後編:かつてのプロットにないトコなんでカナちゃんとゆっくりエッチして終わりませんっ!


             *   *   *


 ――それから数日後

 明日が日曜な土曜日の夜。

 青山家の二階の廊下で、

「翔太、ちょっと、こっち、私の部屋来てっ!」

 ん? なんだよといいつつ引っ張り込まれて姉の部屋へ。

「姉ちゃんなに?」

 雪菜は椅子に翔太を座らせ、自分も向かい合って座ってからこう切り出した、

「ふたつ! 翔太にお願いがあります!」

 威勢良くピースサインをしているようにしか見えない。

 しかも笑顔なのがちょっと怖い。

「お願いとは……」

「ひとつめは、明日、悪いんだけど一人で、カナちゃん家行ってくれないかな? 例のスープのお試食会なのだけど、私部活の招集が急に掛かっちゃって出なきゃなんなくて、りっちゃんにも頼んでみたのだけどあっちも忙しいらしくて、だから翔太だけで。ダメかな?」

 いちの指を作って姉としてはとても弱った表情でお願いされてしまった。

「ふーん、俺なんかが一人で、香奈さん家なんて行っても大丈夫なの? っていうか日曜日だしご両親も居るんじゃ」

「そうなんだよね、居るって。ちゃんと説明したこと無かったけどカナちゃん家ってかなりのお金持ちで、おと……パパとママ? も、かなりの人物らしいのよね。で、ホントだったら私と翔太と、りっちゃんも連れて皆でいらっしゃいって言ってくれたらしいのよ。だけどー急に私もりっちゃんも用事が入ってしまいまして~、断るに断り切れないじゃない。そこで翔太にお願いしてるってワケで」

「うーん、なるほどなぁ、まぁ断ったらそれも失礼にあたるだろうし、例のスープ作るんじゃそれなりに準備してくれてるわけだろ? うー、姉ちゃんの友達相手に弟がご両親も居るところにお邪魔するって言うのはなかなか微妙だし緊張感ありそうだけど、まぁ、いいや、行くよ」

 とりあえず悩んだ様子はアピールして起きつつも、向こうの手間を考えたらこの機会を逃すのも悪いと思い、

『そうだ、わたしが作ったら、そのとき翔太くんにお味見して貰っても良いかな? お味見っていうかちゃんと食べて欲しいんですけど』

 とお願いされてしまったときの事を思い返しつつ、快諾したのだった。

「やった! ほんとに! いいの!? 恥ずかしくない?」

「まぁ恥ずかしいけどさー、行かないわけにもなー、行くよー。あ、姉ちゃん簡単で良いから地図書いてよ、俺香奈さんの家知らないからさ」

 すると雪菜が机に手を伸ばして紙をひっつかんで座卓にぴらりと置く。

「書いておきましたっ! はいっ」

 なるほど手際が良いな。この調子だともう一個のお願いというのも回答有りきかと翔太は腹に据える。

「えらいメルヘンだな、この地図でたどり着けるか?」

 翔太にわかりやすく書いたつもりの雪菜の地図は気合いが入りすぎてかわいくなってしまっていた。雪菜は字も、まぁ18の女子高生なみなのだろうが丁寧に書いても可愛らしい字だし、イラストも可愛らしい、なぜか端っこにうさちゃんが描かれている。

「ごめん、下手かな。どう? わかりそう?」

 地図を書くなんて普段しないから微妙に気にしてはいるようだが、コンビニとファミレスと図書館とスーパー、銭湯に学校と、目立つ建造物の位置が描いてあればだいたいは見当が付いた。

「うん、だいたい解った。姉ちゃん、字かわいいな」

 頷いてぼそっとそういうと、

「よかった、え!? そ、そうかな」

 にこにことしている。

「いやー、まぁ受験もあるんだからちゃんとした字も書けないとって思って言ったんですけどー、まぁいいか」

「ああ、そうよね、でも姉弟で使うならこの字でもいいでしょ?」

 とんとんと地図をたたく姉の指は自信に満ちている。

「まぁね。とりあえず明日は緊張するだろうけど頑張ってきますよ」

「うん、おねがい。頼んだ!」

「頼まれた! その一! で、その二は?」

 花柄の便せんに書かれた地図をたたんで受け取って。

「そう、その2がですねぇ……」

 もっと言いにくいことなんだろうかと翔太は身構える。

「うーん、翔太、翔太さぁー私たち、私とりっちゃんとカナちゃんに、勉強おしえてくれないかしら?」

「へ?」

 変な声が出た。この姉から勉強の話が出ることが希なのでと言うのもあるが、自分が教えるというのもおかしいのではないか。

「だーかーらー、要するに受験勉強よ。あのね。私は全国が終わってからになるけど、りっちゃんとカナちゃんなんかはもう勉強しださないとならないんだけど、塾とか予備校とかって行くってなったら三人バラバラになっちゃうじゃない? 私たち結構学力の差もあるからさ……。まぁ、そこはちょっぴり私が脚引っ張ってるんだけど。高三でね、夏も近くなってきて皆どんどん勉強とか始めちゃうとせっかく最後の夏なのに皆それぞれで勉強しなくちゃならなくてさー」

「なるほどね、それで、姉ちゃんとしては脚引っ張ってる分のお返しも兼ねて、あと三人がバラバラに塾とかに通わなくても良いようにってことで引き合いに出されたのが俺って事か」

 翔太は整理しつつ頷く。

「そ、さすが物わかりが早い! そこで翔太に先生になっていただいて、一年の分から私たちの数学とか観てやって欲しいのよ」

 指を組んでお祈りでもするかのような格好でそう姉は言ってくるが、

「ふむむー、姉ちゃんが考えたにしちゃ珍しい案だな。母さんに頼もうとかは思わなかったわけ? 俺より母さんの方がそりゃぁ大学受験なら適任だしさ」

 考えつつ指摘する。

「それも考えたの、だけどお母さんに頼るのはね。私だけならまだしも、りっちゃんとカナちゃんも一緒にっていうのは難しいわよ。それに本物の大学の先生だもん、りっちゃんとカナちゃんが謝礼とか考え出すと悪いわ。うーん、学力的に足並みが揃ってりゃね、同じ塾に通うとかっていうのも有りだとも思ったんだけどね」

 珍しく姉にしては熟考した末に導き出した話ではあるようだ、が俺に務まるのかとも思いつつ翔太は自分の考えを示す。

「姉ちゃんもいつの間にかちゃんと受験生なんだな。っていうか一応真剣に考えてるんじゃん、んー、ま、それも良いんじゃね? やるよ。ここじゃ狭いだろうから図書館とかファミレスでになるけど」

 翔太は比較的あっさりとやると言った。

「え!!! いいの? 断られるかと、思ったんだけど」

 姉は珍しくしおらしい。

「まぁ、たぶん、言いにくそうにお願いしてくるくらいだから断られるんだと思ってたんだろうって解ったけど。それじゃぁ逆に断り辛いじゃん? いやいや、そんな難しく考えることでもなくさー、俺も校一部分の予習復習は夏休み中にしなくちゃと思ってたからさ、利害の一致ってやつ? やるよー」

 姉はぴょこんと席をたってわざわざ座卓を回り込んで翔太の横に座る。

「ほんとーにいいの?」

 なにやらかわいい訊き方して落とそうって腹だったのかと疑いたくもなるがもう結論はでたと思ってるしと、

「うん、まぁどこまで役に立つか解らないけどね、あと受験だからさ、俺の勉強のせいで落ちたとか、おかげで受かったとかは考えなくて良いよ? 俺にはそこまで責任持てないっていうのもあるし、自信ないし」

