったのはオレ達の仲間であったリリィが帝王勇者の隣に立ち、オレ達に刃を向ける姿であった。


「……まあ、このような可能性も想定はしていたが、まさかお前があっさりと記憶を改ざんされるとはな。私は悲しいぞ、リリィ」


 そう言ってかつて散々ラブコールをし、それを流されたアマネスが、どこか残念そうに呟くがそれに対するリリィの返答はあまりに冷酷であった。


「別に。アンタ達が知ってるアタシが偽物だったってだけよ」


「偽物? なに言ってんだよ! リリィ! お前はそいつに記憶を改ざんされてるんだ! 目を覚ませ! オレ達のことを思い出してくれよ!」


 そう言って叫ぶオレに対するリリィの返答は信じられない台詞であった。


「勘違いしてるのはアンタ達の方。これまでアンタ達と一緒にいたリリィの方が作られた偽物だったってだけよ。今ここにいるアタシが本物。それだけで十分よ」


 偽物? これまでのリリィが偽物だと? 何を言ってるんだ、リリィは?

 本当に記憶を改ざんされて、オレ達といた記憶を全て偽りだと思わされているのか?

 そう問いただすよりも早く、まさに獣の如き疾走を持ってこちらへ特攻するリリィに対し、即座に創生した剣でそれを迎え撃つアマネス。

 だが、両者の力関係は一目でも明らかであった。


「ぐっ……!」


「アマネス。確かにアンタの創生能力は対軍においては七大勇者の中でも比類ないでしょう。けれど、こんな狭い密室でここまで密着されての接近戦じゃ、もはやアンタの勝算は無いに等しいわ。アタシを懐に入れた時点でアンタの負けは確定よ」


 そう言った瞬間、即座にリリィの右足がアマネスの脇腹に入り、態勢を崩すアマネス。その頭蓋目掛けリリィの肘鉄が振り下ろされるが、それを瞬時に左手に持った武器を犠牲になんとか回避に成功するアマネス。

 リリィの言うとおり、接近戦における両者の戦力差はあまりに愕然としていた。

 こと接近戦においてリリィと並べ立てる勇者などこの世に存在するのかと思わせるほどに。


「さて、ではオレもそろそろ動くとしようか」


 言って、それまで不動のまま玉座に座っていた帝王勇者ロスタムが立ち上がる。

 たったそれだけの動作で、オレはこれまでに感じたことのないプレッシャーと危機感を感じた。

 分かってはいたことだが、そこから感じられるのは帝王としての威圧感だけではなく、歴戦の戦を自らの手で勝利しづけた覇王としての実力があった。


「安心しろ。これはいわば前座だ、ここで全力を出すような無粋はせぬ。が逆に言えば“この程度の前座”くらいは生き延びてもらわねば張り合いがない」


 自らの愛刀を手に薄ら笑いを浮かべながらこちらへとゆっくりと歩を進めるロスタム。

 やっぱり想像通り、こいつは気に入った獲物はあえて生かしておくタイプだったようだ。ありがたくねぇ……。

 しかし、実際これが前座とは帝王勇者の遊びとはシャレにならないとつくづく思う。

 すでにこちらの最強戦力であるアマネスはリリィを相手に手一杯。

 残るオレ達だけで七大勇者の一角であるこいつを相手にできるのかと冷や汗が頬を伝うが、そんなオレ達をかばうように誰かが前へと立ちはだかる


「フィティス?」


 フィティスはオレの声を無視するようにただ背を向けたまま一言を放った。


「キョウ様、皆さん。ここは私が食い止めます。その隙に皆さんは脱出してください。あの男の目的はどのみち、私でしょうから」


「は?」


 そんなフィティスの台詞にオレは一瞬呆気に取られた。


「いや、なに言ってんだよお前。ふざけんなよ……そんなことできるわけないだろう!!」


 そして気づくとフィティスの自らを犠牲とする発言に対し、オレは自分でも驚くほど感情的に叫んでいた。

 だが、そんなオレの叫び声を耳にしても変わらずフィティスは落ち着いた様子のまま返す。


「彼はこれは前座だと言いました。ならばここから逃げ延びるまでがそうなのでしょう。ですから、おそらく追っ手は来ません。要はここさえ凌げればいいのです。そして、それには私が適任というだけです。ご心配なく、彼が私を殺すことはありません。少なくとも彼は自分が気に入った者は殺さない主義ですから」


「そんな適材適所みたいな話してるんじゃねえよ、フィティス。オレはリリィを取り戻すためにここに来たんだぞ。目の前にリリィがいて、なのにお前まであいつに捕まったんじゃオレはなんのためにここに来たんだよ!!」


 理屈ではフィティスの言ってることは理解出来た。

 それでも感情がそれに追いつかない。それを受け入れることができなかった。

 そんなオレに対し、フィティスは初めて後ろを振り向きわずかに微笑んだ。


「キョウ様、私はずっとキョウ様といてひとつの疑問がありました。なぜキョウ様の育てた魔物は人を襲わないのか。なぜあんなに人に対して友好的なのかと」


 言ってオレの隣に立つジャックや、肩に乗ったドラちゃんを見る。


「そんなの……今、関係あるのかよ」


「あります。それはキョウ様の性質が影響していたのですね。キョウ様はよく助けないより助けた方がいいと言って仲間を見捨てたりしませんが、キョウ様は自分が思っている以上に仲間を、いえ“家族”を大事にしているのですよ。その想いがキョウ様の育てる魔物たちにも影響を与えていたのです」


 そのフィティスの言葉にオレは何かが思い当たるようであった。

 だが、いまはそれよりも早くフィティスの行動を止めるべく手を伸ばすが、それを見ながらフィティスが最後に寂しそうに微笑んだのを見た。


「私はそんな優しい心で魔物であろうと分け隔てなく接していたキョウ様に――心を奪われていたのですね」


 そうして呟いた次の瞬間、フィティスはオレの隣に立つヘルに向け叫んだ。


「――というわけであとはお任せします。ヘルさん。キョウ様をお願いします」


「……わかった」


 そのフィティスの言葉に頷くようにヘルが即座にオレの体を抱える。

 ちっこいはずのその体があえりないほどの力を持ち、暴れるオレを押さえつけオレはなにもできず妹の肩に乗せられて、目の前の光景に対して叫ぶしかできなかった。


「勘違いしないでくださいね、キョウ様。私は犠牲になったわけではありません。キョウ様がまた迎えに来てくれると信じているんです。だから、頼みましたよ」


「まあ、そういうことだな……不本意だがここは私たちが抑えるよとしようか。栽培勇者、あとで私の分までこいつを殴って目を覚まさせて置いてくれよ」


 そんなフィティスとアマネスの声がオレの耳に届いたような気がして、次の瞬間、会議室のあった場所から轟音と爆音、それに続く巨大な振動が城全体を包み、オレはヘル、ジャック達と共に城から抜け出し外で待機していたロックと合流し、この帝王勇者が支配するアルブルス帝国より避難することとなった。

 ヘルの肩に乗っている最中、オレはずっと自分の無力さに叫びを上げ続けていた。

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