第5話
(ノア)
ボクは……。
「ボクは、キミのことが、好きで、好きで、すごく、好きで……ずっとずっと、欲しくて欲しくてたまらなくて……ばかですよね。ずっと、ずっと、心の底で、そう思い続けてきたのに、ついこのあいだまで、まるで気づきもしなくて……気づいてしまったら、今度は、歯止めがきかなくなって……自分で自分がとめられなくて……キミが、家族のことを、どんなに大切にしているのか、知っていたのに、それを滅茶苦茶に壊して……ボクは、キミのことが、好きで、好きで、欲しくて、欲しくて……でも、怖くて……だって、キミは、ボクがキミを欲しがるみたいに、ボクのことを欲しがってるわけじゃ、ないから、だから……怖くて……怖くて……すごく、怖くて……」
そうか。
そうだったんだ。
ボクは、今までずっと、自分には、怖いものなんて、ないと思ってきた。
だけど、そうじゃなかったんだ。
怖くて、怖くて……あまりにも怖すぎて、まともにそれを見ることさえできなかっただけなんだ。
ただ、見ないふりをしていただけで。
必死で目をそらしていただけで、それは、いつもそこにあったんだ。
見なかったんだ。
見ようとしなかったんだ。
キミのことが、好きだということを。
キミが欲しくて欲しくてたまらない、ということを。
ずっとずっと、怖くて仕方がなかったんだ、ということを。
見なければなくなるというわけでもないのに。
ああ。
ボクは、ばかだ。
「……ノア」
優しく、頬をなでられる。
うれしい。
あったかい。
「おまえはいったい、何をそんなに怖がっているんだ?」
「え……」
なにを、って……。
「俺が、おまえを嫌うことをか? 俺が、おまえから逃げ出すことをか?」
「え……」
それも、ある。
だけど。
「ボクが、一番、怖いのは……」
だけど、本当は。
「キミが、いなくなること……」
「……そうか」
そっと、両手で頬を挟みこまれる。
「……ノア」
「はい?」
「どうして、俺なんだ? 俺には、金も、力も、頭もない。つらだって十人並みだ。なのに、どうして?」
「え……」
どうして、って……。
「ずっと、一緒にいたからか? だったら、どうして、リルやハルさんじゃなかったんだ?」
「どうして、って……だって、キミは、いつも本気でボクの相手をしてくれて……本気で怒って、本気で笑って、本当に優しくて……ボクの頭のことも、お金のことも、なんとも思ってなくて……最初に、ハルさんを欲しがっただけで、後は何も欲しがらなくて……だけど……だけど、そんな理由は、本当は、みんな、後づけなんですよ。ボクは……ボクは、キミのことが、好きで好きで、しょうがないんです。でも……でも、ボクは、キミになんにもしてあげられないから……だから……キミは、優しいから、それでも、こうやって、ボクの相手をしてくれているけど、だけど……ボク、キミに、無理、させてるから……」
「……ばか」
やっぱり、ボクは、ばかなんだろうな。
だけど、それならどうしてキミは、そんなに優しい目でボクのことを見ているんだろう。
「前にも、言っただろ? 俺は、おまえが、俺に何もくれなくても、何もしてくれなくても、おまえのことが、好きだよ。大好きだよ。……愛してる」
「あ……」
目の前が、ぼやける。
しゃくりあげると、体中にひびいて、痛い。
だけど、涙がとまらない。
「だいたい、おまえ、もう、おまえ自身を俺にくれただろ? それで十分だよ。十分すぎるよ」
……本当に?
本当に?
信じても、いい?
「……ライド」
「ん?」
「ボクのこと……好き?」
「好きだよ。愛してる」
「ボク……ボク、キミに……」
キミに……。
「ひどいこと……したのに……」
「俺も、したよ」
「……さっきのことなら……」
「それもだけど、それだけじゃない。俺は、おまえの気持ちに、ずっと気づいてやることができなかった」
「それは……仕方がないですよ。だって、ボク自身、気がついていなかったんですから」
「それなら、おまえも、ひどいことなんてしてないよ。こうなったのは……他に、どうしようもなかったんだよ」
「ライド……」
違う。
そうじゃ、ない。
「それだけじゃ……ないんです」
「え?」
キミは、許してくれるだろうか。
……わからない。
だけど、言わなければ。
今しか、言えない。
「……アーク」
「え? ……アーク?」
「そう……アークの、ことです」
「アークが、どうかしたのか?」
「アークのこと……どう思います?」
「どうって……いい子じゃないか。真面目で、礼儀正しくて。おまえより、大分、なんていうか、堅実な性格みたいだけど、でも、やっぱりよく似てるよ。だからって、見間違えたりはしないけどな。やっぱ、クローンっていったって、環境によって、大分違いが出てくるよな」
「今、『クローン』って、言いましたね?」
そう。
アークは、ボクの、クローン。
だと、世間一般においては――いや、ボク以外の、全世界において、そう信じられている。
「ああ。――だって、そうだろ?」
「――いいえ」
だけど、本当は。
「違います。そうじゃ、ありません」
「――え?」
小さく、眉をひそめる。
「だって――違うのか? ああ――どこか、いじったのか?」
「――ええ」
そう。
ボクは。
ボクは――。
「アークのベースになったのがボクだ、というのは事実です。だけど、アークには――」
ボクの、こういうことが許されるのなら、ボクの、息子には。