 一応念押しに言っておくが、雪菜は思ったことがあるらしく眼をちょっと見開いてからこくりと頷いた。

「そう、それも訊こうと思ってたんだった。先に答えられちゃった」

 ふと、雪菜が不安そうな顔をするんで、翔太は片腕を座卓について、姉の方を見遣って、

「まぁ、なるべく仲良し三人が長いこと一緒に居られるようにすればいいんでしょ? 出来る範囲でお手伝いしますよ」

 言い終わる頃にはこっぱずかしくなって視線を外してた。

「――ありがとう」

 そっと雪菜が優しく言ってくれたので少しぞくりとする。恥ずかしいのかこれは。

「ありがとー、しょうちゃん!」

 勢い、がばっと横っ腹に抱きついてきたのでおっととなってしまう。呼び方が小さかった頃の呼び方で、ははは、となる。

「ちょっと、姉ちゃん? そんなに嬉しいのかよ」

「だって、だって、私三人バラバラになるのやだったから」

 顔を横にされてるので頭しか見えないが、ちょっと涙声がかっている。受験生メンタルと言うやつか、いや単純に友達思いのスポ根姉か。

「わかった、わかった」

 またこないだのように、頭を撫でてやるとおとなしく撫でられている。

 肩まで届く位の髪を首筋まで何度か撫でたところで、

「んっ、くすぐったいよぅ、もう」

 といい顔を離した、近くで見る姉の顔は眼も赤いが頬も紅くなっていた。

「甘えん坊な姉ちゃんだな~、もっと撫でてやろうか?」

「いえ、結構。取り乱しました」

 慌てて取り繕って凜とした表情を作ってみせて服の袖を気にしているけど今にも笑ってしまいそうだった。

「ぷっ。姉ちゃんかわいいな!」

 実際ちょっと噴き出しつつ直球でそういうと、

「な、なによ! たまにはいいでしょ?」

 ともじもじしている。

 こんなに仲の良い姉弟もそうは居ないだろうなと翔太は思いつつ、雪菜も翔太とこんな関係でこのまま居られたら良いなと思っていた。

「姉ちゃんさ、その、抱きつくのは良いけど、もうちょっと自分がどうかとか考えた方がいいぞ?」

 ちょっと良い雰囲気にたまりかねた。

「どうかとか?」

 小首を傾げてはてなを頭に浮かべている。

「いやその、言いづらいんだけど、胸とか、あたるしさ」

 今度は翔太が真っ赤になっていう。

「ああ、えーっと、こういうときは、あててんのよ! って言えば良いんだっけ?」

 どこからの知識なのか。

「そういうんとちがくてさ、俺も男なんだし」

 とボソボソとしか返せない。

「え、そんな、私なんて、翔太が意識してくれる程良いカラダなんてしてないと思うんだけど……」

 といいつつ目線を下げて体のラインを見てしまう。筋肉質だし、確かに胸は最近出てきたのだけど、自慢できるほどではない、と思っていたのに。

「いや、18の女性ですよ! 仮にも! もう結婚だって出来るんだし、弟っつったって俺は男だし、その、柔らかいのとか弱いし」

 もどかしくなってしまうのは翔太の方だった。

 伝わったようで。

「仮にも! ってなによ。でも、わかりました。自重しますよ。それになんか、ありがとね、お姉ちゃんっていってもそう言ってみてもらえるのは女の子として嬉しいから」

 へへへ。と笑う姉の顔は甘える姉とちょっと違う女性の顔に見えた。

「はぁ、そんなかわいい顔ばっかされてると俺の心臓が持たないよ。胸に顔とかくっつけてきて、心臓の音とかダダ漏れなんじゃないかって焦るから!」

「翔太もドキドキしてたんだ。私もついつい勢いでやっちゃうけどドキドキしてた」

 悪びれないところがまた。

「父さんとか母さんとかがバンって入ってきたらしょんべんちびるね」

「あはは、そうかもね! あ、翔太、勉強会引き受けてくれるならもう一つ!」

 ひとしきり笑ったあとで、雪菜は思い出したように指を立てた。

「なに?」

「あのね、断られると思ってたから考えてもいなかったんだけど、りっちゃんとカナちゃんに相談したときにね、言われたんだけど、そりゃお母さんに頼むなら謝礼も必要になるよね? でも翔太に頼むとしてもタダってわけにもいかないでしょ? 翔太はなにかお勉強会のお礼として私たちが出せるもの、してあげられることでしてほしいもの? こと? ってあるかな」

「謝礼かー。そうだな、俺にとっちゃぁ、というかウチにとっちゃー、姉ちゃんが希望の大学に入れるってのは十分謝礼になってると思うんだけど」

「そうじゃなくて! 翔太自身で欲しいものだよー」

 うーむと向き合って考えてしまう。

「美人なお姉さん三人組に勉強教えるんだから、エッチなお礼とかもありなんすかね?」

 おそるおそる言ってみると。

「ふふふ、良いよって言ったらどうするのよ?」

 胸に手を当てて上目遣いでそんな言い方するにゃー!!

「いえ、ジョーダンデス。なしで。なしで。」

「えー、残念ー、ちょっと期待したのに……」

 100%期待してたような瞳で言われるとホントに恥ずかしいです。

「こほん。そうだな、でも現金とかが一番後腐れ無くて良いのかも知れないな、とかも思うんだけどそんなの悪いからいらないし。かといって、……うん。来年の三月に三人が希望の大学に入れた時点で、成功報酬で、ケーキでも奢ってくれりゃいいよ」

 もっともらしい無理難題をふっかけてもいいかと思ったが、そこまででもないし、現金は嫌だし。それに姉だけに関係する問題じゃないんだから妥協点としてはそんなところだった。

「ケーキ? そんなんでいいの?」

 鳩が豆鉄砲を食ったような顔してる。まぁ当たり前だが。

「うん、いいよ。でもとびっきり美味しいやつな。あ! そうだ!」

 なによ? と目線を上げる姉に、

「俺が頑張って勉強教えるんなら、姉ちゃんにも頑張って貰うってことで、そのケーキは手作りでお願いします」

 ぺこりと頭を下げた。

「えっ!? えええええー!! 手作り!? 私が!?」

「何も一人でって言うんじゃ無いよ、三人のお礼としてなんだから律子さんと香奈さんにも手伝って貰ってよ」

「そ、それなら出来るかも知れないけど期待しないでよね?」

 料理のセンスが絶望的に無いことは解ってるので弟の希望に応えられる自信は無い。けど、こう頼まれた以上、自分たちもお願いを聞いて貰うんだから頑張らない手は無い。

「えー、期待するよ-、それ楽しみで教えるんだから、な? いいだろ」

 翔太は良いこと思いついちゃったみたいな顔をしてにこにこしてる。

「いいよ。でもほんとに期待しないでよ? でも、まぁ、頑張ってみるから」

「うん、頼むよ姉ちゃん、俺も頑張るね」

「はぁ、7月の全国もだけど、受験と、お料理も頑張らないといけないのかー、なんだか急に花嫁修業みたいだー」

 辛辣なのではなく、姉も楽しそうに言うので二人で笑い合った。


             *   *   *


 ――翌朝。

「じゃ、翔太、任せたわよ! あ、勉強会の事も伝えといてね」

 といっても姉が部活に出る時間の前なので5時前なんだが。

「ふあぁ、はい、地図おっけー。りっちゃんさんには伝えないで良いの?」

「うん、部活が終わったらLINEで伝えとくよ。カナちゃんも心配してくれてたからね」

「りょうかいー、姉ちゃんも気をつけてな、行ってらっしゃい」

 のっそり起きてきた父が玄関をのぞき込んで、

「お、雪菜今朝はもう部活か、気をつけて行ってこいよ!」

「はーい! お父さんも仕事いってらっしゃい!」

 父はこの後7時くらいに出て行くようだ。

「いってきまーす!」

 元気に姉は出て行った。

 ふむ、顔をパンと両手ではたいて翔太は気合いを入れる。

「よし、俺も準備するか」

「あれ、翔太もどこかいくのか? 今日日曜だぞ」

「ああ、父さん、姉ちゃんのお遣いでねー、ちょっとそこまで」

「ふーん、まぁ翔太も気をつけてな」


 数時間後、姉の手製の地図を頼りに香奈の家の前に来た翔太はびっくりしていた。

 豪邸だ。

 といっても瀟洒な城とか、スネオハウスとか、そう言う類いでは無く、生け垣の綺麗な日本家屋の平屋で、入り口というか門が潜り戸になっている。

 そうか、香奈さんの落ち着いた感じはこういうことか。と独りごちて、覚悟を決めて引き戸から入り、頼もー! では無くて、玄関にはちゃんとインターホンがあった、よかった。

「すみません、お邪魔します、青山翔太です。」

『あ、翔太さん、もうそろそろかと思って待ってました。今行くね』

 インターホンの向こう側はどうやら香奈さんだったようで一安心。

 からからと玄関が開いて迎えてくれた香奈さんは、春めいた色の上着に白のスカートでまぁ見るからに良いとこのお嬢様にみえる。

「いらっしゃいませ」

 ませ、なところがまたすごい。

「あ、お邪魔します。今日姉がすみません、急な呼び出しとかで来られなくて」

「うん、りっちゃんもおうちの事情で来られなくなっちゃって、ちょっと失敗かなって思ったんだけど、でも、翔太さんが来てくれるならって思って!」

 あれ、いつもとイメージがちょっと違くてより明るいというか垢抜けてるような。

 自宅だからかな。

「さあどうぞ、あのね、スープ作ったんだけど、母と父も食べたいと言うから、ホントはりっちゃんとユキナにも振る舞うつもりだったんだけど、一緒に食べていただけるかな?」

 玄関から上がりかけ、そういえばご両親も今日はいらっしゃると言っていたなと思い出しつつ、つっかけを玄関から上がるのに揃える仕草すらなんか日本の女性って感じですごい綺麗に見える。

「ええ、そのつもりで、来ましたから! ご両親、に会うのはちょっと緊張しますけどね」

「ふふ、そうよね、知らない人の家の両親といきなり食事なんて言われてもね」

 廊下が長い! すたすたと歩いて行くカナさんについて行くと角で女性と出くわした。が、お母さんにしては年齢が違うような?

