7月 技能研の熱い一日(2)

 昨日の今日で覚悟など小指の先ほどもできていない給水停止業務技能研究発表会当日の朝。

 梅雨の中休みなのか真夏を思わせる快晴。しかし、そんな天気とは関係なしに田実の気分はどんよりとしていたし、隣で会場へ向けて運転中の宮本に至っては雷神も道を開けそうな形相をしていた。

「ああ畜生、何だって佃さんはボーヤを入れるんだ? まだ少年の方がましだってんだ」

 まるで体内で燻る怒りを放出するように何度となく吐かれる溜息と悪態に、いい加減うんざりしてきていた田実は、おずおずしながらも口を開く。

「そんなに言わないでください。ぼくだって好きでここにいるわけではありません」

「ああ? 大層なクチ叩いてるんじゃあねぇよ、ボーヤがよ」

 運転中でなければ胸倉掴まれて吊り上げられていたかもしれないと、肝を冷やすほど凄まれて口を噤み、窓の外に目を向けた。

 が、宮本の方は、田実をストレス発散の対象と認めたらしい。

「大体テメェは何ができるんだ? ちょっとキャップが捻れる程度だろうが。走るのが速いとか素早いとかそんなのとは無縁なんじゃあねぇのか? オイ、何とか言ったらどうなんだ」

 それは田実を推薦した佃に言うべきこと。八つ当たりも甚だしいが、言っている内容に間違いはない。とはいえ、そのまま肯定するのは癪に触るので、窓の外を向いたまま黙っていると、ああ畜生めが、と宮本は低く吐き捨てた。

「百歩譲ってテメェが出てくるのは許すとしてだ。テメェのせいでおやっさんに迷惑かけちまうじゃあねぇか。その責任どう取るんだ、ああ?」

「そんな、責任って――」

 何もかも全てお前が悪いというような言い草に、さすがに黙ってはおられず、それこそ佃さんに言ってくださいと言おうとしたが、口答えしようとすんな、と宮本の方がちょっとばかり早かった。

「おやっさんはこの技能研が何よりも一等嫌いなのに、相棒でひよっこのテメェが出るから出ざるを得ないんだからな!」

「……え?」

 田実は宮本の厳つい横顔を凝視する。

「市川さん、技能研究発表会、嫌いなんですか?」

「は……? おい、テメェ、そんなことも知らずに出るつもりだったのか?」

 そう言って、こちらを一瞥した宮本の表情は、その口調同様怒りと困惑が綯い交ぜになっていた。

「そんなことも知らずにって言われても、誰も何もそんなこと言わなければおくびにも出さないから知りようもないんですけど……」

 田実は恐る恐る、しかし、正直に言った。

 昨日係長から技能研究発表会への参加を言い渡されたあとも三十分ほど、終業時刻になるまで山木から会に関する簡単な説明を受けていたが、そんな話はまったく出てこず、傍にいた当の市川も、何を言うでもなく黙々と仕事をこなしていた――そんな旨のことを宮本の顔色を伺いつつぽつりぽつりと口にする。

 それをしばらく黙って聞いていた宮本はやがて、

「いったい何が起きたんだ?」

 と、気味悪そうに顔を歪めた。

「おい、ボーヤ、ホントに何も聞いてないのか?」

「ええ……」

 佃のことを思いやりがないとは言っていたが、会自体について言っていたことといえば、危険だから気をつけるようにということくらいだ。

「市川さん、危険だから嫌いなんですか? その、技能研、が」

「バカ言え。危険っていうだけなら普段の仕事も十分危険だろうが。そんなんじゃあねぇよ――」

 宮本は溜息をつき、低く言う、

「――いるんだよ、鬱陶しいのが」

 怒気を十二分に含んだ声音で。

 宮本自身が嫌悪感を抱いているのは明らかだった。もしかして宮本が忌み嫌っているだけで市川の方はそうでもないのではないか、と、ちらりと思ったが、しかし、そんな想像はすぐに否定される。

「おやっさんはそいつのせいで、ここ数年技能研に参加していない」

「え?」

「お前、技能研のメンバはしばらくの間オレと佃さんと、ンでもって胃薬で固定だったってえのも聞いてねえのか」

 そういえば浦崎さんのあだ名、胃薬だったな……、と思いつつ、首を縦に動かす。

 消化器が弱く胃薬を常備しているために気の毒なあだ名をつけられているが、その実、特殊型止水栓キーを駆使し、未確認生物と戦うことができる武闘派だ。 なお、市川が火を使うのに対し、浦崎は水を使う。最大で鉄を断つほどの威力のある水流を放つらしいが、元は水なので二次被害の心配はほとんどない。

「ぼくはてっきり安全面を考えて市川さんでなく浦崎さんを入れているのかと思ったのですが――」

「テメェはバカか。それは普段心配することであって技能研で心配することじゃあねぇよ」

 心底呆れたと言わんばかりの口調で返してくる宮本に些かムッとしながら、それでも怖くて強く切り返すことのできずおずおずと言う。

「でも、その技能研で行う模擬停水の採点は、安全面も考慮されるって山木さんが――」

「テメェはおやっさんの腕をナメてんのか?」

 凄まれて、ふるふると首を横に振る。

 可燃物の多い中で火を放っての停水業務はやはり危険だとは思うが、これまで無事故で、危ない場面というのもほとんど見たことがないことを考えると、市川の腕は確かだと言わざるを得ない。

「そもそも化け物をブッ潰すほどの力ってのは元が何であれ危険なんだよ。その力をコントロールするっていう点ではおやっさんは最強だ。胃薬なんかとは比べ物にならねぇ。それに、だ。普段失敗したら免職必至だが、技能研ならば万が一何かしら破壊したところでお咎めなんてない。協会側はこれでもかッてくらい凶暴な化け物投入してくるし、その分こっちも全力だからな」

「つまり、市川さんは――」

「ああ、だから、技能研そのものじゃあなくって、鬱陶しい奴のせいでご無沙汰してたんだよ。ぶっちゃけワガママな話だが、ちょっとばかり気が荒いものの仕事は確かでまめなおやっさんの唯一のワガママだ。何としてでも叶えてやろうと毎回努力してたってぇのにテメェはそれを……」

 そうして寄越されるやたら凶悪なまなざしの一瞥。

 だからそれは佃のせいであって自分のせいではないと主張したところで、どうやっても聞き入れてくれなそうな雰囲気に反論を諦め、すみません、と頭を下げた。

 もっとも、八つ当たりだという自覚はしっかりあったのだろう。まぁ敵はボーヤじゃねぇしな、と溜息混じりに呟いた宮本は、

「敵は――西部水道企業団の庄野だ」

 そう言って、前方を睨みつけた。

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