「キミの遺伝子も――組み込んで――あります――」
「……え?」
ああ。
キミは、疑ったこともなかったんだ。
「え、だって……俺に、似てないぞ?」
「……似てますよ」
ボクでなければ、わからないのかもしれないけど。
「容姿や、体格や、知能指数からは、その……バレないようには、しました。でも、アークは、紛れもなく、キミの……血を、ひいています。ボクは、ずっと、アークのことを見てきた。アークは、料理が好きで、派手なものより、地味な、落ちついたもののほうが好きで、本を読むのが好きで、チョコレート・アイスクリームよりも、バニラ・アイスクリームのほうが好きで……」
「ああ……確かに、何度か、レシピを交換したことが、あるな」
「ボクは、アークに、ボクとは違うところが――キミに、似たところが見つかるたびに、わけもわからず、うれしくて……どうしようもなく、ドキドキして……。ボクは、本当に、ばかだった。その時に――いえ、アークを創ろうと決めた時に、気づいていれば……気づくことが、できたはずなのに……」
「アークは、俺の――俺達の、子、か……」
静かに、キミは言う。
怒ってはいない。
だけど、キミの顔を、見ることが、できない。
「そう……そう、なんですね。結局、ただ、それだけのことだったんですね。
ボクは、アークを創る時に、どうしても、キミの遺伝子も組み込みたかった。自分でも、わけがわからなかった。どうしてそんなことをしたいのか、そもそも、どうしてアークを創らなければならないと思い込んでしまったのか……その時、とことんまで考えていれば、もしかしたら、その時に、気がついていたのかもしれませんね。キミのことを、本当は、どう思っているのか……。
でも、ボクは、考えなかった。ただの気紛れだと、手の込んだ間違い探しをつくってみたようなものなんだと、そう、思い込んで……。
簡単なことなのに。すぐにわかることなのに。ボクは、子供が欲しかった。キミと、僕との間に生まれる子供が欲しかった。好きな人とのあいだに、子供を創りたかった。……ただ、それだけのことだったんですよ。キミのことが、好きで、好きで、キミとのあいだに、繋がりをつくりたかったんですね。
だけど、ボクは、それを認めることができなかった。ボクが……天才で、特別で、非凡な、このボクが、その……普通の、一般人の、平凡な、キミのことを、どうしようもなく、愛していることも、ボクが、そんな……そんな、好きな人の子供が欲しい、なんていう、ごく普通の、ありがちな望みを持っているんだ、なんていうことも……。
認めることが、できなかった。認めないくせに、衝動を抑えることも、できなかった。……ごめんなさい。本当に、本当に、ごめんなさい……」
「……どうして謝るんだ?」
「キミに、無断で、アークを……生んだから……」
「……確かに、驚いた。だけど、俺は、アークが俺の血をひいてるって聞いて――うれしかったよ。俺は、おまえのことも、アークのことも、好きだから、愛してるから、だから、うれしかった」
「……許して……くれますか……?」
「許すよ。……ありがとう。ありがとう、うちあけてくれて。ありがとう。……アークを生んでくれて」
「……許して、くれるんですか? ボク……ボク、すごく、勝手なこと、したのに……」
「……かもしれないな。でも、俺は、少しも怒る気になれない。だから、もう、おまえが気に病むことはない」
「……よかった……」
それなら。
ボクは。
「ライド……ボクは……ボクはね……キミに、許してもらえなかったら、どうしようかと思って……それが、怖くて……だけど、キミは、許してくれるんですね……それなら、ボクは、もう、これで……いつ地獄に堕ちても、もう、怖くない……」
キミは、強くかぶりをふる。
「……堕ちないよ。……堕ちない。おまえは、絶対に、地獄に堕ちたりしない」
ボクは、何もこたえない。
こたえられない。
少しだけ、笑う。
キミは何もわかっていない。
ボクは、地獄に堕ちる。
もう、わかっている。
決まっている。
だって、キミは、ボクを置いていくんだから。
死んでしまうんだから。
いなくなってしまうんだから。
ボクは、生きながらにして地獄に堕ちる。
それでもいい。
後悔はしていない。これからも、することはないだろう。
たとえ、これから先、この思い出が毎夜毎夜、ボクを切り刻むことになるのだとしても。
ボクの心を、すべて食い尽くすのだとしても。
二度と癒すことのできない飢えを、ボクの内に残すのだとしても。
それでも。
ほんの一時だけでも。
キミは、ボクのものになってくれたのだから。
だから。
ライド。
愛してる。
「……ノア」
キミの目が、光っている。
また、泣かせてしまった。
ボクは、やっぱりおかしいのかな。
泣いているキミのことを、少しだけ、かわいいと思ってしまっている。
「もし、万一、そんなことは、絶対にないと思うけど、もし、万一、おまえが、地獄に堕ちるなら……」
……え?
キミは、なにを……。
「俺も……一緒に、堕ちるよ……」
「……ライド……」
ああ。
やっぱりキミは、何もわかっていない。
「ねえ、ライド……」
だって。
「キミが、一緒に来てくれるなら……キミが一緒なら……」
それならば。
「そこは、もう……地獄じゃ、ないですよ……」
一緒なら。
そこは。
そこは、きっと……。
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