「あら、お嬢様、お友達ですか? いらっしゃいませ」

「ええ、ばあや。こちらお世話になってる青山翔太さん。翔太さん、こちらは……」

「……この家で長らくハウスキーパー、要は家政婦さんね。をやっております山村と申します。よろしくお願いしますね、なるほど、それで今日のお昼はお嬢様がお作りになるんですね?」

 今ばあやって、家政婦って言った!? マジもの初めて見た……しかもばあやって言ったけどどう見てもまだ4,50代だしばあやでは無いぞ。

「あ、お邪魔してます、青山です、まさか家政婦さんが居るなんて! 家もすごいし、なんか場違いなとこきちゃったかな」

 声に出てる。

「ふふ、翔太さんそんなに緊張しないで。うん、ばあや、わたしがお昼はつくるよ。ばあやも一緒に食べてね」

「それは楽しみね。期待して待ってます。青山様もごゆっくりしてらしてくださいね」

 声のトーンは明るめだし見た目も明るめだし、おばさんと言っては失礼に当たるんじゃ無いか、というか服装がメイド服とかじゃ無くて和装だからなんとも判断に難しい。

 山村さんは忙しいらしく廊下をすたすたと通り過ぎてしまった。

「あ、あの香奈さん?!」

「びっくりした?」

「ええ、とっても」

「それじゃあ、あそこの部屋を入って父と母を見たらもっとびっくりしちゃうかも」

 ええ!! と翔太は縮こまるが縮こまれる場所は無く、

 居間と思われる部屋の襖を香奈が開けると、

 大きなフローリングの居間に黒い檜かなんかの立派な机があって、そこで翔太を待ち構えてくれていたかのように、香奈の父と母らしき人が立っている。

「やあ、いらっしゃい。君が青山君だね。僕が香奈の父だよ。香奈が急に男の子の友達が来るなんて言うから僕たちも焦ってね、まぁゆっくりお昼でも食べて、いろいろお話ししようよ」

 めがねの痩身の男性が父さんなようだ、服装は普通だがオーラが育ちが良い感じだ。先に声を掛けられると思ってなかったので余計驚いた。声はフランクな感じだし相当若そうだし、一人称も僕だし。威圧的では無いが、急に男の子の~ってことはいろいろ伏線が敷かれている可能性が。

「お邪魔してます! 青山翔太ですっ! 姉がいつもカナさんのお世話になっております!」

 と深々とお辞儀した。

「まぁま、お父さんが変なこと言うから、でしょ? 緊張しちゃうわよね」

 頭を上げるとカナの父の横に居た女性が口を開く、家政婦の山村さんと同じく和装だが若く口紅が紅い。何というか芸者さんみたいだ。

「いらっしゃい青山さん。私がカナのママよ。なんか不思議な家でしょ。ここって。パパの趣味が半分と、これはぜーんぶおじいさんの財産なのよ。一人娘だからネコっかわいがりしててね、男の子のお友達が来るってなったらパパってば大慌てで。カナからよーく雪菜さんのことは伺ってるわ~、その弟さんですもんね。しっかりしてそう! パパってばそんな威嚇するような顔、できもしないのにしないの」

 ちょんちょんとカナの父をつついて座らせる、なるほどお母さんがこの家は偉大なようだ。隣を見るとカナさんはこのやりとりに赤くなってる。

「もう。パ、じゃなかった、お父さんもお母さんも! お客さん来たくらいでそんな慌てないでよ」

「だってあなた、男の子のお友達なんて家に呼んだことないじゃないのね?」

「お母さんってば!」

 なるほどなるほどこういう家かとだいたい理解した。

 そんなにピリピリムードではなさそうなので一安心だ。

「さ、こちらに座って下さいな、あら、ばあや~。そろそろお昼になりますよー」

 香奈のお母さんはホントの日本美人って感じだが優しそうな雰囲気なので助かる。

 おずおずと席に着く、机が広いので斜め向かいといってもだいぶ離れたところに香奈のお父さんも座る。

「あ、わたしお茶出すね! お昼の準備もするけど! 実はね、もうほとんどスープ完成してるの、あとは最後の一手間だけです。今日は、翔太さんも、お父さんもお母さんも、ばあやもお客さんなんだから、わたしに任せて座って待っててね」

 と綺麗に畳まれていたエプロンに袖を通しながら香奈が胸を張って言う。

 香奈さんの胸はどうみても姉のそれより大きいようにみえる。

 あ、そういえば今日は翔太くん、じゃなくて翔太さんって呼んでくれているな。両親の手前といえ照れるな。香奈はひらりと一回りしてから奥手にある立派なオープンキッチンの方へ、皆のお茶を用意しにいってくれた。

「はいはい、カナちゃん任せたわよ。楽しみだわー、カナが自分から皆にお昼振る舞いたいだなんて言ったの何時ぶりかしらね、あなた」

「そうだね、昔、小学生の頃はよくばあやと作ってくれたような気がするけど、最近は無かったからな。僕も嬉しいよ。聞けば今日のレシピは青山君が教えてくれたそうじゃないか、君も料理するのかい?」

 自然な流れで話が回ってくるのは緊張しなくて済むかも知れないチャンスなので回答はしっかり返そうと意識する。

「は、はい、うちは姉と俺の二人姉弟なんですけど、姉は料理とか苦手で、俺の方が料理好きなんで。今回のスープのレシピはうちの秘伝というか、とっときのときに作るレシピで、俺も母から聞いて作ってみて、それでカナさんに教えたんですよ」

「ほう、大事なとき用のレシピなんて教えてしまって大丈夫なのかい? 母さん、うちにはそういうのってあったっけ?」

「ないわねー、うちはばあやに任せっきりっていうのもあるけどね。あ。あたしも料理するわよ? でもちょっとだけね」

 すこし悪びれた顔でにこりと笑う笑顔が香奈さんに似ていると思った。

「でも、奥様は和食が得意じゃ無いですか~」

 すたすたと、山村さんが入ってきて一連の流れのように席に着く。

 席に着く前に、ゲストである翔太に目礼することも忘れない。相当できる家政婦さんなんだろうと思う。

「あらやだ、ばあやにそう言ってもらえると嬉しいわ!」

 パッと顔を明るくして香奈の母がわらう。

「ばあや、今日はカナが全部お昼はやってくれるそうだよ、僕たちはお客さんだそうだ」

「あら、それは嬉しい。お嬢様は奥様よりお料理はお上手なんですよ」

 とちょっと手で口を覆って翔太にわかるように言ってくれる。だだ聞こえだろうが香奈の母もうんうんと頷いている。

「お母さんは料理がちょっと苦手なだけよねー、日舞には必要ないしねー、はいお待たせいたしました、粗茶ですが」

 来客用なんだろう綺麗な湯飲み茶碗で翔太の前にお茶を配ってくれる。

 残りの三人にも、同様に。

 茶道教室のようなしとやかな仕草で配る香奈と、日舞をやっているらしい和装の母、それにスーパー家政婦なんだろう山村さん、翔太はどうやら和の豪邸に居ると言うことを再認識した。

「ありがとうございます。いただきます」

「お嬢様、ありがとうございます~」

 語尾を伸ばす感じも含めて山村さんはやはりばあやという感じではないのだが。

「カナありがとね。お昼も頑張ってね! ママ応援してる!」

「任せといて! もうすぐ準備できるからーゆっくりお茶でも飲んでてね」

 この和の環境の中においては普通の女子じみて香奈が見えるが。実際はかなりの気配りの人だし、ふむーこういう環境で育てばそうなるのかーと思う。

「お、茶柱じゃないか。今日は父さんついてるらしいぞ」

 と香奈の父がいう。

「あら、アナタすごいじゃない、青山さんが来たとたんにこうなんだからいいことありそうね!」

 ぱしんと香奈の父の肩をたたく香奈の母も十分若いし、なんか面白い家だ。

 お茶をそっと一口だけ飲むと、味わったことの無いような特別な日本茶だったようで翔太は少し驚いた。

「これ、おいしい」

「あら、青山様はこのお茶のお味もお解りになりますか。なかなかのお方ですねー」

 にこにこと山村さんにいわれる。

「あら、ばあやったら、たいしたもんじゃないのよこれ。でもありがとう」

 やはり住む次元が既に違っているのか。

「カナまだかなー。父さん楽しみになってきたぞ!」

 次第にうきうきしだす香奈パパ、翔太もすこしウキウキしたいんだけど、雰囲気に押されてしまい今は無理そうだ。

「そういえば、青山君、君のお姉さんにカナがかなりいつもお世話になってるようだね」

「そんなことないですよ」

 謙遜したわけでもないが。

「いやいや、最近、高三になってからかな、あの子みるみる変わってきててね。君のお姉さんの影響らしいんだが、今までは本とかしか読まない地味な子供だったんだが、お料理まで作りたいなんて言い出して、しかも男の子の友達まで連れてくるなんてね。父親としてはとても嬉しいんだよ。お姉さんにありがとうとお伝え下さい」

