5月 五月病予防には飲み会と知恵の輪(4)

 知恵の輪。

「――って、おもちゃ、ですよね? あの、意図的に解けないように組み合わせた環や鎖を何とかして解いていく……」

 停水を終えて水道局に戻るなり田実は早足で一直線に山木のところへ行き、縋るように訊ねた。

 相も変わらず喜怒哀楽の読めない表情で淡々と停水者リストの整理をしていた山木は遅れて入ってきた市川に開栓の指示を出し、こちらに向き直る。

「おそらく知育玩具の類かと――今晩のことを聞いたのですね」

 田実は大きく頷いて見せた。

 知恵の輪だ、と言った市川はあれっきり黙り込み、ずっと剣呑な雰囲気をまとわりつかせていた。

 どうやらよほど嫌らしい。

「飲み会で知恵の輪やるんですか?」

 大の男たちが揃って知恵の輪を弄る。それも撃沈するほど酒を飲みながら――そのなかに自分が混ざるなど御免被りたい。しかし、そうも言っていられないのが職場の飲み会の定め。ならばせめて理由だけでも知っておきたい。

「佃さんの飲み会ってマルキ対策訓練ですよね? 知恵の輪と停水業務っていったいどんな関係があるのですか?」

 頼れる事務担当は抑揚のない淡白な口調で田実の疑問に答えた。

「その知恵の輪は、玩具の知恵の輪とはまったくの別物ですよ。仕組みが知恵の輪に似ているからそう呼ばれているだけです」

「あ、そうなんですか……、っていうか、ですよね……」

 すっと冷静になる。

 よく考えれば、いや、考えるまでもなく知恵の輪を停水に使うなんて有り得ない。

 急に恥ずかしくなってちらっちらっと周囲を見ると、係内に残っていた村沢係長と精算担当の小寺が声を殺して笑っていた。

 目が合うと、係長は軽く咳払いをして机上に視線を落とし、小寺は、頑張れ、と手を振ってきた。

 それに愛想笑いで頷きつつ手を振り返し、

「……市川さんって、初心者に厳しいですよね……」

 思わずぼそりとこぼす。

「いえ、市川さんにしては説明している方です」

 山木はまた淡々と言った。

「説明不足は否めませんが、普段まったくと言っていいほど説明らしい説明をしない市川さんにしては上出来です」

「……その市川さんの言う知恵の輪って何なんですか?」

「その辺りのことは私が渡した親睦会リストに書いてありませんか?」

「え?」

 田実はジャケットの内ポケットから札入れを抜き取り、その中に小さく折りたたんで入れていた親睦会リストを取り出し広げた。

「書いてありましたっけ……あ……、す、すみません……!」

 特に強調されることも無く淡々と詳細が書き連ねられているなか、よくよく見ると“知恵の輪”についての記述とその註もしっかり入っていた。

「最近、チェックを怠ってて……」

「わかります。こう続くと惰性になってくるというのは」

 今日の飲み会の参加者は停水班プラス事務担当の山木。

 主催者である佃が各人と“知恵の輪”の技術で対戦。負けた方が飲む、という学生の飲み会のような内容。そのさらに下の方には危険度高と括弧で括ってあった。

 そして、その問題の“知恵の輪”の正体は──

「特殊型閉栓キャップ……?」

 確かめるように山木を見やる。

 閉栓キャップというのは、停水後に止水栓を覆って鍵を掛けることで、勝手に開栓されないようにするための道具にすぎない。

 そんなものに特殊型があるのか。

「聞くより見る方が早いです」

 山木は立ち上がり椅子の背もたれに掛けていた作業着の上着を取り上げて羽織った。

「先ほどちょうど開栓の連絡がきたところでしたので行きましょうか。ついてきてください」

「え?」

 きょとんとして立ち尽くす田実をよそに、さっさと外回りの準備を整えて、電話番お願いします、と村沢係長に一礼したあと、ポン、と田実の肩に手を置いた山木は、

「できればマスターしてください」

 と、ほんの少しだけ口許を歪めた。

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