09 ドレスコード

 浦崎のいる水道局では三十一歳になる年の四月一日、勤続年数問わず主任に昇格する。

 そういえば今年は井上少年が主任になるのだな、と昨年度までの相方――おそらく引き続き相方になるのだろうとても三十一になるようには見えない男の姿を漠然と探す。と、

「井上君?」

 すぐ傍に、いた。

 向かいの机の近くで、今年度も元気に精算担当らしい小寺とにこやかに談笑をしていた。それにもかかわらず探さなければ見つからなかったのは、いつもと変わらない作業着姿だったからだ。

 思わず名前を口にして瞠目するうちに、それに気付いたらしい井上と、その視線につられるようにして小寺が、そろってこちらに向き直る。

「どうかしましたか? 浦崎さん」

 物を問う子どものように小首を傾げる井上に、ああ何でこの男はこうなんだと浦崎は気遣わしげに眉をひそめて言った。

「どうもこうもないよ、井上君。今日は辞令交付式だよ。君、主任になるのだから出席しなければならないだろう? 昇格組は制服だよ、制服」

 それは暗黙の了解に近いが、れっきとした決定事項。

 制服といってもごくごく普通の灰色のシングルスーツに白のシャツ、紺と白の細かいストライプのネクタイと、幸か不幸か制服のようには思えない。そのため本庁や他外局から異動してきた人間のなかには使いどころがわからないまま放置してしまう人間がいたり、また叩き上げの職員でもこんな時にしか着ることがないため、存在自体を忘却の彼方に飛ばしてしまったりする輩がいないわけでもなかった。

 ただ、井上は本庁から異動してきた局員だが、少し前にあった組合の集会でもご丁寧にきっちりと制服を着込んで行っていた。別にこういう場所で着なくてもいいんだよと諭すと、でもこういうきちんとした場所で着ないと着る機会なんてないじゃないですか、と答えていたものだから、当然何も言わなくても辞令交付式には制服を着てくるだろうと何の疑いもなく思っていたのだが。

「何を言っているんですか? 制服を着るのは主査からですよ?」

 いやですよ浦崎さん、と井上はほんの少し見下すような笑顔で言った。

 そのあまりに自信たっぷりな様子に、え、と短く声を上げ、視線を宙にさまよわせ記憶を引っ張り出してみる。

 直近でいうと収納係内では二年ほど前に山木が主任に昇格し、間違いなく制服を着ていた。似合わないことはないが違和感あるなと今は出納係長になっている北島がげらげら笑っていた記憶がしっかりとあった。それに対して山木が制服なんてこんな時にしか着ないから仕方ないというようなことを無表情ながら幾分投げ遣りに答えていた記憶もある。

「……いったい誰から聞いたんです……?」

 そんなことを思い出しつつ浦崎は虚ろに問う。

 訝しげな表情ながら井上の答えは明瞭だった。

「誰って、小寺さんですよ」

 そうして傍らを指さす。

「今朝わざわざ電話を掛けてきてくれて、制服着るのは主査からだからと教えてくれたんです」

 その同僚、小寺は水道局採用。彼の一番の親友もしくは悪友であると思われる山木が制服を着ていた時、北島といっしょになって笑っていたのだから、主任から制服を着なければならないと知らないはずがない。

 何でそんなデタラメをと浦崎が口走るより早く、指さされた方の小寺は、にこりともせずきっぱりと言った。

「今日はエイプリルフールですからね」


【了】

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