 そういえば元はおとなしめなキャラだったらしい話は姉からもちらっと聞いたような。何時もの三人組で居て変わってきたってことかな、でも普通にしてても相当綺麗だし美人だしお嬢様属性だしすごいような……

「はい、伝えておきますね」

 空気的には本日はお招きいただき光栄至極に存じますとかなんとかも言うべきなんだろうか、なんか舌噛みそうな台詞になりそうだしなかなか言い辛いが。

「私からもお願いしますね青山さん。カナーまだー?」

 このお母さんの明るい雰囲気で間がもつのはいいかな。

 台所の奥から顔を覗かせて、

「もーちょっと、今よそってるからまっててね」

 ふふふと笑顔で香奈が応える。相当この料理も楽しんでいるようだ。

「ほーんと、あの子明るくなったわ、それに美人にもなった、ママちょっとだけ心配」

「奥様、なにをおっしゃいますか、あなた様の娘なんだからそりゃお美しくなられると私はずーっと思ってましたよ?」

「もうばあやはいつもそうねー」

「ようやっと開花する年頃なんですよ、女の18歳は」

 しみじみ言ってる山村さんにはいろいろな思いがあるようだが、なるほど深いですね。

「開花するかぁ、男性と仲良くすることも大事なんだろうなぁ。父さんはちょっとだけ寂しい気もするけど、青山君、あの子と仲良くしてやってくれよ」

 お父さんに言われてしまうと逆にすごい緊張する話だけど。

「はい」

 するとタイミング良く配膳カート、所謂豪邸にありそうなの、にのってスープ鍋と綺麗に盛り付けられた豪華な食事を香奈が運んできた。

「はい、お父さん余計な話はそこまでよ。お待たせしました」

 メイドよろしく食卓まで運んできてくれて、言わなくとも食器を並べてセッティングするのは山村さんが手伝い、香奈は上機嫌で席に着く。

 あ、もしかしてこの家キリスト教とかでは、と翔太はちょっと構える。

「はい、お待たせしました。どうぞお召し上がり下さい」

 そうではなかったようだ、一安心。

 口火を切ったのは父でいただきまーすと子供のように喜んで並んだ色とりどりの皿と、中央の器に注がれたスープを見てよろこんで言う。

「いただきます」

 翔太もちゃんと聞こえるように、を意識して言った。

 とりあえず、件のスープをすくって飲んでみる。

 その様子をドキドキしながら香奈は見ていた。

「翔太さん、どうですか?」

 その瞳は期待に満ちている。

「うん、すごく美味しいです。うちのより美味しいかも!」

 正直に言った。うちのより手間が掛かっているから~、ではなく単純に味も美味しかった。なぜだろうか引き合いに出されたのは自分がデモでつくったやつでは無くて、姉の競技会の時に姉と香奈と律子も居る中で食べた方の味だったが。それと比較しても数段上を行っていた。これはもしかして材料が良いのかも知れないと見当をつける。

「もしかして、うちのよりぜんぜん良い材料なのかな。あと味付けもすごいいいです」

 塩加減も旨みもとても美味しい。

「よかったー、そう言ってもらえると嬉しいですっ。はぁ、実はすごい今緊張してました。翔太さんが美味しいって言ってくれるかなってずっと考えてたから!」

 ピクリと香奈の父が反応したように見えたのは視界の中にばっちり入ってましたすみません! 娘さんにそんなこといわせて。

「カナ、これすごい美味しいわ。今度から定期的に作ってね。ほら、アナタはどう?」

 すかさず母がフォローを入れる。

「うーん。料理屋でもこんな味はなかなか出ないだろうなぁ。カナ、料理すごい上手になってたんだね。美味しいよ」

 見た目は細めだが、この家とその暮らしでは実際舌がかなり肥えてそうに思える香奈の父からの太鼓判は香奈もさすがに嬉しいようだ。

「ありがとう、ママ、パパ! ね、ばあやはどう?」

 あ、さっきまで地が出ないようにお母さんとお父さんって言ってたのに、まぁこっちのほうがかわいいからいっか。

 出来る家政婦であろう山村さんは敢えて香奈の父と母が一口づつ手をつけるのを待って、香奈が話しかけてくるのを待ってから食事を口にした。

 なるほど家政婦さんってすごいと翔太は眼を丸めた。

「素晴らしいお味です」

 山村さんもにっこりと微笑み、香奈はすごく嬉しそうだ。

「ありがとう、ばあや! 何時もお世話になってるから今日はいっぱい食べてね」

「はい、いただきます」

 すごい良い雰囲気。

 ちょっと家族の輪からは浮いちゃうんじゃないかとは思っていたが、わいわいと明るい食事の時間はすぐに過ぎてしまった。

 ちなみにスープだけじゃ無くて、一緒に出された肉料理も、チキンライスも、サラダもすごい美味しかった。

 これだけ美味しいとスープをおかわりしたくなってしまうがここは我慢して、家族の皆さんと食事のペースを合わせだいたい終わりが合うように計り。

「ごちそうさまでした」

 と、一息ついたところで香奈の父が言ったのに合わせ、翔太も、

「ごちそうさまでしたー!」と言った。

 さて、と席を立つ山村さん、後片付けはお任せ下さいねとばかりにさささと食器を回収して、机上を綺麗にしてしまう。

「ばあや、今日はわたしが」

「いえいえ、お嬢様にはこれだけ美味しい食事を作っていただいたのですから後片付けくらいはやらせて下さいな、お友達とごゆっくりお過ごし下さい」

 そういえば、食べることに集中してたから気付かなかったが、香奈さんとは今日はあんまり喋ってなかった。ごゆっくりなんて出来る状態ではなかったから仕方ないけど。

「そうねー、お父さん、お母さん二人も綺麗に残さず食べてくれてありがとう」

「こんなことならもっといつもカナにご飯作るのをお願いしたいくらいだよ。僕は感動したね」

「あら、パパってば、でもホント美味しかったわ、カナありがとう」

 家族同士でもこんなに感謝し合える仲とかいいなぁと思ってしまう。

「翔太さん、父と母が居るところじゃ落ち着かないでしょ? 少し、わたしの部屋でお話でもしましょ?」

 ドキリと心臓が鳴ったのは気のせいでは無いはずだ。確かにここでは『香奈さんの友達』という設定になっているんだろうが実際は『香奈さんの友達の弟』に過ぎない。ご両親の前で居づらいのを察してくれての提案とは言え、女の子の部屋で二人でというのは間が持つとは、しかし、断る手はない。

「いいんですか?」

 大丈夫なんですか、そんなこと言ってと言いそうになってしまった。

「うん、お片付けはばあやが張り切ってるし、お父さんの前にずっと居るのも疲れるでしょ?」

「そうよね、そうしてらっしゃい。後でコーヒーでもばあやに持って行って貰うわ、青山さん、ゆっくりしてって下さいね」

 香奈の母が後押ししてくれる。

「は、はあ」

 香奈の父はと言うと少しだけ憮然とした表情をしているようにも見えるが、

「まぁ、堅苦しいことは僕も苦手なんだ、香奈の料理の余韻にでも浸っていよう」

 言外に許可してくれてるらしい。この人はきっと真面目で不器用なのかも。

「それじゃ、お言葉に甘えて、すみません」

 一応というか、ちゃんと、ご両親にお辞儀した。

「翔太さんてば。……こちらへどうぞ~」

 香奈が促し、翔太は居間を退出し香奈の部屋へ、

「ごめんね、緊張したでしょ?」

 父と母に声が聞こえない程度廊下を移動したところで声を掛けてくれた。

「いえ、食べることに集中してたんであんまり、というか作法とかにむしろ緊張しちゃったかも知れません、だって皆さんすごいんですもん」

 正直に言うと、香奈はふふふと笑って。

「そっか、そんなの気にしないでくれて良いのに、でもありがとうね、翔太くんが美味しいって言ってくれたのは一番嬉しかったよ。だってお料理のお師匠様だもん」

「そんな、師匠だなんて、レシピ書いてノート渡しただけですよ? あれだけであそこまですごい料理を作れるのはカナさんの才能ですよー。すごいなぁ、ウチの姉ちゃんにも爪の垢煎じて飲ませたいと思いました」

