4月 丸に危険の危でマルキ(3)

 市川武男・水道局営業課収納係停水班班長。

 山木いわく「一番年長の少し怖そうな方」は、少し怖そうどころか明らかに水道局一怖そうな男だった。

 そう、彼こそが、田実が異動初日水道局の玄関近くで擦れ違ったヤクザの親分風の男。

 水道局に異動して二週間。

 今、初の停水業務期間を迎えた田実の隣に、その市川がいた。


 寡黙なのか、不機嫌だと無口になるタイプなのか、それともこれが常態なのか。

 市川は腕を組み、目を閉じて、田実の運転する公用車の助手席におさまっていた。

 寝ているのかとも思ったが、道を間違えたら縮み上がりそうなほどドスの効いた嗄れ声で「道が違う」と指摘する。一応起きてはいるらしい。

 当初、山木の言葉が気になって市川の一挙一動にびくびくしていた田実だったが、しかし、停水対象世帯を回っていくうちに、それほど恐れることはないのでは、と思う余裕が出てきていた。

 確かに停水前に対象者に停水を通告する様子はその風貌や嗄れ声と相俟って正直物凄く怖い。

 一度市川に通告されたら、自分はそれ以降絶対に水道料金を滞納しなくなるだろう、と田実は思う。

 だが、マルチューや特注を相手に停水業務を行う際、そんな市川の威圧感はありがたかった。

 停水班は二人一組での行動が基本で、一組当たりの一月平均停水件数はおよそ三百件から四百件。停水業務期間は十日間だから一日平均三十件から四十件ということになる。

 そのうち要注意人物の記載があるのは一日多くても五件程度だが、問題は件数ではなく、その内容。

 今日これまでに出会った要注意人物は、手の甲までしっかりと彫り物がしてある屈強そうな青年。こちらが通告している間やたらギラギラした目を虚空に彷徨わせ何事かブツブツ呟いていた中年男性。扉を開け放つなりいきなり掴み掛かってきた痩せぎすの老女。

 いずれも曲者揃いでなかなか停水することができず、それらにかかった時間は通常の三倍。

 それも市川が半ば強引に話を切り上げて停水に踏み切ってくれたおかげであって、物心ついた時から押し切られ人生を歩んできた田実では停水まで漕ぎ着けること自体不可能だっただろう。

 そんなわけで、今日最後の一件を残した今の時点で市川に対する印象はかなりよくなっていた。

 とはいえ、それでもやはり顔や声には一瞬ビクッとさせられるものの、山木が言っていたような危険さは感じない。危険というなら要注意人物の方がよほど危険だ。

 山木は市川のいったいどこが危険だと言いたかったのか。あれから山木とは事務的な会話のみで、その真意はわからない。

 もしかしてからかわれたのかとも思ったが、これまで一緒に仕事をした印象からして山木がそういった冗談を口にするようなタイプだとはちょっと思えなかった。

 ともあれ、今日の最後はその山木が実地で説明を受けるよう言っていたマルキである。

 もしかしたらここで何かわかるのかと何気なく思いつつ、田実は見た目ごく普通の二階建ての一軒家の前に車を停めた。


 ――まさか、ここで水道局にまつわるすべての“危険”の意味を知ることになるとは露とも知らずに。

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