5月 五月病予防には飲み会と知恵の輪(5)
水道局の南。南区という割り当てで現在、停水班の浦崎・井上組が滞納者処理を担当している地区。
公立大学と私立短大があり、広い範囲が学生街となっていて停水対象者も五割から六割方は学生だという。
学生専用のアパートやマンション、いかにも学生御用達といった感じの居酒屋、古めかしい画材屋や文具店、今時の雑貨屋にカフェ。それらが無作為に並び立つ狭い路地を抜け、辿り着いた先は豪奢なマンション。
少し見ただけではしゃれた分譲マンションと変わらないが、駐車場の入口付近に立てられていた入居者募集の看板には学生専用賃貸と書いてあった。
学生時代、家賃一万五千円、トイレや風呂及び炊事場は共同という四畳半の部屋に住んでいた身からしたら、こんなところに停水者がいるとはどうにも信じられない。
車を降り、建物を見上げる。
「本当にこんなところに……?」
「住んでいる場所は関係ないですよ」
後部座席から小ぶりの道具箱を取り出し、肩に担ぎながら山木は言った。
「特に学生の場合は顕著です。学生の独り暮らしというのは何かと物入りですから、仕送りにしろバイトで稼ぐにしろ、親元で暮らしている学生ほどの金銭的ゆとりはないでしょう」
そうしてさっさとエントランスの方に歩き出す。
慌てて横に並ぶと、こちらに目を向け、口を開いた。
「電気、ガス、水道――いずれも自立した生活には欠かせないものですが、どれかひとつ納める分だけの余裕しかなければ、まず電気代を選択する人が多い」
「ああ……、そういえば、大学の先輩が電気は止められるとつらいんだって言ってました」
田実自身は学生時代、一定の仕送りやバイト収入があったにもかかわらず、小心者と呼ばれるほど、サークル活動や飲み会を必死にセーブしていた。当然のことながら光熱費の支払いに切羽詰まったことはない。
だが、周囲を見れば一種尊敬に値するほどの金欠生活を送る先輩や友人、後輩がいた。
大体は酒とコンパと趣味にとめどなく注ぎ込んだせいで、電気もガスも水道も全部ピッタリとめられたことがある向きというのも少なくなかった。
もっとも、そうなると少しは反省して納めようと金策に走る。そして、最初に払っていたのはほぼ全員が全員、電気代だった。
「電気を停められると想像以上に不便な生活を強いられるんだそうです。ロウソクの生活から解放されて部屋に電気の明かりが戻ってきた時は、もう二度と停められないようにしようと心の底から思うとか……」
「ええ、私も学生の頃、何度か停められた経験があるのですが、まったくもってその通りですね」
「え」
ぎょっとして山木を見る。
学生時代のこととはいえ、今現在、知的な印象を与える銀の細いフレームの眼鏡がよく似合い、一公務員として堅実に仕事をこなすこの男のいったいどこに電気代を払わないなどというような無頼な部分があるのか。
まじまじと見つめていると、山木は口許に微かな笑みを浮かべた。
「学生の頃は色々と無茶なことをしていましたから――ここだけの話、これから開栓する部屋の住人のことをとやかく言える立場にない程度には」
「え?」
目を瞠る。
しかし、山木はいつもの無表情に戻り、……さて、と続けた。
「電気代を納めたあと、ガスと水道どちらを先に払うかというと、ガスを優先する人が多い」
「……水道ではないんですか?」
訝り、訊ねる。
「ガスがないと自炊や風呂に困りますが、水がないと自炊も難しいし、そもそも風呂は水があることが前提だと思うのですが……」
「実際に停められてしまった場合はそうかもしれません。ですが、停められる前の段階ではガスなのですよ。なぜだと思いますか?」
「いや、なぜと訊かれても……」
考えてみたものの結局わからないまま。
エントランスの壁にはめ込まれたオートロックのコントロールパネルの数字ボタンを慣れた手つきで押しながら、ちらりとこちらを見やった山木に首を傾げて見せる。
と、
「水は放っておいてもなかなか停められないから、ですよ」
間もなくさっと開いた自動扉を抜け、山木は抑揚のない口調でさらりと答えた。
あとに続いて、シンプルではあるがロビーまでついている玄関ホールに入った田実は、資産税課の頃の建物評価のくせが出そうになるのをぐっと堪え、先を行く山木に問い掛ける。
「どういうことですか? 水道も払わなければ停まりますよね」
「電気やガスはもっとあっさり停まりますから」
「そうなんですか?」
一階の廊下の先、螺旋階段へと通じる非常扉を開けて田実の方に振り返った山木は、ええ、と頷いて言った。
「そもそも料金を払わなければ停まるのは当然です。けれども水を停めるというのは難しいのですよ」
「難しい……?」
確かに変な生き物が出てくるマルキの停水は大変だが、通常の停水業務はさほど難しいようには思えない。
何かあるのだろうかと眉根を寄せて考え込んでいると、
「水の大切さがわかっていないようですね」
そんなことでは浄水課の中島さんや経理課の北島さんに説教されること請け合いですよ、と、山木は目を細め、口角に微苦笑を浮かべた。
「電気もガスも、ないと不便ではありますが、生きていけないわけではありません。でも水はないと生きていけない。たとえば、本当に金に困っていて納入できず、さらに外出もままならない人が独りで住んでいる世帯があったとします。そんなところを無下に停水したらどうなるか――わかるでしょう」
田実は神妙に首を縦に動かした。
不況のなか、やむをえない事情があり生活が厳しい世帯が決して少なくないことは、三年も役所にいればわかってくる。
「だから、水はそうそう停められないのです。自治体によってはすぐに停めて収益を上げているところもありますが、うちはそういう方針ではありません。何段階も踏んで、やむをえない事情などがないにもかかわらず納入が見込まれない場合に限り、停水に至るわけですが、使用者から見ると、単に停まるまでの猶予が長いと、そう映ります」
だから後回しにされるのです、と山木は言った。
「そんなこともあって、停水の常連は水道局をなめてかかっていますから、なかには停められても自分で開けて使う人もいます。電気やガスと違って、水の開栓は素人でもできます。実際、私もそうやって水を使っていたことありますからわかるのですが――」
「えっ」
思わず声を上げたが、山木は素知らぬ顔で淡々と続けた。
「――そのように停水対象者が勝手に開栓するのを防ぐため、以前はメーターの止水栓の間の管を外し、そこにゴムパッキンをはめて使えなくしていました。しかし、それでは開栓の時に手間が掛かります。そのために開発されたのが特殊型閉栓キャップです――実物を見せます。三階です」
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