「はは、ユキナが聞いたら怒るよう」

 と喋ってる間に、居間とか玄関のあった建物とは平屋の廊下で繋がってはいるが離れのようになっている部屋の前に来ていた、ここが香奈さんの部屋か。

「どうぞ~」

 ドアを開けると思いっきり女の子の部屋で、姉の部屋よりより女の子っぽい。そういえば一人っ子らしいからそれも影響してるのだろうか。

「お邪魔、します」

 こんな部屋に男の俺が入っていいのだろうか。

「カナさん、この部屋に今まで男の友達とかって入れたことあるんですか?」

 あまりにも気になったので聞いてみる。部屋に香奈が先に入って振り返り、

「んー、そういえば無いかも。女の子の友達は来てくれたことあるんだけどね~、ああ、恥ずかしいかな?」

 翔太はぶんぶんと顔を横に振ってから。

「いえ、そういうわけじゃ無くて、その、いいんですか? 男が入っても」

 特に香奈からは男性嫌いというような空気はしないが念は押しておきたい、というか確認しておかないと不安である。

「ああ、なるほど、ありがとう。大丈夫ですよ。翔太くんはお姉さんが居るからそういうとこ気が利くのね~」

 招かれたので部屋に入り、見回してしまうが、白の壁紙に日本庭園が見える大きな窓には花柄レースのカーテン。白い勉強机に、ピンクのシーツの天蓋付きのベッドと完璧な女子の部屋に息を呑む。

「どうぞ~」

 部屋の中央には白い4人掛けの丸机と白い4脚の椅子がありそこに掛ける。

 翔太と雪菜の部屋はともに6畳くらいだが、この部屋は倍の12畳くらいはありそうだ、白い扉のクローゼットとおぼしきものまである。着替え、と一瞬頭によぎったのでそちらは見ないよう目線を外した。

「すごい部屋ですね、姉ちゃんとか来たら超喜びそうな気がします。そういえば姉ちゃんとか律子さんって、カナさんの家に遊びに来た事ってあるんですか?」

 翔太の反対側に、キッチンから大切に持ってきていたノートを机においてカナが座る。

「そういえば、まだユキナは呼んだこと無いんだった! りっちゃんとは昔っからの幼なじみだからあるよー」

 姉より先に来てしまったのか。やったー! というところかここは。

「なるほど~。あ、そのノート、まだ一週間とちょっと位しか経ってないのにだいぶ読んでくれたんですね」

 すこしくたびれた様子のノートを見て翔太がいうと香奈は照れ笑いを隠さず、

「お預かりした日から毎日読んでたんです。わたし、お料理って大好きで。今日のこと考えてたら、夜も読んでしまって、絶対失敗しないぞって。ホントはユキナとりっちゃんにも食べて欲しかったんだけどなぁ」

 そんなに読んでくれたんだと思うと翔太は恥ずかしい。

「今日はホント姉ちゃん来られなくてすみません、部活なんかすっぽかしてこっち来た方がよかったのに、アイツ損な方取りましたよね」

「ふふ、ありがと。でもでも、本命は翔太くんだったから、食べて美味しいって言ってくれてすごい嬉しかったの」

 ノートの表紙に優しく触れてから顔を上げて笑顔で笑いかける香奈の顔はなんというかとても素敵で。

「こちらこそありがとうございます、そんなノートでしか説明してないのにあそこまでのものを作って下さって~ありがと、なんて言われると照れますよ」

 片手を大げさに顔の前で振ったのは紅い顔を香奈に見られるのが恥ずかしいのもあった。

「あ、そうだ、これ見て下さい」

 ふとノートを手に取りパラパラとスープの作り方を翔太が凝ってイラスト入りで書いた手順書になっているところを香奈が広げると、びっしりと色とりどりの付箋が貼られていた。

「実は今日の前に3回くらいかな、ばあやに特訓して貰ったんです! 覚えきれないことも多かったからこうやって書いておいて~、気付いたらこんなになっちゃったんですけどね、でも教科書が良かったからうまくいったんですよー、翔太くんすごいなぁ」

「わー、カナさんがコレ全部? 今日のためとはいえここまで、……すごいっすね。俺もノート書いた甲斐がありました」

 なんか嬉しかった。と言うか嬉しい。

「なんか、すごい嬉しいです!」

 声に出てしまった、

「ふふふ、わたしもうれしいです」

 にこにことお互いにしてしまう、女性の部屋に男一人でなんて最初は高難易度に思えたが、香奈さんと話していると自然と肩の力は抜けるからいい。

 あれ、もしかしてこれって男女の間での良い雰囲気って言うやつなんじゃ。

 と思うと急激に顔が熱くなってくるのを感じた。

「翔太くん、今日ほんとありがとね。わたし、父にーううんパパに男友達ってどう思われるのかなってすこし怖かったんだけど、そこのところもうまくいって良かったなって」

 ぱたりとノートを閉じて香奈は気になっていたことを告げた、

「ああ、さっきも言ってましたけど、ご両親なかなか変わった方でしたね~。個性の塊というか。うちの親みたいに凡人一号二号って言うのとはやっぱこういう家柄だと違いますよね。カナさんのお父さん、俺も最初怖いかなって思ってたんですけど、話してみたらそうでも無かったので良かったです。でも、実はというか、バレバレだと思いますけどめっちゃ緊張しましたけどね」

 大げさに笑って香奈に悪くないよう答えた。確かに香奈パパはユニークだった。

 香奈ママのヘルプがないとやばかったかも知れない。

「そういうところもありがとう。男の子って言うだけでパパすごい気にしちゃってたからね~、まぁわたしも18だしそろそろ、そんなの気にしないでいいようにならないといけないんだけども。うちはママがね、優しいの、パパも甘やかすからああなのよきっと」

 そうなんだろうなーと思ってました。

「でもいいですねー、あんな美人なお母さんになら幾らでも甘やかされてみたいです」

 本音を言ったつもりだったが、

「あら、翔太くんはママみたいな女が好みだったか、それはちょっと意外かも」

 とひっそり声で香奈がいう。

 じょうだんよ、という顔もしてくれている。

「はは、でも、カナさんお母さんに似てますよね。顔もだけど、性格も、あと、やさしいところも」

 あと、と継ぎ足したところで眼を丸くする。

「そう? わたしママに似てるかな~?」

 自分ではそうは思って居ないけど似てると言われると嬉しい人、なようだ。

「え、すごい似てますよ。カナさんも和服とかめっちゃ似合いそうですし」

「ほんとかな?! ありがとう。わたし、ママみたいに綺麗になりたいから、少し目標に届いてたと言われるだけですごい嬉しいな~」

 ほんと女の子だなと思う。

 誰かさんとは大違いだなと思う。


 雪菜は部活のミーティング中だったが壮大なクシャミをした。

『むむっ、翔太とカナちゃんうまくやってるのかしら。っていうかもうやっちゃってるのかしら』


 ――コンコンと部屋のドアがノックされる。

「はあい」と香奈が返事すると。

「お嬢様、私です、食後の珈琲お持ち致しました」

 香奈はドアから遠い方の椅子に座っていたのですくと立ち上がり、翔太の横を過ぎてドアを開ける。山村さんだった。

 ぺこりと頭を下げてコーヒーカップ二つと、お砂糖とミルク、それにちょっとしたお菓子が載ったお盆を持ってきてくれた。

「青山様もごゆっくり」

「わ、ありがとうございます、わざわざすみません」

「お父様は大してご心配してらっしゃらないようなのでどうか仲良くされていって下さいね?」

 にこり、何か深い意味が隠されていそうな台詞を残して山村さんは去って行った。

 仲良く……仲良く……。

「もう、ばあやってば早とちり」

 香奈がパタンとドアを閉めて、くるりと振り向きちょっとだけ悪びれた顔をして、

「わたし達は、『まだ』そういうことにはならないよね?」

 まだを強調して言われると反応に困りますが、翔太はドアの方を向いてた顔を正面に戻してははは、そうですよね。と答えた。顔を逸らしたのだが、照れ隠しなのがバレバレだろうなー。

 香奈は翔太の横をまた通り過ぎて正面に回り席に着く。

「はい、翔太くん、どうぞ」

 カップを差し出してくれる、カップとお皿のデザインさえ美しく、来客用なのだとわかる。

「あ、お砂糖とミルクは使う?」

「はい、いただきます」

 香奈さんが入れてくれそうな感じだったので慌てて自分で、と、取って入れる。

 まぁ、かっこつけたかったらここはブラックでとか言うべきだったかも知れないが、良い珈琲だろうから苦そうなので先回りで対策をしておこうと思ったのだ。

 翔太は一応苦いのは苦手である。

 角砂糖二つとミルクを少し入れ、お砂糖とミルクを香奈に返す。

「ありがとうございました、カナさんどうぞ」

 ティースプーンでくるくるとかき混ぜる。

「翔太くん、お砂糖二つで大丈夫なんだ、わたしね、苦いの大の苦手で、珈琲とかあまあまじゃないとダメなの。だからお砂糖も五つくらいかな」

 とととと入れつつミルクもいっぱい注いで入念にかき混ぜている。

「いや、俺も苦いのはダメなんですけど、なんか、たぶん、良い珈琲なんでしょうしその味がなくなっちゃうくらい甘くするのも悪いななんて……」

 と言いつつ一口飲んでみる。酸味はないので助かったが、やはりお砂糖二つではちょっと苦かったが、

「やっぱり、良い珈琲ですね! 美味しい」

 未だ入念に砂糖を溶かしている香奈は、

「翔太くん、珈琲の味も解るんだ。ばあやの淹れてくれるのはちょっと特別な時はすごい美味しいの。ばあやに伝えたらきっと喜ぶわ」

 香奈は最後に息をふーっと掛けてから一口含んだ。

「わたしはこのくらいでちょうど良いかな。美味しい」

 部屋に珈琲の香りが広がって、カナの部屋のすこし甘かった香りが遠のく。

「それにしても、家政婦さんが居るのもすごいですよね」

「あ、そか、皆してばあやなんて呼ぶから気になってるでしょう?」 

「よくあるストーリーとしちゃ、先代から代々家に仕えている家政婦家系の人だから習慣でばあやと呼んでいるとかですかね」

「! 鋭い! 当たり」

「でも、ばあやって言うには若すぎるんじゃ……俺ばあやって呼べなそうだし」

「ふふ、そうだよね、でも、山村さんって呼ぼうとすると怒るのよ? パパと何かあるんじゃーなんて噂されたくないんですって。ママは全然気にしてないんだけどね」

 なるほどそれでかーと合点がいった。

「山村さんもお綺麗ですもんね~。この家に男性がカナさんのパパさんだけなのかー、そりゃ噂の一つも立ちそうだー」

「もう翔太くんまで。そんなだからさらに女の子のわたしに過保護になっちゃって困るのよねー」

 なんかオープンに家庭内の事情まで喋ってくれる香奈はすごいお話自体が楽しそうで良い感じだなと思ってしまう。先ほど一瞬感じた男女の間での良い雰囲気というよりは親友とかに近いポジションでのお話が出来ているのかな。

「大事な一人娘ならそうもなりますよ~。ウチなんか姉弟なのに父さんは姉ちゃんには超甘いっすからねー」

「そうなんだー、でも雪菜はパパよりも翔太くんの方が好きそうよね?」

 ちょっぴり意地悪な顔つきで指摘されてはっとしてしまう。そうだろうか、とちらりと考えつつ、香奈の意地悪な顔つきがかなりかわいいのでドキドキしてしまう。

「そうなのかなー、至らぬ姉ですからねぇ、何時もカナさんと律子さんにも迷惑掛けてそうですみません」

 珈琲を少し飲んでから、

「そんなことないない、翔太くんはそう思うかも知れないけど、ユキナは女子からも人気あるし、わたしと仲良くしてくれるし、すごいいい子なんだよー」

「ははは、ならいいですけど」

「私ね、結構三年に上がる前までは地味っ子だったんだ、まぁ今でもそんなに変わったとは思えないんだけど――」

 すらりと長い髪で、長い睫に綺麗な瞳に、細い鼻筋。スポーツマン的女の子なタイプの姉とは違い、本物のお嬢様、って感じの正当派美少女なのでとてもじゃないけど地味には見えない……。

「――だけど、三年になってユキナが友達になってくれたら、一気に他の子とも仲良くなれて、りっちゃんとは元から仲良かったんだけど、三人でいろいろするようになって、楽しくて。それでね、ユキナってば仲良くなったら翔太くんの話ばっかりで。姉弟って素敵だなーってわたしすっかり思ってしまって」

 あいつめ! ここは感謝するところか。外で何を言われているんだろうか。

「素敵なんてそんな~、でもありがとうございます姉のこと、そう言ってもらえると。でもカナさん全然地味とかそんなこと無いですよ、すごいその、女の子らしくてかわいいし、綺麗だし」

 と口からでてから恥ずかしくなってしまった、姉ちゃんと違ってとつけるかつけないかは正直迷ったんだがここはつけない方が正解だろと自分に言い聞かせてた。

 カタンとカップを香奈が置いてちょっとびっくりした表情をされてしまった。

 ほらいきなりこんなこと言うからだ。

「ああ、その、すいません。なに勢いで恥ずかしいこといってんだろ俺。ははは~」

 頭を掻いてごまかそうとしてみるが、香奈の方は、カップを音を立てて置いてしまった時こそ眼を丸くしていたが、照れる翔太をみてそれが伝染したかのようにすこし紅くなっている。

「……そんなこと言わないで下さい」

 恥ずかしそうな声音は二言前に放った言葉についてだろうか、と一瞬考え肝が冷える。

「あの、わたし、男の子、ううん、パパ以外の男性に、かわいいとか、綺麗とか、言われたこと無くて――」

 そうでなかったようで安心するが香奈は顔が真っ赤だ。袖から見える腕までほんのり紅くなっているように見える。

 ここでうまいことフォローしておけばイケメンポイント加算だ! と意気込んで翔太はあんまり女子に対して使ったこと無い頭をフル回転させる。もし姉ちゃんにだったらどう言おう。

「あの、カナさん、その、俺はマジでそう思います。カナさんのこと素敵な女性だって。そんなに恥ずかしがらないで」

 ちょっと語尾が震えた。しかたない。

「もう、翔太くん、いいすぎですよ、お姉さんをからかわないで下さいっ」

 目線が合う。いっぱいいっぱい恥ずかしいのを我慢してそれでも笑って返してくれたようだ。

「むぅ、確かに言い過ぎました。でも俺ほんとにそう思いますよ」

 ……そんなこと言われたらわたし、翔太くんのことが好きになっちゃう。

 でも、この気持ちは今気付いた気持ちじゃない。あの女の子を助けてあげてる優しい彼を見たときから心に仕舞っておいた感情だった。でもまだ、焦らなくていいかな。自分に言い聞かせる。ユキナとりっちゃんだったらもう勢いで押し倒せ! って絶対言うだろうけれど。恥ずかしくてとても歳上らしくは振る舞えない。

「あーもう。恥ずかしいよう……ふふふ、でも、翔太くん、ありがとっ」

 それで精一杯だった。

 二人とも恥ずかしくなって会話がそこで途切れてしまい、カップが空になるまでは黙って珈琲を黙々と飲んでいた。

 珈琲をのみきったらすこし落ち着けた気がした。

「ふぅ。翔太くんって女の子の扱いも上手なのかな?」

 出し抜けに訊いてみた。

「えっ!!?」

「だって、さっきすごいかっこよかったんだもん」

「そ、そんなことないですよ~」

「そうかしら? わたしが特別なら嬉しいな」

 ちょっとだけ本音だった。少し声の大きさは抑えて呟いた。

 そうに決まっているので翔太はにやけないように気をつけながら言葉を受け止めた。


 一息ついて、今が伝え時だと思ったので思い出したことを切り出す、

「そうだ、姉ちゃんから伝えといてって言われたんですけど、勉強会の話承けました! 俺やりますよ」

「えっ、ほんとに?」

「ええ、なんか、姉もカナさんも、律子さんも、結構そのお礼とか気にしてくれてたみたいですけど、そんなのそんなに気にしないで下さいよ、俺も予習と復習したかったんで良い機会だし。それに――」

 空になったカップからふと目線を上げて香奈さんの眼を捉えて、

「――勉強会とかやるってことは、カナさんとも会う機会増えるし嬉しいかな~って」

 翔太にしてみればこれが目的の一つでもある、律子さんにも、と言うわけでは無くて、香奈に会える機会、喋れる機会が増えるのが嬉しいのだ。

 香奈にしてみれば先ほどの話の流れからのこの振り方、本当に翔太は女の子の扱いも上手なのかしらと思う。でものぼせちゃうのは恥ずかしい。

「そんな、翔太くんてば。でもわたし達の無理なお願いなのにほんとうにいいの?」

「ええ、無理ってこともないですよ、まぁ姉ちゃんの受験がうまくいくのはウチにとってもプラスですからねぇ、母さん、大学の先生なのは知ってましたっけ? だから、結構気にしてて、姉ちゃん部活のことしか頭に無いから。それに白羽の矢が立つなら俺だろうし年末になってから泣きついてこられるよりは良かったかなーなんて、

あ、でも、数学以外は期待しないで下さいね、俺歴史とか苦手だし」

「でも、翔太くんはわたし達と違って、東山高校ですもんね、超がつくくらいエリート校じゃないですか、教えてもらえるってだけですごい嬉しいです」

「そんなこと無いですって、でも、頑張って教えますから、よろしくお願いします。ああ、あと、これは俺からのお願いなんですけど、姉ちゃんに、お礼の代わりにって課題? なのかなー出しちゃったんですけど、もし受験とかうまくいったら、ケーキ作ってくれってお願いしたんですよ、報酬で」

「ケーキですか?」

「うん、手作りでって条件つけて、姉ちゃん料理とか全然ダメだけど、あれでも女だし、もういい年だし料理の一つも出来ても良いかななんて、それで、姉ちゃんにケーキの作り方とか、カナさんと律子さんも教えてあげて欲しいんです、サポートっていうのかなー」

「なーるほど、そういうことですか。翔太くんに勉強教えてもらえるならお安いご用ですよ! ふふ、ユキナそうとう焦ったんじゃないの?」

 香奈の方は先ほどのちょっとだけ、恋愛じみた話の時から紅かった顔が元に戻ってきていて、でも笑顔がとてもかわいいし、翔太は意識はしないように心がけたけど、こういう何気ない会話でもかわいさが伝わるので、少しドキドキしていた。

「ええ、それはもう」

「そーかー、あの子に料理を仕込むのは大変だなぁーわたしも頑張らないとですね」

 腕まくりのポーズをするのがまた可愛かった。

「でもカナさん今日の料理からすると、超料理得意そうだし。そのカナさんが先生についたらさすがにあの姉ちゃんも料理できそうになりそうですよね。ちょっと俺期待してます」

 うんうん、と香奈は頷いて。

「はい、翔太くんも、まだまだ時間はあるようだし、期待してて下さいね」

「はい、よろしくお願いします」

 お互いに笑い合う、なんかすごい良い感じ。カップルだったらこんな感じだったらそのあとどうするだろう。


「……あの、カナさん、あと……」

 翔太はこの話を出すのはここではまだ早急に過ぎるんじゃ無いかと思っていたけど、良い雰囲気に耐えきれず言いだしてみることにした。

「はい、なんでしょう?」

「うーん、その恥ずかしい話なんですけど。その、俺、律子さんともですけど、まずカナさんと、その、姉の友達の弟じゃなくて、もしよければ――」

 香奈はいきなりこんなこと言われるとは思ってなかっただろうか、密やかにすっと息を呑んでしまう。

 翔太としてはどうにでもなれという勢いでは無かったが、探り探りで言い出してしまったことをちょっと後悔したが、

「――その、俺の友達になって貰ってもよろしいでしょうか」

 明らかに上気してしまって日本語がおかしい。

 なんとか伝えられたことは良かったが。

 香奈は悩むそぶりは見せず、笑顔で翔太を見つめて、

「はい、わたしでよろしければ」

 とすこし居住まいを正して返した。

 本当は、良い雰囲気になったんだから香奈の方から言い出そうと思って居たことでもあった。男の子に任せちゃって歳上なのにちょっと情けないような。でも、すごくすごく嬉しい。

「ふふふ、翔太くんから言ってもらえるとは思わなかった。なんかね。その――良い感じの雰囲気だったから、わたしから言い出そうかなって思ったんだけど」

 嬉しすぎてまた紅くなってしまう、胸を手で押さえて。

「えっ、カナさんもですかっ?」

 翔太は少し驚いた。同じ事を香奈も想っていたのだろうか。

「だって、わたしの方が歳上でしょ、それに自室まで来てもらってるんだもの、それにそれに、初めて男の子でこんなに仲良くしてもらってるんだし……」

 最後の方は蚊の鳴く声のように恥ずかしくて小さくなってしまった。

「じゃあ、良かった。俺の方から言えて! ああ、すごく緊張した~」

 顔を手のひらであおぐ。

 そんな翔太の様子は香奈にとっては年下とは思えないくらい男っぽいし格好良くみえた。

「翔太くん、ありがとう。あ、そうだ、もう友達なんだから二人きりの時は翔太さんって呼んでもいいかな? くんじゃ年下って意識してるみたいで」

 そういえば両親の前では自然と翔太さんと呼んでくれていた。やっぱ育ちが違うなぁーと思いつつ二人きりの時だけそう呼んでもらえるなんてなんか二人の秘密っぽくていい。

「ええ、いいですよ。二人きりの時なんてなんか恥ずかしいけど」

「そうか、そうですよね。ごめんね」

「でも嬉しいです」

「ありがとう!」

 これから勉強会とかで会う機会も増えるし、もっと仲良くなっていけたらいいなと、仲良くというのは当然この場合は男女の仲としてだ。せっかくここまで良い感じなんだし! と目の前の香奈の微笑みを胸に刻みつつ思う。

 気がつけばだいぶ時間が経っていたようだ、もっと香奈と話していたいが、香奈の両親の堪忍袋の切れぬうちに帰らないと、変に心配させてしまっても悪いしな。

 珈琲も空になってカップに筋が残るのみになっていた。

「カナさん、今日は本当にご馳走様でした。料理すごい美味しかったです」

 そろそろなのかなと、香奈も察したらしい。

「はい、お粗末様でした、いっぱい食べてくれてありがとう、そうだ、また何か機会があればお料理振る舞うね。次はわたしからの、お勉強会のお礼ってことで」

「ええ! いいんですか!」

「うんうん、ユキナのお料理修業になんて付き合ってたら何時になるかわからないもの、わたしが翔太さんに食べて貰いたいことだってあるんです」

 香奈は人差し指をそっと唇にあててふふふと微笑んだ。

「あっ。ありがとうございます!」

 真っ赤になって翔太が言う。やっと一瞬翔太が年相応に見えて、香奈はもっと嬉しかった。

「翔太さんって、すごーく歳上に見えるよね」

「そうですかね?」

「でもいまやっと2コ下に見えたかな」

「えっ!?」

「ふふふ」

 頭に手をやって恥ずかしいことしたかなぁーと翔太は思うが、そんな様子を見て、そんな翔太と友達になれたなんてすごい嬉しいなと香奈は改めて思った。

「そ、それじゃ、そろそろ」

「うん、玄関まで送りますね、今日はありがとうございました、あと、このノート、わたし大事にしますね」

 二人とも立ち上がって、香奈は机の上のノートを手に取り大切に胸に抱えてから綺麗な小物が並んだ白いタンスの本棚になっている部分に納めた。

「ありがとうございます、そんなに丁寧に扱って貰って」

 もしかしたら、大切な宝物になるかも知れないと思った。

 このときはまだ、始まったばかりだったけれども。

 玄関まで翔太を送ると、控えていたばあやがどこからか現れた、

「青山様、お帰りですか」

「うわっ、山村さん。お、お邪魔しました」

 翔太はいきなりの出現にびっくりしたようだが、

「これ、ご主人様と奥様からです、つまらない物ですが、お姉様とご両親様によろしくお伝え下さいとのことです」

 手土産の入ったと思われる小袋を渡してくれた、ただ遊びに来ただけだというのになんとわざわざ丁寧なこの扱い。やっぱりこの家はすごいなぁとおもう。

「わざわざ、すみません。家の者に伝えておきます、ありがとうございます」

「ばあや、ありがとう」

「いえいえ、それにはおよびません」

「じゃあ、俺はこれで」

 靴を履いて玄関に降りて、山村さんにお辞儀する。

「お邪魔しました、カナさんのご両親にもこれありがとうございますとお伝え下さい」

「うん、言っておきます、今日はありがとう、その、またね」

 遠慮がちに香奈がまたねと言ってくれたので嬉しい。

「はい、じゃあ、失礼します」

 玄関を出て、豪華な木造の門を抜け、一息。

 すごい家だった。

 でも、今日はいろいろあったが香奈さんと友達になれたことが一番の収穫だ! 翔太はウキウキしてスキップで帰る、までは行かないが意気揚々と家に帰った。


             *   *   *


 ――その晩。

「翔太ー、今日ありがとうね。カナちゃん家すごかったでしょ? 噂ではすごいって話だから……」

 部活から帰ってきてだらだらモードの姉が、夕飯のあと、リビングでパジャマで転がりながら今日の感想を求めてきた。

「うん、かなりすごかった。あんなお土産まで持たせてくれちゃったし」

 リビングの机の上には高級カステラが置いてあり母がつまんでいる。

「ま、美味しい、翔太、雪菜、今度ちゃんとカナさんにお礼言っておくのよ」

「はい」

「はいはーい。カナちゃんてばそんなに気を遣わなくても良いのにねぇ」

「いやー、なんか自然にやってる感じだったけどなぁ、だって家政婦さんまでいるんだもん」

「すっごいよねぇー、こんど私も行ってみよう! 今日のお礼もしなくちゃだし」

「また何か貰ってくるんじゃ無いわよ? 雪菜」

「あ、その可能性もあるか。カナちゃんしか居ない時を狙うか-」

 母の指摘にろくでもない思考で返す姉ちゃん。この家のこの緩さを見てると昼間のことが夢のようだ。

「あー、姉ちゃんそれとさ、勉強会の話もちゃんとしてきたよ」

「ああ、それね、ありがと。LINEでさ、りっちゃんにも確認した後、カナからも返事来てて二人とも了解してくれたよ」

「勉強会~? あんた達でやるの~」

 母が口を挟んでくる。

「ああ、姉ちゃん達の受験勉強、ちょっと俺も手伝う事にしたんだ。母さんの手を借りるのはさすがに姉ちゃんも気まずいってさ」

「あんたなにぶっちゃけてんのよ」

「だって事実だろう?」

「まぁ、雪菜、珍しく気が利くじゃない。そうか、大学受験か、二人とも大きくなったわね-、年末とか来年とかギリギリになったら私も見てあげるわ。雪菜の友達も含めてね。それまでは翔太、お願いするわよ」

「あ、やっぱ見てあげるつもりなんだ、母さんも姉ちゃんに甘いな~」

「それを言ったらどっかの誰かさんの方があまあまだとおもいますけど~?」

 それを姉に言われ、まったく返す言葉もございません。

「でも、あたしはギリギリになるまではみないわよ! 忙しいんだから。翔太がんばれ!」

「解ったよ母さん」

 母も姉も翔太を頼ってるのがこの家だ。


 その後、翔太は部屋に戻りごろごろ寝る前にしていると、ドアをノックして姉が顔を出した。

「翔太、それでさ、カナちゃんとはなんかあった?」

 はいきた。

「あー、それ聞くのすごい楽しみにしてた! って顔してんぞ!」

「だって、部活の間もそれだけが楽しみでさ-! いいじゃなーい、若いって! ね、ね、どうだったのよ」

「若いって何だよ! 何にも無かったよ……とは言いませんがね」

 雪菜はぱっと顔を輝かせて部屋に入って食いついてきた。

 翔太はまぁ黙っててもいずれバレると思ったし、カナさんの方に姉ちゃんが食いつくのは悪いと思ったんでここで言うことにしたのだ。

「で、で、で~!?」

「はいはい。そうがっつかない」

 顔を引っぺがすんで手で押さえるしかない。人のベッドの上まで上がり込んで来やがって。

「まぁご飯食べたあとさ、ちょっと二人で話す時間があって、それでいろいろ話して、姉ちゃんのこととか、受験のこととかもな」

「そう、それで、そのあとは二人の事ね?!」

 眼をきらきらさせて手を組んでそんなこといってる。

「ああ、まぁね、その、勢いというか、俺の方からその――」

「きゃー! 襲っちゃったの!? 翔太や、むぐっ」

 うるさいので口を押さえた。

「襲うわけあるか! そのオヤジっぽい妄想力やめろっての」

「にゃ、なによぅ。襲わなかったの? チキンめ」

「なにを! ――俺の方から、友達になって下さいって頼んだんだよ」

 なんで姉に喋るだけなのにこんなに恥ずかしいんだとおもいあぐらを掻いた脚を見つめる。

「あら、三段飛ばしじゃなかったのかー残念。それで? ABCは?」

「よく自分の親友のことなのにそんなこと聞けるな」

「いいじゃないさ、で?」

「手も繋いでません!」

 と手のひらをSTOP表示で雪菜の顔に突きつけて答えると、

「えー、残念。高校生でしょーどっちも、もうちょっと何かあると思うじゃない」

 しおしおーとなってる。

「いきなり何かあったら困るだろ! 向こうはご両親も居たんだぞ。それよか家政婦さんまで!」

「家政婦は見た! って二人の事情が見られちゃって、きゃー、むぐっ」

 母さんに聞こえるっての。

「姉ちゃんなぁ、乗りすぎ。急ぎすぎ。はしゃぎすぎー」

「あむっ」

 手を噛まれた。

「って!」

「あまがみです」

 そんなに痛くは無かったが、その、唾液がつきますからやめてください。

「なにすんだよ」

 姉はやれやれ顔で、

「あんたねー、カナちゃんがあんたに気があること位、私が解るんだからあんたが気付かないわきゃないでしょうに? お膳立てしたこっちの身にもなって欲しいんだけどなぁ。あ、今日部活出ることになったのはほんと偶然だけどね」

「ふぅ、姉ちゃん、カナさんにもそんなこと言わないだろうな」

「もちろん、翔太にしか言わないから安心しなさい」

「やれやれ、俺には友達になって下さいっていうだけでも精一杯だったんだぞ」

「もう、うぶね。でも前進といやー前進か、偉いぞ、翔太」

 褒められているのかコレは。

「姉ちゃんはさ、友達っていうか親友と俺がその、そうなっても良いと思うわけ?」

 ふむ、と姉もベッドの上で座り直してから。

「うん、私は応援する立場ですから、それに、カナちゃんは特別だから翔太とそうなって欲しいんだよね。ほっとけないっていうか」

「どこまでお人好しなんだか?」

「私の良いところでしょう? でも、勉強会引き受けてくれたってことは会う機会も増えるか。いいぞー夏までに盛り上げていこうね!」

「ナニを盛り上げるんだか。成績も盛り上げて下さいね」

「う……はい。そこんところはよろしくお願いします」

 三つ指ついて土下座する雪菜。

「よろしい」

「えへへ、でも、翔太とカナちゃんに仲良くなって欲しいなぁ~、カナちゃん三年になってからなんだよね、あんなに明るくなってきたの、すっごく綺麗になったし。かあいいし。翔太と仲良くなってくれたらもっと一緒に居られるし」

「あれ、カナさんもそんなようなこと言ってたけど、カナさんは姉ちゃんに引っ張られるようになってそうなれたって感謝してたぞ」

「えー、そんなことないよう。私なんかじゃとてもとても。カナちゃんはもとが良かっただけ」

 それを知らずのうちに引っ張り出したのは、姉ちゃんが仲良くなったからだと思うんだけどなぁ。この人は解ってないだろうなぁ。

「ふーん、姉ちゃんがそこまでカナさんが好きなら姉ちゃんが付き合えば良いじゃんね」

「!! そうか、その手もあったか!!」

「なんという今更な驚きの表情でしょう」

「こりゃーレズっ気が無かったことを後悔するっきゃないね! うん!」

「おいおい」

 デコにチョップを入れる。

「てへへ、でも翔太、勉強会よろしくね」

「はい、頑張りますってカナさんにも宣言しちゃったから、気合い入れるからね」

 雪菜はすっと、一瞬真剣な表情になって。

「ん? なに」

「じゃ、これは前払いと言うことで」

 というと、優しく両手で翔太の頬を包んで、翔太の唇に自分の唇を重ねた。

 一瞬、だったはずだが、翔太にはそうは思えなかった。

 唇を離して、つむっていた目を開けて、翔太の眼を見つめた雪菜は、

「一度だけだよ」

 と大人の女の表情でそっと言い置いた。翔太は放心していた。

 唇に触れられた時の甘い香りがまだ鼻腔内に残っている気がした。

「あれ、おーい、しょうちゃん?」

 あんまり翔太が硬直してるんで、のぞき込んで雪菜が手を振る。

「はっ! いきなりなにすんだよ」

「あはは、翔太はもっと女の子の気持ちが解るようにならないとね!」

 そう言ってベッドから降り、姉は部屋を出ていった。


 これが姉との最初で最後のキスだった。


 その後、ずいぶん経ってから、あれは翔太と香奈がうまくいった後自分に心残りがないようにするためのキスだったんだーなどと姉に宣われたのだった。そして、季節は夏に向かい、勉強会もうまく行き、雪菜の全国大会での成績は4位で、スポーツ推薦枠も貰えたので大学入試の課題はぐっと楽になり、翔太と香奈は仲良くなり、一緒に夏祭りに行ったところで互いに告白して付き合うことになり、それを聞いて雪菜は泣いて喜んだ。ほんとに大泣きだった。翌年雪菜と、香奈と、律子の三人はそれぞれ希望の大学に見事に合格。公約を果たして雪菜は翔太にケーキを頑張って作り好評を得て、東京の大学に行くんで、家を巣立っていった。東京に出てすぐに雪菜にも彼氏が出来てすごいうまくいったり、二年経って翔太は香奈と同じ大学の医学部に受かり、一緒のサークルに入り仲良く出来たり、律子は律子で高校の最後に意中の人に告白してうまくいったようだが、その話はまた別の機会に。


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あね☆とも Hetero (へてろ) @Hetero

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